くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (神奈川県) > 寺・神社 (鎌倉市)

八雲神社略記…『祭神:須佐之男命、稲田比賣命、八王子命、佐竹氏の霊。由緒:永保年中新羅三郎源義光公の勧請と伝う。室町時代関東管領足利成氏公は公方屋敷に渡御した当社の神輿に奉幣を行うを例とした。戦国時代小田原城主北条氏直公は祭礼保護の「虎印禁制状」を下賜し ...

社号標(昭和43年7月吉日建立・明治維新百年記念)。鳥居(明治40年晩春建立)。入口付近にあった鬼子母神堂。子育て、子授けの神様。日蓮宗の守護神。小動神社(こゆるぎじんじゃ)は旧腰越村の鎮守。御祭神は建速須佐之男命、建御名方神、日本武尊。建御名方神は明治42年に ...

御祭神は天照大御神。元々は甘縄神明宮、甘縄神明社と呼ばれていましたが、昭和7年に甘縄神明神社となっています。かつては甘縄院という別当寺院も存在していましたが神仏分離により廃されました。甘縄の「甘」は「海女」、「縄」は「漁をする時の縄」の意味という説があります ...

御祭神は大己貴命。小町鎮守、旧村社。 『鎮守蛭子神社は出雲大社に鎮ります大国主神を御祭神として(里俗夷尊神)と称され、往古永享年間(凡500余年前)日蓮宗本覚寺門前夷堂橋の傍に夷堂あり夷三郎社とも称され、同寺の守護神として、又付近住民の氏神様として崇敬され ...

由比ガ浜海水浴場。 夏ですね!夏じゃないけど! 近くの大太刀稲荷神社へ。写真暗くてすいません。由比ガ浜で遊び過ぎました。 狛犬一対。 庚申塔(正徳2年8月吉日)。 庚申供養塔が多いですね。紀年銘は文政7年、寛政12年など。 青面金剛三猿碑。 手水石。 地蔵尊 ...

写真ボケボケ。お酒のせいです。 「夜の段葛」っていう響きがちょっといやらしい(笑) 写真じゃ伝わらないけど、昼とは違う雰囲気でとても綺麗でした。 関連記事 『由比若宮 ・ 元鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市)』 『鶴岡八幡宮若宮大路 ・ 一の鳥居 ・ 二の鳥居 ・ 段 ...

御祭神は菅原道真公。『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によりますと、長治元年(1104)8月25日創建。一天俄かに掻き曇り、雷雨と共に黒袍の束帯姿の天神画像が天降り、里人がこの神験を恐れて降臨の地に社殿を建ててその画像を納め崇拝し、銀杏の木を植え神木としたとありま ...

『海光山 慈照院 長谷寺 ~其之弐(神奈川県鎌倉市)』より。 かきがら稲荷。観音像が漂着した6月18日が御縁日。 かきがら稲荷大明神…『有縁の地を求めて大海を漂泊していた御本尊、長谷観音は、その付着した「かきがら」の導きで当地に光臨したといわれています。以来、 ...

『海光山 慈照院 長谷寺 ~其之壱(神奈川県鎌倉市)』より 境内の見晴台からは鎌倉の海が一望できます。 轉輪蔵(輪転蔵・経蔵)。 『【輪蔵】一切経(仏教経典のすべて)を収める建物を経蔵と呼び中央の八角形の回転式書架を輪蔵と言います。輪蔵の腕木を押して一回転 ...

坂東第四番札所長谷観音。 山門。 山門付近の石碑。 長谷寺…『●宗派:単立(浄土宗)●山号寺号:海光山慈照院長谷寺●建立:天平8年(736)●開山:徳道上人。本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬 ...

大異山高徳院清浄泉寺。さすがに人が多いですね。ボカシ切れません(笑) 山号「大異山」を記す扁額が掲げられた山門は、18世紀初頭に内部に安置された一対の仁王像と共に他所より移築されたものと伝えられています。 仁王像。 高徳院境内…『境内にある文学碑について紹 ...

『鶴岡八幡宮 ~ 其之弐 (神奈川県鎌倉市)』より。 丸山稲荷社。 社殿は商売繁昌を願う多くの方々より奉納された赤い旗で囲まれています。 当宮で最も古い室町期の建物。 宇佐神宮遥拝所。全国にある八幡宮の総本宮である宇佐神宮をお参りする場所。 その近くに ...

『鶴岡八幡宮 (鎌倉市)』より。 大石段へ。 大石段下の狛犬一対。 大石段から見た随身門。 素晴らしき楼門と…人混み。 随身門正面。 この扁額の鳩文字は有名なので説明いりませんね。この額から「鳩サブレー」が誕生したくらいですから。 彫刻も様々、これだけで ...

三の鳥居からは急激に人が増えます。 関連記事:『由比若宮・元鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)』 関連記事:『鶴岡八幡宮若宮大路・一の鳥居・二の鳥居・段葛』 鶴岡八幡宮…『御祭神:応神天皇・比売神・神功皇后。当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平6年(1063)報 ...

御祭神は応神天皇、比売神、神功皇后。創建は康平6年(1063)。 由比若宮は現在の地に鶴岡八幡宮が遷る前のお社であり、元八幡とも呼ばれています。 本殿は八幡太郎義家(源義家・源頼義の長男)が修復した云われています。源氏一族が古くから治めていた場所で、古くは由 ...

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