くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (山形県) > 寺・神社 (米沢市)

山形県米沢市万世町堂森。真言宗豊山派松心山光照院善光寺。堂森善光寺、出羽善光寺とも呼ばれています。御本尊は善光寺式阿弥陀三尊。総本山は奈良県初瀬の長谷寺。県重要文化財として阿弥陀如来立像(鎌倉時代・見返り阿弥陀如来・像高51cm、桂材一木造)、があります。伝 ...

『法泉寺(米沢市)』からの続き。山形県米沢市西大通1丁目。法泉寺と住所が違いますが道路を挟んですぐ向かい側。道路を挟んで南の寺院及び墓地と、北の文殊堂及び庭園に分かれています。元はこの南北を隔てる道はありませんでした。法泉寺庭園…『米沢三名園の1つで、2代藩 ...

山形県米沢市城西2丁目。臨済宗恵日山法泉寺。道路を挟んで南の寺院及び墓地と、北の文殊堂及び庭園に分かれています。元はこの南北を隔てる道はありませんでした。直江兼続が創建した当時は、法泉寺は三の丸北西に位置しており、掘立川に掛けられた橋を渡るとすぐに法泉寺の ...

『笹野観音堂~其之弐(米沢市)』からの続き。観音堂前石灯篭一対(明治44年5月・丸喜)。観音堂前青銅灯篭一基(昭和51年11月3日)。台座「献燈の趣意(清昭代)」は省略。笹野観音堂…大きいです。向拝彫刻。唐破風懸魚・中央蟇股。蟇股(前面3間)・木鼻。虹梁・手鋏等。 ...

『笹野観音堂(米沢市)』からの続き。漱口場。水は観音像の前で龍の口から注がれます。昔より笹野は神仏を畏れ敬って、正月の7日間(現在は3日間で別火も無し)を肉や魚等を食せず、他人と同じ火を使用しない精進別火で、穢れ無い清らかな身体で正月を迎えました。昔も守れ ...

真言宗豊山派長命山幸徳院笹野寺。山形県米沢市笹野本町。置賜三十三箇所観音霊場19番札所。御本尊は千手観音(千手千眼観世音菩薩・総高153cm)。脇士(総高91cm)には地蔵菩薩と毘沙門天が再建時に仏師横山権六昌興の手により刻まれました。紫陽花(約2000株)の名所として ...

『春日山林泉寺(米沢市)』からの続き。神刺原築城奉行、鐵孫左衛門泰忠の墓。黒金家の大先祖にして謙信公譜代の臣。本姓島倉、通称孫左工門。後に鉄上野景信の遺跡を継ぎ、鉄と称しました。慶長3年禄6200石を領し、同4年3月神刺原築城の折、泰忠総奉行を命ぜられました。同 ...

山形県米沢市林泉寺1丁目。長尾家、上杉家の菩提寺(直江兼続・武田信清菩提所)。ふれあし観音霊場。拝観料金は堂内300円ですが、この日は丁度法要が行われており、境内拝観(100円)のみとなりました。堂内撮影禁止。山門前の石塔。読み取れず。現在の山門は門東町にあった ...

関興庵の横(墓所へ向かう道)に鳥居と参道があります。 南方稲荷大明神。社殿内に狐一対、灯篭一対などありました。 拝殿扁額(青木源之助)。 『正一位南方權現渡部藤兵衛稲荷大明神の祭神は、天正6年に始まる上杉家合戦に際し、関興庵勢より援軍、無類の働きをなし、 ...

山形県米沢市中央5丁目。虚空蔵菩薩。門には「福威智満虚空蔵菩薩」「別當関興庵」とあります。 一花院の創建は上杉家の重臣千坂景親が米沢城下に入った折、祖とされる那須与一の持仏である虚空蔵菩薩像を安置するために一宇を設けて、千坂家歴代の菩提寺としたのが始まり ...

臨済宗円覚寺派最上山関興庵。 米澤札所第廿三番如意輪観世音菩薩。 関興庵(關興庵)は応永17年(1410)南魚沼郡石内村字関に開創され、上杉景勝が出羽国米沢に移封されたことい従い共に移り(第32世東岩和尚)、直江兼続公により米沢城の守護と安泰を祈念し鬼門にあたる ...

山形県米沢市城北2丁目(江戸時代の出羽国米沢藩の米沢城下、明神堂町北端)。粡町は米沢城の北部に位置し、江戸期は米沢城下の内で町人町の1つ。奥羽編年史料抄の天正15の条に米府鹿子をひいて上杉氏入封の慶長3年以前からの町名として六町市場の1つに粡町と記されています ...

西蓮寺駐車場とモーゼスレイク公園の間。西蓮寺向かい。西蓮寺の由緒に出てくるので西蓮寺の境内の一部なのかな…よくわかりませんが。 入口両脇にある地蔵尊。 手水石。 中央に大きな延命地蔵。 その両脇に五輪塔。 水子地蔵尊。 こちらも水子地蔵尊。優しいお顔 ...

山形県米沢市中央5丁目。 浄土宗来迎山西蓮寺。 御本尊阿弥陀如来。 『米沢札所第廿二番千手観世音菩薩・奥羽第二番平和観世音菩薩靈場』 案内板より(浄土宗西蓮寺内)…『「吉雄忠次郎の墓」…長崎の住人。蘭・英語通詞(通訳)。文政年間来日したドイツの医 ...

山形県米沢市中央5丁目。粡町西宮戒神社。 戎像(3.5m。粡町西宮戒神社遷座50周年記念として粡町町内議員の方々より寄贈)。 旧粡町(あらまち)…『伊達時代は白子神社門前の町であった。慶長6年(1601)上杉景勝の時代直江兼続の城市改革によって現在の地に移り米 ...

米沢市御廟1丁目。上杉家廟所のすぐ西側。※鳥居前の石灯籠一対の紀年銘は大正15年7月7日。 手水舎。 古峰神社碑。 凱旋紀念碑。 延徳年間頃、この地に住んでいた浅井権太夫という大富豪が、紀州の熊野権現から分霊を受け、屋敷内にお堂を建てて祀ったのが始まりで、毎 ...

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