くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 遺構・遺跡・痕跡・城址・廃墟・碑等

三戸郡南部町森越上小路。森越についてです。かつては森之腰とも記しています。名久井岳の東北方、馬淵川右岸の河岸段丘上に位置しており、馬淵川を挟んで剣吉・斗賀と相対します。集落の東と西を小流が南から北上、それぞれ狭長な沢を形成しながら馬淵川に注ぎます。北部は ...

秋田県鹿角市八幡平長牛下モ平。鹿角市指定有形文化財(考古資料)。昭和54年2月21日指定。鹿角市内の板碑は八幡平地区にのみ集中し、しかも建立年代が接近しているそうです。当板碑は昭和14年に郷土史家浅井小魚によってはじめて確認されたもの。大正の初め、佐々木家で長牛 ...

秋田県鹿角市八幡平長牛。長牛大日神社(大日靈貴神社)は長牛城跡(主郭跡)に鎮座しています。藩境故に常に主戦場となった長牛城。あちらに見えるのは八幡館。上には八幡神社が鎮座しているのが見えます。だんぶり長者の伝説に関わる鹿角市の小豆沢・長牛及び大館市比内町 ...

秋田県大館市比内町独鈷大日堂前。大日神社へ向かう道中の案内板…『これより上る高台は、上野(うわの)と称して縄文中期以降の遺跡と戦国武将「浅利氏」の居城跡が連なる古代比内地方の重要拠点であった。近年まで野中・庚塚の集落も存在した。鹿角市にある小豆沢・長牛の ...

看板(上写真)の所にあった「大日堂前遺跡【独鈷遺跡】・中世「甲斐源氏浅利氏」十狐城址入口」案内板(下写真)…『これより上る高台は、上野(うわの)と称して縄文中期以降の遺跡と戦国武将「浅利氏」の居城跡が連なる古代比内地方の重要拠点であった。近年まで野中・庚 ...

岩手県奥州市胆沢若柳。岩手県企業局胆沢第三発電所手前。武兵衛穴出口…『「武兵衛穴出口」は、旧穴山堰の最初の穴堰(トンネル部)の出口にあたります。平成11年10月発掘確認しました。約400年以上前からのものと伝えられています。この場所は、穴堰の入り口となる七左エ門 ...

岩手県奥州市胆沢南都田清水下。国道397号沿い。要害(止々井館)跡(南都田本木)の西方。かつては国道397号にせり出す唐傘松が目印となっていましたが、数年前に雪の影響で一部伐採されています。古くは、止止井神社として大湯河桁命が祀られ、延喜式内社の胆沢郡七座のう ...

横手市大森町坂部字若志田沢。蟹沢頭の境塚。保呂羽山にあります。境塚…『久保田、亀田両藩の境界、文化10(1813)年10月21日築盛。両藩の境界は初めから不明のまま双方地元農民の間に紛争は絶えなかった。元禄13(1700)年幕府の裁定によって絵図面では一應の決着を見た。 ...

青森県南津軽郡藤崎町四本松(表町)。表町は八幡宮の存在が大きな比重を占めています。八幡宮は平安時代末期の寛治6年に、安東氏の本城である藤崎城が完成した際、その館神として創建されたと伝えます。八幡宮の鎮座地は藤崎城の東側の端にあたり、境内はL字型に曲がった巨 ...

岩手県奥州市胆沢若柳天沢。徳川家三代将軍家光は鎖国政策の一環として、全国に関所を設けましたが、伊達藩では領分境目の28箇所に御番所を設けました。この地は寛文3年に群方横目や足軽を配置し、常時2人の役人が交代で秋田への旅人や物資の流出の取り締まりをした御番所に ...

青森県五所川原市金木町嘉瀬萩元。嘉瀬八幡宮前。嘉瀬には青森県無形文化財(技芸)に指定されている「嘉瀬の奴踊」があります。この踊りは新田開発にあたっていた不遇の主人を慰めるため忠僕が踊ったのが始まりとされており、歌詞の一つには「嘉瀬と金木の間の川コ、石コ流 ...

岩手県紫波郡紫波町南日詰宮崎。五郎沼の畔。五郎沼南東部。国道4号線を挟んで嶋の堂観音の向かい。紫波町観光交流協会HP「五郎沼」より…『奥州藤原氏初代清衡の孫桶爪太郎俊衡、五郎季衡兄弟の館が近くにあり、五郎がこの沼で遊泳していたことからその名がつけられたといわ ...

岩手県紫波郡紫波町南日詰箱清水~北日詰東ノ坊。紫波町観光交流協会「樋爪館跡」より…『《紫波町指定史跡》紫波町指定史跡樋爪館跡の範囲は、樋爪館遺跡と五郎沼遺跡を合わせた約12万㎡です。樋爪は、世界文化遺産平泉の奥州藤原氏初代清衡の子清綱に始まり、その子俊衡に ...

紫波郡紫波町南日詰箱清水。樋爪館跡。神社前に大荘厳寺跡の標柱があります。更にそのすぐ近くに箱清水石卒都婆群があります。五郎沼薬師神社(旧社格村社)…『【御祭神】少彦名命【例祭日】9月の第2土曜日(旧9月10日)【由緒】今から約八百年前、藤原三代の初代藤原清衡の ...

岩手県紫波郡紫波町南日詰箱清水。五郎沼。大荘厳寺跡。紫波町観光交流協会「大荘厳寺跡」より…『大荘厳寺は、比爪館の構成要素として、「政庁」、「御所」とともに造営された「寺院」です。奥州藤原氏の滅亡後も大荘厳寺は存続し、中世を通じて、比爪館のあった箱清水地内 ...

岩手県奥州市胆沢南都田作屋敷。なお、作屋敷遺跡発掘調査報告書がネット上で見ることができるので、詳しくはそちらをご覧ください。鳥居。作屋敷遺跡(古代)標柱(平成17年9月)作屋敷遺跡の神社。胆沢まるごと案内所によりますと大日堂(大日如来堂)のようです。大日堂は ...

岩手県奥州市胆沢若柳堰袋。旧仙北街道一里塚のすぐ西。こちらは大きな看板があったので立ち寄りましたが、旧仙北街道一里塚にはまったく気付きませんでした。仙北街道は坂上田村麻呂の胆沢城築城に伴い陸奥と出羽を結ぶ道として開かれた歴史ある古道。時代とともに経済・文 ...

岩手県奥州市胆沢若柳大歩。大歩昭和の一里塚から若宮八幡神社方面へ向かう橋…の下!寿安堰旧取入口跡。降りることができます。そのままですが…「跡」っていう感じです。水の郷胆沢の礎を感じてください。水土里ネット胆沢平野HP「寿安堰」より…『【胆沢平野の二大用水の ...

岩手県奥州市江刺岩谷堂下苗代沢。鎭岡神社・五位塚墳丘群(藤原経清一族墓所)の北方。木の下に小さな水溜りのような池。こんな感じ。ちょっと不思議。高水寺跡(伝・48代稱徳天皇勅願の名刹と伝えられる)とありました。古峯神社。「南無阿彌陀佛」(明治44年6月吉日)。「 ...

岩手県奥州市胆沢若柳上鹿合。鹿合館(山居館)跡。あれ!?立入禁止です。っていうか…立ち入ることができない状態です。終了!!案内図。鹿合館跡(昭和63年12月胆沢町教育委員会)…『大化改新(645年)以降、国家の統一が進むにつれて都を中心に「平城」が築かれ政治・軍 ...

八戸市櫛引館神。県道134号櫛引上名久井三戸線。櫛引城跡地。写真は馬淵川に架かる櫛引水管橋(昭和50年4月竣功)。景色は最高のようですが、残念ながら通行止めになっております。櫛引薬師如来堂入口。ちょっと大変な参道です。手すりなどはありますが、あまりおすすめはで ...

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