くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:遺構・遺跡・痕跡・城址・廃墟・碑等 > 弘前城 ・ 弘前公園

弘前エレクトリカルファンタジー。記録的な暖冬のためイルミネーションもかなり微妙な感じ。このように雪が少なくて困ることもありますが…やっぱり個人的には暖冬最高!冬に咲くさくらライトアップ。一定時間でピンク→ピンク&ブルー→ブルーの光に切り替わっていました。 ...

4月20日に開幕。 そこそこ咲いているとの情報を得て、歩き回ってきましたが、正直まだまだといった感じでした。 外濠でもこんな感じ。 一見咲いているように見えますが、近寄るとほぼ咲いていないのがわかります。これらが全部咲いて、もっとモコモコモフモフになってこ ...

本丸未申櫓台出土の梵字石の紹介。 元禄7年(1694)に石垣を修理した際、不動明王の梵字を刻んだ石が出土したという記録が、当時の藩庁日記に残されているそうです。この石は現在、弘前市内の最勝院に保存されていますが、境内の隅にひっそりと置かれているため、意外に誰 ...

食べ過ぎ 飲み過ぎ 胃のもたれ 写真目的ではなかったのでこのくらいで。 桜のハート探しがブームらしい。美味しいものならいっぱい見つけたよ。 ...

弘前城内散策…注目されていない場所を笑 旧天守閣跡(本丸未申櫓跡)から見る忠霊塔 弘前城三角点。 擬宝珠の紀年銘。 本丸井戸跡。 館神跡。 鶴の松&亀の石。 玄武岩。 鶴の坂。 子の櫓石段。 本丸未申櫓石垣。 埋門に残る紀年銘。 弘前水族館「マリンパー ...

2014年、国史跡「津軽氏城跡弘前城跡新寺構」のうち、桶屋町の南溜池土居(堤防)跡に遊歩道(4336万円。約175m。看板3基・ベンチ6基。)が整備されました。 歩きやすくなりましたね。 以前は史跡整備用地のため立入禁止でした。 南溜池跡(弘前大学医学部グラウンド ...

桜じゃなく石垣を見に行ってきました。 とりあえず石垣を撮りまくる(笑) 経年変化により外側に膨らんでいる石垣。 普段は見れない角度からの弘前城。 人混みも凄いけど、砂埃もひどくてさっさと退散。 弘前城関連記事:『弘前城 (弘前公園)とその ...

弘前城(弘前公園)とその近郊及び関連記事についてまとめてみました。 「弘前城天守 (別名:鷹岡城・高岡城)」 「本丸未申櫓跡・本丸戌亥櫓跡・御日記蔵跡・御金蔵跡など (弘前城本丸)」 「武者屯御門跡・亀の石&鶴の松・本丸井戸跡など (弘前城本丸)」 「如来 ...

弘前公園内紅葉特別ライトアップに行ってきました。 やっぱり紅葉は日中がいいですねぇ。 ライトアップが強くて… 自然な艶やかさというより… 人工色感がたっぷりです(笑) ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪ ...

慶長8年(1603)に為信(慶長9年客死)が鷹岡に築城開始。慶長14年(1609)に信枚が堀越城・大浦城の遺材を転用し築城再開し、慶長16年(1611)に鷹岡城(弘前城)がほぼ完成。しかしこの時点では本丸の石垣は未完成でした。 それから約80年後に如来瀬地区などから石を切り ...

何か今更感もありますが弘前城天守の紹介。 弘前藩初代藩主津軽為信が津軽地方を統一したのが天正16年(1588)。 新しい城の地として高岡(鷹丘)を選定したのが慶長8年(1603)ですが、為信は完成を見ずに慶長12年(1607)京都にて客死し、2代藩主信枚が同16年(1611) ...

弘前城本丸より紹介していきます。 旧天守閣跡(本丸未申櫓跡)です。 弘前城築城当初の5層の天守があった場所になります。寛永4年(1627)に火災により焼失。文化7年(1810)まで天守の新造が認められなかったため、本丸未申櫓が建てられていました。 藩庁日記により ...

弘前城本丸を紹介していきます。 まずは下乗橋です。 内濠を隔てて本丸と二の丸に架かる下乗橋。 藩政時代には二の丸側に下馬札が置かれていたのが由来となっています。築城当初、橋の両端は土留板でしたが、文政11年(1811)に石垣に直しました。 以前の擬宝珠 ...

館神跡です。2代藩主信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所。 藩主や場内の安全などにかかわる加持祈祷が取り行った場所で、ここへ出入りできたのは、藩主や神官やその家族などの限られた人のみでした。 表向きは稲荷社となっていますが、その後ろには厨 ...

寛永末年の津軽弘前城之絵図では、子の櫓、門に囲まれた入母屋造りの平屋の建物、渡り廊下で繋がれた長屋風の建物などが見られる場所。館神の入口には平屋の建物が配置。 宝暦6年の御本城絵図によりますと、館神が記載され、更に文化2年の御城郭分間真図では屋形風の建物 ...

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