くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ:寺・神社 (平川市) > 寺・神社 (旧尾上町)

平川市蓮の花まつりへ。 訪れたのは7月24日。 時期が早かったのか、時間が遅かったのか…時期が早かった感じですね。 見晴ケ池の畔に、今年の春に新聞等で見た「こいこい神社」がありました。 こいこい神社…『壱、白い鯉は恋愛成就。弐、黒い鯉は悩み解消。参、金の ...

清藤氏書院庭園(盛秀園)へ。 清藤家本邸庭園・清藤氏書院庭園・盛秀園…『一.史跡名勝国指定文化財(文部省告示第140号)。一.様式:平庭式、枯山水、観賞式。一.面積:593㎡(約180坪)。清藤家本邸庭園は、書院の南面にある平庭枯山水である。東南隅に滝石組があり、 ...

乳井通(碇ヶ関通)が北東から南西にと縦断しています。また東への山形道、西への猿賀道も交差。集落は十字路を中心に四方へ広がりました。 おく富士。 人気の大十食堂。 明治33年創業。 南の乳井通東側(栄松)には貞享年間に猿賀代官所がありました。宝暦5年再建。 ...

かつての新山村。 手水舎。 狛犬一対。 貞享4年検地水帳によりますと、専太夫抱えの天神社地2畝歩が見えます。 字岡部の天神社は延宝2年(1674)に開拓者岩崎庄左衛門の創建。 明治初年に天満宮へと改称。一時大袋村稲荷神社の相殿となりますが、まもなく復社。 ...

創建等は不詳。 かつての長田村で貞享4年検地水帳に村抱え稲荷社地1畝余がみえます。 明治6年に杉館村八幡宮の相殿になりますが、同9年に復社。 本殿。 手水舎。 狐一対。 狛犬一対。 石灯籠。 不自然な石が転がっていました。力石か何かかと思ったのですが特に ...

御祭神は闇おかみ神・綿津見神。十和田様と呼ばれ、三ツ目内系であるといいます。 貞享4年検地水帳によりますと藤五郎抱えの観音堂地6畝余があります。 この観音堂が当貴船神社。 元和年間(1615-1624)に創建。 大同年間に坂上田村麻呂の勧請とも伝えます。 明治 ...

貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの観音堂地2畝余があります。永正2年(1505)浅石城主千徳左衛門政久の家臣である天内治右衛門が社殿を建立して馬頭観音を勧請。以後、崇染堂と称せられ、永禄3年(1560)李平村にて社殿を改築しますが、天正3年(1575)焼失。 寛 ...

平成25年(2013)に行われた新鳥居の竣工式の際に、取り壊した古い鳥居から台輪に「明應4年(1495)」と記されているのが発見されました。その後の調査結果は未だにわかりませんが、神社の由緒に係る重要な発見です。 御祭神は大國主神、経津主神、事代主神、天鈿女神、 ...

御本尊は文殊菩薩。 卯年の一代さま。 津軽弘法大師霊場第21番札所。 初代住職蒔田照正僧正の夢の中に龍に乗った白髪の老人が現れて、「赤倉の地にお堂を建てよ」と告げられ、赤倉の地に一代堂(昭和35年)、大師堂(昭和40年)を建立。金剛寺本堂は昭和55年に完成。 ...

かつての蒲田村。 創建及び由緒等は不明。 貞享4年(1687)検地水帳によりますと、専太夫抱えの稲荷社が見えます。歴史や信仰は深そうです。 猿田彦大神。 庚申塚。 その隣には… う~ん…(笑) 拝殿落成記念碑や赤松等の寄付者名が彫られた記念碑など。 本 ...

御祭神は天照皇大神、譽田別尊、天児屋根命。相殿神に大己貴神、少彦名神。 鳥居の水色の個性的な鬼コがいる神社です。 境内の周囲には用水堰が流れています。 草創の年月日は不詳。 古くより中津軽郡和徳村俵元の高山治助氏邸内に祀られ、 明治13年5月8日に許可を得て ...

「山神社(大山祗神社・平川市金屋)」の記事はこちら。 今回は先日紹介しました山神社の更に奥にある大石神を目指します。地図で行けば水色&黄色のルートになります。水色の道も存在しましたが、どうやら緑のようなルートも存在し、最も近いのは本殿裏手からのルートかと ...

今回は冒険心を高めるため、少し古い地図だけを手にして、先日紹介した南田中の熊野宮から山神社を目指してみました。 南田中の熊野宮の記事:『熊野宮 & 田中館 (平川市南田中)』 青いルートを見れば「ただ真っ直ぐ行けばいいだけじゃん」って思われるかも知れませんが ...

かつての田中村。 天正8年(1580)に津軽藩祖為信の臣で太郎五郎吉祥の子田中惣右衛門宗久の領地となり居館が置かれたことにちなむ地名。 宗久は新屋村にも知行地を持っていたために、本田中村とも称したといいます。 田中館跡地は現在の熊野宮境内で水堀跡を僅かに ...

尾上町八幡崎は田圃を隔てて北に新山村、東に猿賀村、南に杉館村、西に日沼村、北西に蒲田村があります。 この地区は史跡八幡崎遺跡があり、その上に鎮座。 集落西端の宮本にある旧村社八幡宮は誉田別命を祭神とし、享和3年(1803)の寺社領分限帳によりますと、大同2年 ...

さてさて、猿賀神社探索シリーズの最後です(笑) 「猿賀石は旧猿賀字石林39番地から明治36年に移されたもので、古代人の巨石崇拝の遺物であると推定され、元あった場所は古代人の斎場遺跡と考えられ、猿賀・石林の地名もこれから起こった。丑石は字明堂238番2号地の丑盛から ...

猿賀神社及び盛美園裏手に「弥生遺跡」「小田崎」「五ツ盛」「七坊跡」とあります。 田舎館の弥生垂柳遺跡は有名ですが、弥生人が住居したのは高台と言われています。それが猿賀の高台。さて向ってみましょう。 盛美園の庭の構造は中央部分には木々が無く、裏の田園遠くの ...

猿賀神社といえばかつての猿賀館の跡地としても知られています。 境内に標柱が立っています。一度冬に訪れたら、まったく遺構がわかりませんでした(当たり前) 雪がない季節に訪れましたら、標柱の奥にはっきりと猿賀館の遺構が残っていました。 社殿の西側。土塁と空堀で ...

奥州津軽の霊地、猿賀神社 (奥州猿賀山深砂大権現堂)。御祭神は上毛野君田道命。相殿神保食神。旧県社。江戸時代までは深沙宮・深沙大権現と呼ばれました。また、別当寺と一体で猿賀神宮寺とも言われます。『津軽ふるさと散歩(小舘衷三)』には次のようにあります。『( ...

猿賀山深沙大権現堂は猿賀村の南寄りに鎮座。 古くから猿賀山深沙大権現堂の別当の猿賀山長命院神宮寺。 猿賀神社と同じ由緒を持ち、延暦年間(781~805)に坂上田村麻呂が東夷東征の際、古くから祭られていた上毛野君田道命に戦勝祈願したところ見事念願成就。 感謝 ...

猿賀神社拝殿東側の鏡ヶ池湖畔に鎮座。水天宮水波能売神を祀ります。  社の天井には大蛇が二匹。祠の後方に龍があり、そこから水が流れ出ています。 弘前の胸肩神社のものと同じですね。 なぜ蛇?… 猿賀神社の祭神は、蝦夷討伐の将で仁徳天皇55年(367年)に伊峙水門( ...

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