くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (板柳町)

北津軽郡板柳町掛落林宮本。掛落林(かけおちばやし)は古くは「くらのばやし」・「からばやし」とも読んだようです。陸奥国津軽郡村仮名付帳には「クワラノハヤシ」とあります。岩木川の中流右岸に位置。地名の由来についてですが、伝承によりますと旅僧が掛絡(法衣)を桑 ...

北津軽郡板柳町常海橋駒田。常海橋は津軽平野中央部、十川中流左岸に位置。地名の由来は雪解けや長雨の頃には四方から濁水が流れ込んで丘陵地の橋のように取り残されることによるとも、高野千坊の末寺浄海寺があったことによるとも伝えます。江戸期以降の常海橋村は津軽郡田 ...

県道196号五林平藤崎線沿いにあります。赤い鳥居と立派な注連縄が目立ちます。鳥居。立派な注連縄です。堂宇。由緒等については調べておりません。実は迷子になってたまたま辿り着きました。達磨大師に助けてもらおうと思いましたが、通常は施錠されており達磨大師を拝むこと ...

青森県北津軽郡板柳町大字板柳土井。由緒等は前回の記事も参照ください。前回の記事『五雲山 正休寺 (板柳町)』鐘楼等。板柳町役場付近の散歩していた際に立ち寄りました。本堂。安田次郎兵衛菩提寺。中央アップルモールにあった案内板より…『【宗派】真宗大谷派(東本願 ...

板柳町には深味八幡宮や杉山屋敷跡のほか、御成座敷、石田路、杉山渡などの縁の場所があります。詳細は以前の記事も参照ください。前回の記事と関連記事『杉山屋敷跡 (板柳町)』『深味八幡宮 (杉山八幡宮・板柳町)』『深味八幡宮(板柳町)』『杉山渡(鶴田堰)中央アッ ...

深味村について…『江戸期-明治22年の村名。津軽郡田舎庄のうち。弘前藩領。村高は「貞享郷村帳」2,407石余、「貞享4年検地水帳」760石余(田709石余・畑屋敷50石余)、「寛保高辻帳」2,407石余、「天保郷帳」607石余、「旧高旧領」806石余。石田三成の次男隼人正源吾は関ケ ...

灰沼村は寛永11年(1634)に千葉治右衛門が開村。 御祭神は譽田別尊。 現在は通称栄町八幡宮として親しまれているようです。 貞享4年検地水帳によりますと灰沼村には栄太夫抱えの八幡社地が見えます。 灰沼八幡宮は延宝9年(1681)の堂宮神主山伏行人之覚 ...

小幡村は古くは新屋村と称しており、天保4年の村絵図には掛落林村之内新屋村と見えます。貞享4年検地の際に小幡となり、享保11年に独立。小幡八幡宮境内に隣接して、旧満州皇帝溥儀の侍衛長を務めた工藤忠閣下の生家「皇帝の森」があります。 天和元年(1681)建立。御祭神 ...

かつての横沢村。 御祭神は伊弉諾命・伊弉冊命。 安政2年神社書上帳によりますと、貞享元年(1684)再建の熊野宮(観音堂)がみえます。横沢・辻両村にて建立。 延宝5年(1677)大破となり貞享元年に再建されたものと考えられます。 本殿。 狛犬二対。 文政9年8 ...

かつての飯田村。 貞享4年検地水帳によりますと、村中抱えの地蔵堂地、助十郎抱えの観音堂地があります。 御祭神は闇淤加美神。 青森県神社庁HPによりますと、創建不詳で、海童神社と同様岩木川沿岸の地によく祭られた社であり、綿津見神三神上・中・底のうち上津綿津見 ...

かつての石野村。 貞享4年検地水帳によりますと、栄太夫抱えの地蔵堂地がみえます。 この地蔵堂が愛宕宮であり、後(文政2年(1819)以降)に改称されたものと思われます。 御祭神は火産霊神。 安政2年神社書上帳によりますと、明暦3年(1657)勧請。慶安元年再建。 ...

狐森村は佐野家と楠美家を中心に開発された村です。 よくある地名かも知れませんが、稲荷神社に相応しい村名ですね。 森の面影も残っていますし。 貞享4年検地水帳によりますと稲荷社地が見えます。 御祭神は宇迦之御魂神。 創建不詳。明治6年に五幾形稲荷神社を一時 ...

かつての五幾形村。 住宅に挟まれた参道。 貞享4年検地水帳によりますと、宮太夫抱えの稲荷社地が見えます。 創建は寛文3年(1663)。御祭神は宇迦之御魂神。 明治6年には狐森稲荷神社に合祀。 同8年復社。同9年村社。 庚申塔等。結構変わったタ ...

御祭神は譽田別尊。 青森県神社庁HPによりますと、大正4年12月20日、斎藤伝左衛門が書いた柏木郷社八幡宮資料に「寛永年中同村本尊弥陀薬師観之三尊堂建立ス」とあり、元禄15年(1702)社堂社地境内記には「延宝3年建立」。 また、延宝9年(1681)堂宮神主山伏行人 ...

地図には野中神社とありました。 蓮正院から程近い場所です。 御祭神は譽田別尊、倉稲魂命。  板柳誌によれば野中村に慶安5年もしくは承応2年勧請と伝わる稲荷宮があります。 明治6年に稲荷宮を境村八幡宮へ合祀しましたが、参詣に不便なために引き上げて、明治8年に ...

比較的新しい一の鳥居。 一の鳥居からすぐに右へ直角に曲がると参道正面。 貞享4年検地水帳に彦十郎抱えの八幡社地がみえます。 板柳町誌によりますと、承応3年、成田与兵衛の創立と伝えられます。 明治6年に高増村の鹿島神社へ合祀。 明治12年に復社。 ...

日新の愛宕神社。 シンプルな社殿。 狛犬等もなく神仏混淆を感じさせる石仏のみがあります。合掌する坐像。 本殿。 あまりにも由緒等が見えてこないので付近の住民を探してみましたが…見つかりませんでした(笑) ブログ村ランキング参加中 ...

シャッターがきちんと開かなくて、自然とトイカメラ風になるバカメラ!(笑) 元和・寛永年間より開発された三千石遣14ヶ村の1村。天保年間には小阿弥堰の水下に編成。 元々は毘沙門堂で、明治初年の神仏分離令により村社となります。 狛犬。 立派な御神馬。 御祭神 ...

御祭神は品陀別命。寛文9年に再建し村社八幡宮。現在の社殿は昭和37年建立。8月14日に落慶式。翌日の15日の大祭には善男善女合わせて数千人が集まったといいます。例大祭6月15日(現8月15日)。鳥居には杉山家の家紋である籠目風車の紋章が掲げられています。 関ヶ原の戦い ...

昭和32年、私有とされていた毘沙門天を再び氏神として祀って鹿島神社として建立。 御神体の毘沙門天は徳兵ヱという人が南部から持って来たもので、田村麿呂将軍手造りの古物と伝えられています。 徳兵ヱはこれを氏神として屋敷内に祀っていましたが、没後はその子孫が絶え ...

標柱より… 「万治2年(1659)弘前真教寺より開基されたとある。以来焼失再建等の記録有り、山門は寛政年間の建立と推定、切妻造、四脚門等の構造技術が発揮された貴重なる建造物である。」 貞享4年(1687)検地水帳にも正休寺屋敷がみえます。 山門は町文化財第2号。 ...

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