くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:遺構・遺跡・痕跡・城址・廃墟・碑等 > 青森県内(城址・館址以外)

青森県青森市浪岡大字下石川岡田。下石川ふれあいセンターの隣に下石川共同墓地があります。『新撰陸奥国誌』によりますと「境内二百五十坪 村中にあり 黒石法眼寺の末庵なり 享保三年無源と云る僧の開山なり 庵東西二間半南北四間東向なり 本尊は釈迦」とあります。現在は建 ...

青森市堤町。大正3(1914)年4月1日、現在の青森中央郵便局(旧浦町尋常小学校)の地に青森県女子師範学校附属小学校開校、附属幼稚園開園。弘前大学附属小学校の前身のひとつです。社員駐輪場に小さな碑があります。碑文「青森県女子師範学校附属小学校之跡 土田廉謹書」裏 ...

前回の記事:『伝北畠氏墓所』2度目の紹介になりますが、前回は「伝北畠氏墓所」の(一)しか紹介していませんでした。すぐ近くに(二)もあるんですね。いずれも浪岡町指定文化財であり、住所もいずれも青森市浪岡大字北中野五倫ですぐ近くになります。なお、明治期までは多 ...

青森県十和田市奥瀬蔦野湯。蔦沼川。蔦温泉向かいの大町桂月先生お墓の入口。蔦温泉はアントニオ猪木氏と妻の田鶴子さんがよく訪れた温泉です。田鶴子さんが八甲田山周辺の景色が好きだったことからこの地にお墓が作られました。お墓の管理は蔦温泉が引き受けてくれているそ ...

猿賀神社。奥州津軽の霊地猿賀神社御由緒略記…『一、御祭神…主神:上毛野君田道命(崇神天皇の五世孫)農漁業諸産業開発並交通安全守護神。相殿:保食神(五穀農耕の守護神)。一、御由緒…御祭神上毛野君田道命は仁徳天皇55年(皇紀1027年・西暦367年)伊寺の水門に於て暴 ...

八戸市鮫町鮫。浮木寺や鮫金刀比羅宮の近くです(浮木寺駐車場向かい)。鮫町生活館前に案内板があります。鮫浦役所(鮫浦奉行所)跡…『江戸時代、鮫湊(鮫浦)と新井田川河口の川口湊、その間に位置する白銀湊は、総称して八戸湊と呼ばれ、八戸藩の海運拠点として利用され ...

青森県五所川原市金木町嘉瀬萩元。嘉瀬八幡宮前。嘉瀬には青森県無形文化財(技芸)に指定されている「嘉瀬の奴踊」があります。この踊りは新田開発にあたっていた不遇の主人を慰めるため忠僕が踊ったのが始まりとされており、歌詞の一つには「嘉瀬と金木の間の川コ、石コ流 ...

青森県青森市桂木2丁目。午砲台公園。かつて午砲台の東方には火葬場があり、ドン山には午砲住宅が作られていたようです。国土地理院で1961~1969年、1974~1978年の地図を確認しても何も無いように見えます。ドン山(午砲台跡)。大正9年10月、青森市鍛冶町に住む柏原彦太郎 ...

八戸市類家2丁目。廣澤寺の近くです。帽子屋敷は源義経が平泉で自害せずに落ち延びたとする「北行伝説」になぞらえて付けられました。郷土史家の故正部家種康氏が八戸各地に残る義経伝説についてまとめた「北の義経伝承」によりますと、義経は信心していた同市類家の類家稲荷 ...

八戸市鮫町日蔭沢。太平洋戦争末期には旧日本軍が軍事施設として使用していましたが、現在は葦毛崎展望台として一般開放されています。太平洋を見渡す素晴らしい眺望が満喫できるビュースポットです。残念ながらこの日は天気が悪くて何も見えませんでしたが。種差海岸遊歩道 ...

青森市佃の公営青森競馬場跡地を歩きます。写真は青森市立佃小学校(出場する馬を待機させていた場所)とその付近。佃は元々大字松森の小字名でした。松森は青森平野の中央部の北方に位置しており、北流する駒込川の右岸に位置。駒込川は地域の北部で荒川と合流し堤川となっ ...

黒石市竹鼻宮元。社号標「村社八幡宮」(明治44年6月13日村中)参道。この左手に下記で紹介する竹鼻の文化財である石塔群があります。一之鳥居。前回の記事:『竹鼻八幡宮 (五庚申塔・廻国納経塔・百観音碑 / 黒石市)』狛犬一対(平成13年7月15日乗田兼雄※発起人者名省略 ...

常盤坂…「津軽を統一し、津軽藩政の基礎を築いた初代藩主為信は、元亀四年(1573)袋の宮と呼ばれたこの地域に小さな「祠」を奉建します。そこにある坂が弘前城築城後から「唐内坂(からないさか)」と呼ばれていたと伝えられます。「唐内坂」とは”中国(唐)にも無いほど ...

平川市光城2丁目。平川市指定文化財「石棺」…『石棺は文字通り遺骸を納める石で出来た棺のことです。昭和54年、唐竹堀合(1)遺跡の発掘調査により発見され石棺内から出土した土器片から縄文時代後期前半頃に使用されていたということがわかりました。調査では十二基の石棺 ...

平川市光城2丁目。平川市郷土資料館の敷地内に追分石があります。石棺の隣です。この追分石は柏木町部落北端から本町部落の通称「塔ノ前」と、二ッ屋方面に通ずる古道が左右に分岐する地点に建立されていたものと言われています。新道開通時に柏木町の後藤正二郎氏宅地内に移 ...

平川市光城2丁目。平川市郷土資料館の敷地内に大日堂礎石があります。石棺の隣です。追分石もあります。礎石については今まで気付きませんでした。なぜ気付かなかったか…平賀町史掲載の写真と違う場所の雰囲気だったからです。「大日堂礎石」2個。この礎石は明治の終わり頃 ...

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