くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

タグ:水虎様

かつての石野村。 貞享4年検地水帳によりますと、栄太夫抱えの地蔵堂地がみえます。 この地蔵堂が愛宕宮であり、後(文政2年(1819)以降)に改称されたものと思われます。 御祭神は火産霊神。 安政2年神社書上帳によりますと、明暦3年(1657)勧請。慶安元年再建。 ...

御祭神は闇於加美神(くらおかみのかみ)。 入口の鳥居が2つ。 境内案内板より。 日本最古の文献古事記によりますと、闇於加美神は神代の時代、伊耶那岐命と伊耶那美命の子として生まれ、降雨止雨をつかさどる水の神と記されています。 伊耶那岐命と伊耶那美命の子と ...

一の鳥居。一の鳥居の横には立派な御神馬一体。 立派な二の鳥居。その横には八幡宮参道と書かれた木が建っています。 三の鳥居。 三の鳥居に平行している鳥居は… 庚申堂・二十三夜塔の石碑。 木々に囲まれた長めの参道。 四の鳥居。 立派な社殿です。 かつての ...

少し離れたつつじヶ丘児童館の所にポツンと社号標があります。これがちょっと紛らわしいのですが、その社号標は松倉神社のものであり、社号標とは逆の道に進むと松倉神社の遥拝所であった松倉山神社があります。野里の神社は松倉神社の遥拝所であった里宮が独立したものであ ...

前田野目村です。 貞享4年検地水帳によりますと、八幡社地・薬師堂地・水神社地・地蔵堂地・熊野堂地・観音堂地が見えます。 津軽三十三観音霊場の松倉観音堂の遥拝所(松倉山神社)が野里にありますが、そことは違う松倉神社。 こちらも遥拝所としての神社で、新年の行 ...

かつての高野村です。 寛永15年に開発・成立した村で、地内北原に広峯神社があります。 創建年不詳。 古来より牛頭石伝説があり御祭神は素盞鳴尊。 明治6年4月村社。明治42年8月神饌幣帛料供進指定神社。 こちらの祠は… 水神でしょうか。もう一つは何もありません ...

かつての七和村(それ以前は持籠沢村)で、梵珠山地の西端、岩木川支流十川の右岸に位置。御祭神は経津主命。 入口にいる馬か犬か狐かわからないような奴(笑) 創立年月不詳ですが、大同年中の言い伝えがあります。貞享4年検地水帳に毘沙門堂地が見え、明治初年の神仏分 ...

紛らわしいことに同地区にまったく同じ名の神社(つがる市柏玉水末吉)がございます。 由緒は一つ。 「大雷神社 (つがる市柏玉水)」 き、きのこ?(笑) 玉水村は元々は高田村と称しており、享保年間に解消。 享保16年の検地水帳に観音堂地が見えます。 ...

御祭神は大国主命、事代主命、大山咋命。 貞享4年検地水帳によれば甚之丞抱えの山王堂がありますが、これが日吉神社です。 創建不詳ですが、貞治3年(1364)大和国南都の田村作ノ丞が建立し、永正年間(1504~1520)に大浦光信(1460~1526年)が再建したと伝えられます。 ...

一の鳥居。 一の鳥居横にある大正紀年銘の七面大明神碑。 ここから山を上って行きます。 なかなか急勾配。 坂の途中で左側に小さな祠が見えました。 八大竜神が祀られていました。 祠の近くに大きな穴らしきものがありましたが、これは池だったのかも知れませんね。 ...

寛文年間に開発されたと伝える上古川村。 御祭神は誉田別尊。 由緒等は不明です。 社殿、狛犬、石燈篭などは比較的新しいもののようでした。 猿田彦大神・天鈿女命。 馬頭観音。 庚申塔など。 中央の祠には木彫りの女神型水虎様(水神)。 横から見ると亀に乗 ...

車力村になります。 津軽藩第11代順承公の時に御城内に奉祀してあったものを豊富村に御遷座。 安政4年(1857)勧請と伝えます。豊富村豊崎宮社地境内林除地元帳によりますと社地2反余、境内林1町3反余が除地とされています。 御祭神は宇賀魂命。 安政4年の豊富村豊崎宮 ...

かつての豊成村。 宝永元年(1704)御蔵派によって梵珠山地西端にいくつかの溜池を築造し、排水用の阿部堰を開削して開拓された俵元新田8ヶ村の1つ。 結構立派な神社なのですが…由緒等はわかりませんでした。 明治42年8月14日に福山の稲荷神社に合祀されています。 ...

津軽平野の中央部、岩木川中流右岸に位置する亀田村です。 鶴田町の近くに立地することから鶴に対して亀と名付けられたのが村名の由来。 境内には亀田集会所があります。 御祭神は倉稲魂命(保食神)。旧神職堰八家門の社務を引き受けたもので、言い伝えによりますと、 ...

御祭神は誉田別尊。 享保5年8月15日、産土神として勧請。 明治6年4月、稲垣村穂積鎮座の闇おかみ神社に合祭。明治7年12月、復社。 昭和52年9月19日に部落氏子の総意により修復。 境内に小さな祠が2つ。 一つは石造の獅子頭。 もう一つは空っぽ。 空っぽの祠の下 ...

中里町誌によりますと豊岡村は明暦元年(1655)葛西甚兵衛により開村と伝えますが、国誌では「元禄13年(1700)新墾する処」とあり、地内神明宮及び加茂神社の創建も元禄13年となっています。 平山日記によりますと、元禄11年に深郷田新田として藩によって着手されたとあ ...

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