くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (五所川原市)

青森県五所川原市広田榊森。社号標は以前私が参拝した時のものと同じですが、新しく塗り直されており、裏面のこの部分「青森市旭町 一戸丑之助 大正十五年」だけ、このような形で残されていました。過去の記事:『広田神明宮 & 大日如来堂 (五所川原市広田)』鳥居。かつて ...

青森県五所川原市金木町川倉林下。社号標「村社三柱神社」(大正7年5月10日建之、村中敬白)参道。昭和62年鳥居献納寄附御芳名。鳥居。久しぶり!!鬼コ。背中…『大正十二年旧正月元日 中谷與助 白川定市 白川重逸 秋元■■ 白川岩■■ 中谷勇三 中谷信■』針金のせいで微妙 ...

『嘉瀬八幡宮(金木町)』からの続きです。嘉瀬八幡宮参道を挟んで左手に庚申塚があり、右には末社参道があります。庚申塚の向かいになります。末社前にある一対の石灯籠も奉納者は庚申塚前の石灯籠と同じですね。やはり屋号丸大(マルダイ)も刻まれています。紀年銘は昭和1 ...

五所川原市金木町嘉瀬萩元。嘉瀬館跡の西方。清久溜池、小田川の北方。神社前には嘉瀬の奴踊り発祥地碑があります。八幡宮橋がこのような状態になっていました。なお、八幡宮橋や由緒等については過去の記事も参照ください。『八幡宮 (五所川原市金木町嘉瀬)』『八幡宮(五 ...

芦野公園。薬師堂鳥居落成記念碑(昭和55年10月8日建立)この鳥居については過去の記事も参照ください。ちょっとモヤッとするかも知れませんが笑『芦野観音堂 ・ 弘法大師堂 (五所川原市金木町)』この階段のせいで少しモヤッとするんですよね。小祠。この小祠は本来階段の ...

五所川原市金木町喜良市千苅。社号標「丹生川上神社」(大正6年旧4月17日)鳥居の鬼コ(力士ver)です。『鳥居の鬼コと力士』二之鳥居・三之鳥居。五所川原市HPより一部抜粋「喜良市地区の地名」…『天文年間(1532~54)の「津軽郡中名字」に奥法郡山辺のうちとして「忌来市 ...

五所川原市金木町喜良市千苅。鳥居の鬼コ(力士ver)です。同地区の丹生川上神社と同じく元々は真っ赤だった感じがしますね。『熊野宮(五所川原市金木町喜良市):鬼コ』『鳥居の鬼コと力士』社号標「村社熊野宮」(明治40年旧6月15日、喜良市村、文堂書)イチョウ。金木町 ...

五所川原市金山盛山。社号標「村社八幡宮」(奉納除厄記念、昭和18年6月13日かな…)郷望之碑…『県・市褒賞受賞者東京ビルデング株式会社社長高橋昭夫氏は、若くして雄図を中央に拡げ、その非凡な炯眼と、超群の努力は遂に、経済界において大成をなし、加之、氏は愛郷心極め ...

闇龗神社の隣に鎮座。境内社になります。参道の末社。以前は水虎様として紹介しましたが、改めて見てみるとその判別は微妙ですね。そして木造河童型については結局わからず。少なくとも鳥居にはありませんでした。狛犬一対(昭和16年旧6月9日、北郡長橋村大字神山、土木建築 ...

青森県五所川原市神山。神山は津軽平野と梵珠山地との境に位置しており、東方には又白山・梵珠山をはじめとする山地が広がり、東南部に長橋溜池があります。集落の北端に神山館跡があって館主には神山左京之助説と深浦弾正説があるそうです。地名の由来は中世の館主神山氏に ...

五所川原市七ツ館虫流。じゃんばら注連縄の美しさに気を取られて三俵の裏に隠れている鬼コを見逃さないように。鳥居の鬼コ。綺麗に塗り直されていますね。お尻は見せてくれないタイプ(額束尻隠タイプ)です。社号標(昭和20年旧6月15日、白戸勘四郎建之)「御大典記念村社八 ...

嘉瀬観音山(嘉瀬スキー場:昭和6年)です。嘉瀬駅の東約700m、標高約50mの松林の丘陵。地元では憩いと信仰の場となっております。疎開中の太宰治が地元の青年たちに招かれて、ここで発表前の「トカトントン」や「春の枯葉」「冬の花火」を朗読したという逸話を残しています ...

塗り直された鬼コを拝みに行ってきました。 以前はなかった由緒案内板。 再々訪なので、由緒等は過去の記事をご覧ください。今回は修復された鬼コ目的で参拝。 過去の記事 『八幡宮(五所川原市唐笠柳)』 『八幡宮(五所川原市唐笠柳):鬼コ』 鳩一対(昭和6年)。 ...

飯詰字影日沢。飯詰本村の長坂集落から北方の沢目にあった村。飯詰の観光マップにも紹介されています。ちなみに飯詰地区の朝日沢(朝日館城跡にできた村)は影日沢に対する地名として名付けられたと伝えます。味噌ヶ沢は飯詰の支村で明暦元年(1655)に開村された村。味噌を ...

飯詰浄水場。飯詰の周辺散策マップや観光マップにて紹介されているのに閉まっています!仕方がないので、観光マップの説明だけ掲載しておきます。 『いずみ小学校の東5百メートル、小高い丘を登ったところに浄水場があり、洋館風のステキな建物で、まさに大正モダンの建造 ...

藻川保育園と沼の間の小高い松林の中に鎮座。 明治18年2月に雪どけのため岩木川堤防が決壊。これまでの小さな沼が大沼となりました。治水神として祀ったものと考えられていますが、以下のような由来が残っています。 藻川の一戸勘七氏の夢枕に現れた神のお告げにより ...

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