くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:遺構・遺跡・痕跡・城址・廃墟・碑等 > 主として城址・館址

秋田県鹿角市十和田大湯下ノ湯。下から見た薬師神社。下の湯共同浴場前から上ります。途中に相馬大作壮図の碑(別記事)があります。標柱「薬師神社参道入口」より…『下ノ湯は文明年間(1469-87)すでに共同浴場があり、また、幕末には、南部公専用の御留風呂が建っていた。 ...

秋田県鹿角市十和田大湯古舘。鹿角四十二館の1つ。築城年不明。12kmほど南方には南部藩の防衛前線基地である花輪城があります。天正17年、大館城を陥した功により初代城主大光寺光愛が入っていました。天正19年(1591)、九戸政実の乱にて大湯四朗左衛門昌次(武蔵七党横山党 ...

『大湯城跡(大湯新城稲荷等)』からの続きです。新城・館っこを通り、きよさんの清姫神社へ。入口の鳥居は小祠に対して反対側になります。標柱には特に何も説明がありません。小祠前の鳥居。清姫神社。長慶天皇の御子である寛光親王(※行岳山西光院(青森市浪岡北中野天王 ...

『大湯城跡(大湯新城・鹿角市)』からの続きです。写真では森の中を散策しているように思えるかも知れませんが…実際にそうなんですが…案内板や標柱が多いので、方向音痴の私でも比較的分かりやすい城跡でした。本丸付近の土塁。大手門跡。大湯城大手門跡…『登り口に「枡 ...

秋田県鹿角市十和田大湯和町。大湯城跡。大湯村についてですが、鹿角由来記によりますと「大湯村、大湯左衛門家来領知。本名奈良の惣領也。嫡子四郎左衛門、二男治郎左衛門、三男彦左衛門。右四郎左衛門天正十九年の九戸へ一味仕り、生捕られ、九戸と一処に三迫にて切腹。治 ...

「まほろば唐松・中世の館唐松城」。唐松城は、唐松岳の麓から山頂にかけて築かれた空堀や土塁が残る中世城館。この地は、16世紀末頃に、湊城(秋田市土崎)等を拠点とする安東氏、横手盆地北部を拠点とする戸沢氏、同南部を拠点とする小野寺氏の勢力が対峙した要衝であり、 ...

八戸市根城。隅ノ観音は根城跡南端の曲輪である沢里館の北側にあります。かつての根城村の集落中心地。奥州南部糠部三十三観音十二番札所。八戸御城下三十三観音霊場第二十三番札所。ちなみに私の地図にはなぜか「稲荷神社」とだけ記されています。庚申塔や金精さま・魂精神 ...

秋田県鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部。尾樽部通りと永楽町通りが交わる交差点。「歩いて探そう、明治浪漫、小坂町散策マップ」という手作り感満載のマップを見ながら、少し散策してみました。近くには花園館やちち家、第三分団消防署があります。ちなみに写真は御成橋上から見 ...

宮城県石巻市日和が丘2丁目。市内中心部の旧北上川河口に位置する丘陵地。日和山の頂上部には平安時代に遡る歴史を持つ旧門脇村(現石巻市門脇)鎮守鹿島御児神社が鎮座。鎌倉時代に源頼朝の家人であった葛西清重が奥州合戦の恩賞として牡鹿郡を始めとする近隣の数カ所を受領 ...

『盛岡城跡 ~其之弐』からの続き。御台所跡方面に下りて、毘沙門堂跡を通り、帯曲輪(中津川)方面へ。鶴ケ池に架かる橋。橋上から見た鶴ケ池。鶴ケ池に沿って帯曲輪の鉛蔵方面へ。この付近はホタルの生息地のようです。盛岡城跡公園ホタルの里…『この「ホタルの里」は昭和 ...

『盛岡城跡公園(岩手公園)』からの続き。渡雲橋は二の丸と本丸を結びます。渡雲橋から見た西方面(左が本丸・右が二の丸)。渡雲橋から見た東方面(右が本丸・左が二の丸)。さて、本丸です。南部氏は甲斐源氏の一族でしたが、南北朝時代の頃より糠部(青森県三戸郡・八戸 ...

盛岡市内丸。案内板「国指定史跡盛岡城跡」(所在地:盛岡市内丸1番地ほか。指定年月日:昭和12年4月12日)…『盛岡城は、三戸から不来方に居城の移転を決定した南部信直(盛岡藩初代藩主)が、慶長2年(1597)に嫡子利直(2代藩主)を総奉行として築城を始めたと伝えられ、 ...

まとめ。『九戸政実』『九戸城跡(二戸市)』『九戸城跡 ~ 其之弐』『九戸城跡 ~ 其之参』『岩谷観音堂(二戸市)』『馬助坂(二戸市)』『呑香稲荷神社(二戸市)』『大作神社(呑香稲荷神社・松ノ丸跡)』『八幡神社(九戸城跡)』『九戸神社(九戸村)』『九戸政実首塚 ...

熊野館(九戸政實史跡)…『この熊野館は、古くは縄文、弥生時代から使われ、九戸政實がいったん緩急があれば敵の来襲に備えた軍事基地として使用したという(七宮涬三先生)。川の蛇行と断崖を利用した天然の要塞は、きわめて優れた城館で、九戸城(二戸)築城に生かされた ...

『九戸城跡 ~ 其之弐』からの続き。北東櫓跡付近から本丸追手門へ。桝形になっています。本丸追手門跡。石祠がありました。本丸追手門跡…『二ノ丸から本丸へ入る虎口の1つで、追手門跡と呼ばれています。南北双方から伸びる土塁がここでクランク状に屈曲しており、桝形とな ...

『九戸城跡(二戸市)』からの続き。※写真上下は二ノ丸大手から見た本丸。本丸虎口跡…『本丸と二ノ丸を結ぶ虎口はここと追手門の2ヶ所がありますが、こちらは古図や伝承に名称が無く、無名の虎口です。追手門同様に桝形になっていますが、こちらは堀が途切れる場所にあり木 ...

岩手県二戸市福岡城ノ内。基本的に現地配布パンフレット及び案内板に忠実に説明していきたいと思います(平成30年現在)。九戸城エントランス広場。三ノ丸跡です。九戸城エントランス広場から本丸を望む。エントランス広場の東側には土塁と堀跡があり、その先に本丸を望むこ ...

『根城の広場(根城跡 / 八戸市)』・『根城跡 ~ 其之弐(八戸市)』からの続きです。主殿内部へ。主殿内は各所で説明のアナウンスが流れているのでわかりやすいです。台所。奥御殿から運んだ料理を配膳する部屋。詰ノ間。来客の応対をする人がいる部屋。茶ノ間。来客にお ...

『根城の広場(根城跡 / 八戸市)』からの続きです。木橋。中館からこの木橋を渡った先が本丸になります。本丸の面積はおよそ1万6千平米で、本丸を取り囲む堀は幅15m、深さ8m。根城はすべて空堀で堀底は連絡通路になっていました。木橋は本丸から斜めにかかっており、敵が迫 ...

日本百名城根城。南北朝時代の南朝方の武将・南部師行(なんぶもろゆき)が、はるばる甲斐の国、現在の山梨県身延町からやってきて、建武元年(1334年)に築城し、以来領地替えにより使われなくなるまで(師行の子孫が寛永4年に岩手県の遠野市に移住するまで)約300年間八戸 ...

栃木県宇都宮市本丸町。宇都宮城址公園…『ここは、近世宇都宮城の本丸があったところです。宇都宮城址公園は、歴史資料や発掘調査結果に基づいた本丸の一部復元、中心市街地の活性化の拠点づくり、防災の拠点づくりを3つの柱として整備したもので、復元した土塁や堀、櫓、土 ...

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