くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:坂道 > 坂道 (青森県内)

造坂より春の岩木山。坂下にある開墾紀念碑…『抑々此ノ開墾地ハ寛政年間ヨリ宮地村ニテ愛護セル地ニシテ明治十五年産馬共同社ヲ設立シ畜産ヲ計リタルモ明治四十四年創設セシ保護組合ニヨリ大正二三年ニ亘リ栗ノ造林ヲ完成シ地方稀ニ見ル美林ナリシ䖏ナリキ大東亞戦争終戦ト ...

三戸郡五戸町天満後。参道入口は五戸町沢。資料では「下大町の天満宮」と紹介されていますが、タイトルは社殿の所在地の住所にしておきました。明治7年の陸奥国誌によりますと沢町は「家は二十三軒あって左右山高く、昔は人家もなく渓流道に溢れ、橋桟も危険で往来も希なりし ...

三戸郡五戸町舘。歴史みらいパーク。五戸館跡(木村館跡)、五戸町図書館。歴史みらいパークには図書館、五戸代官所の復元建築物等の他、町を見渡せる展望タワーまで併設されています。五戸町案内図。「坂のまち五戸まちあるきマップ」五戸町図書館・木村秀政ホール、展望タ ...

坂の町五戸。五戸町の坂には坂名の標柱が立てられており、町の主要施設の方向案内板にもなっています。坂の説明は特にありません。標柱の場所は県道233号浅水南部線と県道218号栃棚手倉橋線の丁字路。住所にして五戸町手倉橋下向田。坂の標柱にカマキリ。そこにいても・・・ ...

三戸郡五戸町荒町。故江渡熊五郎家住宅。江渡家は農業を営みながら南部藩五戸代官所下役の給人を務めた家柄。藩の功績が認められ、南部藩の御家人となった古い家柄であり、住宅は原型のままよく保存されています。江戸時代後期の天明年間(1781~1788)の建築といわれる大規 ...

常盤坂…「津軽を統一し、津軽藩政の基礎を築いた初代藩主為信は、元亀四年(1573)袋の宮と呼ばれたこの地域に小さな「祠」を奉建します。そこにある坂が弘前城築城後から「唐内坂(からないさか)」と呼ばれていたと伝えられます。「唐内坂」とは”中国(唐)にも無いほど ...

黒石市の新坂です。青森県道268号弘前田舎館黒石線。内町と市ノ町の間。訪問したのは7月下旬です。暑い時は坂道に限りますね。宇和堰。宇和堰沿いを歩くのもいいですね。鉄満堂のスパイシーヒヤシー中華で休憩。なお、新坂についての説明は下記の関連記事からどうぞ。以下、 ...

上ノ坂です。黒石市袋井から前町へと上がる坂道。坂下の湾曲。宇和堰を渡ります。ちょっぴり宇和堰沿い散歩。宇和堰を西へと進めば新坂です。さて、宇和堰を渡り、坂上に進みますと、左手に上ノ坂江戸屋敷、右手に神明宮が見えてきます。神明宮の祭は下の坂の稲荷宮の祭に対 ...

下ノ坂です。黒石市袋井3丁目から甲大工町へと上がる坂道。小阿弥堰。細い道です。宇和堰沿いには久須志大神。久須志大神は別記事にしております。久須志大神の向かいには黒石稲荷神社境内への古い石段があり、石段の先には長谷川霜島川柳句碑が見えます。更に坂を上ると…左 ...

九代藩主寧親公ゆかりの九十九森(鷹狩場)跡。地図を見てもわかるとおり、かつて九十九森の遑止園には大きな池があり、雨が降ると、現在「かふぇ&ぎゃらり~Monroe」(旧卑弥呼)前の坂(坂上に釜萢堰※現在は一部暗渠)には、遑止園の池からカエルがたくさん出てきては車に ...

青森県八戸市大字新井田館平。松館川が新井田川に合流する新井田地区の南側高台にある新田城跡に八戸市立新井田小学校の校舎があります。高台南側から校舎にかけては縄文時代早期や後期の遺跡である館平遺跡です。新井田小学校は明治9年10月に対泉院本堂及び衆寮を仮校舎とし ...

4月21日。新町坂上からの岩木山です。 関連記事 『新町坂 (荒町坂・弘前市)』 『新町・先達ヶ淵 (弘前市)』 ...

長くて緩やかな坂道の途中にあります。Googleマップでは野辺地町下坂として表示されますが、野辺地町赤坂の赤坂蒼前堂です。赤坂蒼前堂の記録と下記狛犬の紀年銘及び奉納者が一致しました。 由緒はわかりません。馬に関するものです…はい。「蒼前」の説明は下の記事を参照 ...

出合坂。 達者村百景「出逢坂」。 紫陽花が綺麗ですね。 坂の勾配はさほどありません。 最明寺入道時頼公と玉峰捐城和尚の出合の地。 最明寺時頼公(北条時頼)と夢想軒の庵主玉峰捐城和尚の石像が向かい合っているのですが、草木が邪魔で、どの角度で撮ってもどち ...

県道45号。ちょうど川守田町と六日町の間に「えの坂」の案内板があります。 えの坂の由来…『昔、この坂の脇に佐藤兵衛の屋敷があったので「さどべえ(佐藤兵衛)坂」と呼ばれていた。それがいつの間にか「え(衛)の坂」と省略して呼ばれるようになった。佐藤氏は代々兵衛 ...

標柱はありますが坂の説明はありません。但し、坂上に鎮座する八坂神社の境内に設置された案内板を読めば、坂名の由来がわかります。 五日市城(下名久井城)の由来…『鎌倉幕府御家人の工藤祐経(源頼朝の重臣)の長男でもある犬房丸(工藤祐時)は、訳(曽我物語)があっ ...

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