くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (平川市)

青森県平川市松館浅井。松館は津軽平野南部、岩木川支流の平川と引座川により形成された氾濫原上の平川右岸に位置。引座川は地内北端で平川に合流。地名の由来は不詳ですが、中世この地にあった大光寺城の支館である松館に関係するものと考えられています。以下の記事にて情 ...

蓮の花まつり2024。鏡ヶ池を一周します。特に説明はございません。写真のみでお楽しみください。似たような写真ばかりですが。神橋を渡り胸肩神社へ。胸肩神社。以下、関連記事。『猿賀公園』『盛美園 (青森県平川市)』『清藤氏書院庭園 ・ 盛美神社』『猿賀神社(平川市) ...

青森県平川市碇ヶ関大落前山。大落前川沿いに鎮座。こちらは山神とありますが水神(十和田様)。『水神竜神 十和田信仰』によりますと、「(前略)関所のカーブのところには日蓮宗系の法寿竜神明王の小祠があって信仰され、大落前川流域の大山祇神社前の清水には竜神を祀って ...

青森県平川市八幡崎宮本。真言宗国分寺派赤倉山金剛寺。御本尊文殊菩薩。津軽弘法大師霊場第21番札所、卯年の一代さま、津軽三薬師、陸奥國津軽七福神めぐり布袋尊。過去の記事:『真言宗 赤倉山 金剛寺 (鶴亀石・カサメヤ遺跡 / 平川市八幡崎)』関連記事:『津軽七福神巡 ...

猿賀神社。奥州津軽の霊地猿賀神社御由緒略記…『一、御祭神…主神:上毛野君田道命(崇神天皇の五世孫)農漁業諸産業開発並交通安全守護神。相殿:保食神(五穀農耕の守護神)。一、御由緒…御祭神上毛野君田道命は仁徳天皇55年(皇紀1027年・西暦367年)伊寺の水門に於て暴 ...

平川市大光寺二早稲田。神明宮(日月堂)前回の記事:『神明宮 ・ 日明神社 (日月堂 / 平川市大光寺)』青面金剛像。紀年銘は読み取れず。頑張れば読み取れますが、周囲のブロック塀が邪魔なのであきらめました。明和6年っぽく見えますが、たぶん違うでしょうね。反対側は9 ...

平川市南田中村内。天台宗金田山明光寺。御本尊阿弥陀如来。貞享4年頃、「南田中、李平新屋町の住民の請願により、猿賀山神宮寺の末寺として明光庵が設立された」との記録を残します。昭和45年、米沢道澄(五代住職)が再興新築。木造モルタル二階建、本堂157㎡、位牌堂107㎡ ...

平川市柏木町東田。平賀駅から歓楽街と思しき道を歩いていきました。隣の墓地は集落の共同墓地とのこと。浄土真宗朝日山明光寺。御本尊阿弥陀如来。古い記憶は残されていないようですが往古より大光寺村にあり、元は浄土宗明道庵であり、弘前市の誓願寺の末庵。無住状態にあ ...

平川市沖館宮崎。山谷商店に隣接した敷地内。平賀町誌によりますと、沖館部落のやや中央部を走る町道高畑~唐竹線の左側、今井稔氏の宅地内に鎮座し、境内はこの宅地の東南の一角で町道に面した約2坪。沖館城跡標柱(「築城年代は不詳。大光寺城南東備の砦として築城(津軽一 ...

碇ヶ関古懸沢田館岸。不動川沿い。上程森から不動川を渡った先です。古懸山不動院國上寺から見ると北西。この地は古館遺跡です。古代から中世にかけての住居跡が47戸、建物跡が119軒、鍛冶場及び製鉄炉跡19基、掘立柱建物跡5軒、柵列状遺構1、空堀跡2、青森県内でも最も古い ...

青森県平川市新屋栄館。参道入口は新屋温泉付近。前回の記事『新屋八幡宮 (青森県平川市)』八幡宮由緒書(抄)…『一、祭神譽田別尊。一、例祭日7月15日。一、境内地3470坪。草創の年月久遠にして詳ならずと雖も寛永19年11月津軽太守信義公、東山根通御鷹狩の節、遽に心願 ...

平川市南田中村内。旧村社熊野宮。社号標「村社熊野宮」(大正8年4月17日建之)御大典記念(昭和3年11月10日)。鳥居建設寄附人名が刻まれています。鳥居(平成27年7月16日建立)住宅に囲まれた参道。「(伝)田中館跡」標柱…『田中館は、天正七年(1579)の茶臼館の戦(六 ...

平川市原田稲元。部落の南端、岩館部落からの道路沿い50mほど東方に入った場所。津軽忠臣之碑 ・ 田中太郎五郎戦死之跡と、岩館の天照皇大神宮の間くらいに鎮座。参道入口は境内の北端にあり、石碑が一基建立されています。石碑には「沼㟢村権四郎神霊」「正月十六日」と刻ま ...

平川市岩館下り松。かつて紹介した板碑や卯辰両歳餓死者供養塔(ヘビ塚)等の近くです。元々境内前に木造大鳥居がありましたが、現在はないので場所がわかりにくいです。ちなみに神社隣は「平賀文化財めぐり」著者の故斎藤譲氏の自宅だとか。さて、岩館部落は鎌倉時代から開 ...

平川市本町富岡。大光寺種元との境くらいに鎮座。参道入口には鳥居ではなく屋根付の門があります。資料によりますと「参道入口は道路沿いを流れる堰をこえたところに屋根のついた高い門があって、ここから住宅に挟まれた参道を百㍍ほど行くと、右側に大正三年三月十四日、御 ...

平川市館山。板橋・上扇田・井ノ上の境ほど。御由緒略記…『舘山神明宮所在地を守山と明記してあり大浦為信の旗上げ当時には既に守山神明宮を本陣として、天正3年大浦勢正月元日第二次大光寺城を攻め、落城の際に大浦為信が本陣を構えて指揮したという史実から推して見ても古 ...

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