くぐる鳥居は鬼ばかり

Buddhist temples and Shinto shrines.

カテゴリ: 寺・神社 (弘前市)

弘前市中野2丁目。県道127号弘前地区消防事務組合東消防署枡形分署向かい付近の小道を入り、弘前市第二市民プール方面へ行く途中に鎮座しております。鳥居の横の建物は身代地蔵尊です。鳥居(平成28年5月吉日建立)。周囲に学校が多く、宵宮はとても賑わいます。狛犬一対。手 ...

弘前市青女子桜苅。県道37号弘前柏線の大蜂川に架かる新大蜂橋のすぐ近くになります。岩木川中流左岸の河岸段丘上に位置し、戦国期には「青子」とも記されました(天文年間の津軽郡中名字に鼻和郡のうちとして青子(アヲナゴ)と見えます。津軽一統志)。また、「青湖」とも ...

弘前市富栄笹崎。富栄は岩木山麓の東に位置。地名由来は明治9年、鶴田・三ツ森・四戸野沢・小島の4ヶ村が合併して成立したため、新村が将来富み栄えることを願い付けられました。集落の北を血洗川が流れています。縄文時代遺跡として、三ツ森Ⅰ・Ⅱ遺跡があり、中世の城館と ...

弘前市種市熊谷。社号標「村社熊野宮」(明治35年3月14日)。彫刻がかっこいいです。灯籠一対。燈臺奉献…『除厄記念。太田松衛、對馬正直、小山内留、奈良直四郎、田中繁三郎、小山内浅雄、奈良喜代一、齋藤藤男、竹浪幸七、田中小次郎、對馬千代衛、小山内修三、奈良柾市、 ...

弘前市中崎野脇。一之鳥居(両部鳥居)は昭和8年7月14日建之(中﨑村中)社号標「月夜見神社」(日露戦役出征軍人紀念、三浦寅太郎、小山内権之助、松山参三、廣田藤吉、工藤兼次郎。明治40年6月14日、発起人松山榮)参道。岩木川中流域の左岸に位置しており、集落には後長根 ...

弘前市三和上池神。鳥居は平成14年11月吉日建立(三和町会奉納)。日吉神社・胸肩神社日露戦役紀念碑(明治39年8月16日)※出征軍人名省略二之鳥居(除厄祈願、平成5年元旦奉納)三之鳥居と神橋。手水石。手水石(昭和15年5月14日)御神馬(昭和6年4月16日)灯籠(紀元2600年 ...

弘前市常盤坂。社号標「神明宮」(大正15年7月15日、西村豐吉建之、英堂拝書、石工吉﨑健次郎、鳶進藤勘次郎)鳥居(明治百年記念、揚額御幣壱式奉納、昭和43年旧6月16日、弘前市大字常盤坂成田市太郎74才、成田きゑ66才敬白)鳥居神額。以前の参道は両端に松の木などが並ん ...

高照神社。弘前市高岡神馬野。社号標(奉祝皇紀2600年記念・昭和15年11月10日、高岡村中建立)参道。高岡の森弘前藩歴史館へ。弘前市高岡獅子沢128-112。休館日:第三月曜日(祝・休日の場合は翌日)、年末年始(12/29~1/3)、展示替え期間中。開館時間:9:30~16:30。武 ...

向外瀬は岩木川中流域右岸に位置し、地名の由来は岩木川を挟んで左岸に外瀬があり、その外瀬の向かいにあるという意味から向外瀬と称されたものと考えられています。江戸期以降の向外瀬村は津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。村高は正保高帳122石余、寛文高辻帳には存在せず、貞 ...

弘前市堅田3丁目18番地(元堅田字富田90)。羽州街道沿いに発達した旧堅田村は東に腰巻川、西に土淵川が流れ、現在は県道石川百田線とJR奥羽本線が走り、その東側に堅田3~5丁目、西側に1~2丁目があります。貞享4年御検地水帳には小字として宮川・富田・神田があり、面積は ...

弘前市藤沢野田。相馬藤沢地区多目的運動広場内。昭和60乙丑年7月12日藤澤村中。社号標「村社野田神社」(大正10年辛酉6月1日氏子中)過去の記事:『野田神社 (旧相馬村・弘前市)』『本社の創立は慶長年中(1311~1312)と伝えられ、当初は、山神宮・太子堂と称したという ...

弘前市悪戸村元。一之鳥居紀年銘「昭和12年4月30日、奉納者成田勇作」社号標「村社常盤神社」(大正9年旧7月17日悪戸村中敬白)以前の記事:『常盤神社 (弘前市悪戸)』常盤神社鳥居建立寄進芳名(1999年・平成11年7月17日建立)三之鳥居。その手前に鳥居の跡。参道。四之鳥 ...

弘前市和徳町。旧国道七号線沿い、近世の羽州街道沿い。和徳の名は天文年間には見られます。和徳稲荷神社は為信公に滅ぼされた小山内讃岐の和徳城址の一つに比定。一之鳥居は令和2年5月30日に改修されています。鳥居修築工事を行い、施工した弘和建設株式会社からの寄付によ ...

弘前市石川平野。小山館の毘沙門堂。前回の記事:『毘沙門天堂 (弘前市石川)』「毘沙門天堂」(明治45年3月3日)両部鳥居。参道石段(男坂)。女坂の方が歩きにくそう。男坂と女坂の合流点。堂宇前の鳥居。鳥居跡。もしくは手前もかつては両部鳥居だったのかも。庚申塔(嘉 ...

弘前市高杉尾上山。「故江戸相模白瀧岩五郎之碑」(大正4年旧7月15日建立)。側面。台座。前回の記事『住吉ハリギリ (弘前市高杉)』高杉は岩木山麓の東端、岩木川支流の大峰川左岸に位置。大字中別所にある板碑群中の正応元年銘のものに「高椙」の地名があり、元応3年銘の ...

弘前市常盤坂。真言宗智山派。成田山弘前寺(こうぜんじ)。津軽弘法大師霊場第五番礼所。御本尊は成田山不動明王。脇仏弘法大師、浪切不動。寺宝として不動明王の掛軸(江戸時代作)があります。「成田山」と刻まれた石碑の裏面。昭和29年10月28日建立。移転直後のものです ...

弘前市清水森村元。清水森入口の大和沢川に架かる中千歳橋。清水森町会入口にある百万遍。この百万遍は昭和30年に弘前市合併を記念して拓道和尚が建立したもの。観音様の御加護を願って子どもたちの遊び場を作る計画でしたが、計画途中で亡くなられたために中途で終わりまし ...

弘前市清水森村元。清水森入口の中千年橋の端に百万遍がありますが、百万遍は婆様たちの領分であり、称名庵は集まった婆様たちの娯楽の場でもあったようです。なお、現在の本堂は昭和47年建設で地区の集会所が併設されたものです。標柱(昭和25年8月建立、昭和24年6月認可國 ...

弘前市清水村元。金峯神社の裏手。以前の記事:『八幡宮 (弘前市清水森)』社号標(皇紀2600年記念、昭和15年11月10日、生田彌助敬白、當年62歳)。鳥居。灯籠一対。社殿。御祭神は誉田別尊。勧請は不明ですが貞享4年(1687)御検地水帳に「六間に五間」の「宮建無之」村中 ...

以前の記事『金峰(金峯)神社 & 蔵王大権現 (弘前市清水森)』蔵王大權現由来…『慶長6年3月7日より16日まで10日間為信公清水森に於て敵味方不問元亀2年以来戦死したる霊を弔せんがため須弥壇を設け大法会を執行せり法会の4日目に当り年の頃三十路を過ぎしとおぼてきその ...

清水森村についてです。江戸期から明治22年の村名。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。永禄日記、津軽一統志によりますと、慶長6年藩祖津軽為信は清水森に須弥壇を設け、津軽統一に際して戦死した敵見方の供養のために妙典千部の大法会を執行したとあり、慶長6年当時には既に立 ...

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