1
岩手県花巻市鉛字中平。
2
大自然に囲まれた豊沢川畔に建っております。
3
田宮虎彦の小説「銀心中」の舞台。宮沢賢治に愛され、作品にも唯一登場する宿。
4
4.5
公式HP
5
5.4
5.8
公式HPより一部抜粋…『開湯600年、源泉100%掛け流し。現代では再現することのできない、総けやき造りの本館。宮沢賢治、田宮虎彦が愛した宿。今から600年程前、当館の藤井家の祖先が高倉山麓でキコリをしている時に、岩窟から出てきた白猿がカツラの木の根元から湧き出る泉で手足の傷を癒す姿を見たことにより発見されたと言い伝えられています。これが温泉の湧出であることを知り、1443年頃に仮小屋を建て、一族が天然風呂として開いたと云われています。その後、大衆の浴場として1786年に長屋を建て、温泉旅館として開業したのが始まりです。このような理由で温泉開湯のきっかけから名を取り「白猿(しろざる)の湯」と呼ばれるように。藤三旅館の真下から溢れる、その湯は「新日本百名湯」「日本温泉遺産」に選ばれるほどの上質な湯です。有名といわれる温泉地でさえも滅多にない源泉5本を有し、館内全4浴場すべて「源泉100%掛流し」と贅を極めた湯に浸かることができますことができます。シャワーからでてくる湯までもが源泉を使用。「源泉100%」の真髄はここ、藤三旅館だからこそ味わうことができます。』
6
6.4
6.8
当館は「海街diary」のロケ地です。
7
7.5
当館、旅館部が是枝裕和感得作品「海街diary」のロケ地で使用して頂きました。平成27年6月公開。主人公4人(綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すず)が初めて顔を合わせるという重要なシーンの旅館[あづまや]として登場致します。
8
4人のサイン。
9
他にも有名人がたくさん宿泊しております。
10
藤三旅館の温泉むすめ「花巻吹歌」&映画「おいしい給食」のロケ地(市原隼人)
11
「秘湯をさがして」(岩木一二三「日本秘湯を守る会」創設者)…『田舎を捨てた人間だけに人一倍田舎を恋しがる東京人の一人である。幼い頃に、いろりのそばで母のぞうり作りを見、縄をなう父に育てられたからかも知れない。しかし、そのふるさとの家も跡かたもなく近代化され、牛小屋はコンクリート建ての車庫に変わってしまった。おいやめいが各々の車を持って走り回っているほどの経済発展の変化である。
 いったい、老いゆく自分達がどこに安住の地を求め、どこに心の支えをおいたらいいのだろうかと迷いながらさまよい歩いて三十年の歳月が流れていった。
旅行会社に席を置くために、つい旅行に出たり、旅と結びつけてしまうが、もうホテルもきらきらした旅館もたくさんだ、炭焼き小屋にでも泊めてもらって、キコリのおじさんとにぎりめしでもほうばってみたいと思うこともしばしば。
 馬鹿らしくて夜行列車なんか乗れませんよ。ジェット機が早くて楽で-。といったかと思うと、やっばり連絡船はよかったなあ-人間の哀歓を知っていた乗物だ。自分たちが必死で求めてきた近代文明に何か欠けていることがようやく解ってきた昨今の日本の姿であろうか。
 それはたしか昭和四十四、五年頃だったと思う。せめて自分だけでもいい。どんな山の中でもいい、静かになれるところで自分に人間を問いつめてみたいと思って杖をひいたのが奥鬼怒の渓国の温泉宿だった。ランプの明りを頼りにいろり端で主人と語りあかしたあの日が今でも忘れられない。目あきが目の見えない人に道を教えられたような思い出がよみがえってくる。公害のない蓮華温泉の星空はきれいだった。人間と宇宙がこれ以上近づいてはならない限界のようにさえ思われたのである。細々と山小屋を守る老夫婦の姿には頭が下がった。人間としてのせいいっぱいのがんばりと生き甲斐が山の宿に光っていた。
 ひとびとの旅は永遠に続いてゆく。それぞれ目的の異なる旅かも知れないが…。いづれの日か山の自然と出で湯は、ほのぼのとした人間らしさをよみがえらせてくれることだろう。秘湯で歴史を守ろうとじっとたえてきた人々の心の尊さがわかって頂ける時代が帰って来たのである。秘湯を守る皆さんや、秘湯を訪ねられるお客さん方に、私たちが近代社会の中で失いかけていたものは…という問を投げかけてみたい。これからの日本に大切なことは何か。それは、人間が共に考えながら、助け合いながら、築き上げ、守りぬく、ぬくもりのある人生の旅ではありますまいか。』
12
「山のいで湯を守って」(日本秘湯を守る会会員旅館一同)…『ずいぶん山の中で不便な思いもしました。冬は交通がと絶えたり食糧の確保すら難しい時代が長く続きました。いっそのこと山をおりてどこかで観光旅館でもと考えたこともしばしばでした。
 しかし、長年にわたってお訪ね下さるご常連のお客様や、先祖が守ってきた温泉のことを思うと去ることも新築することにも頭をかかえました。"残してくれ" "古くさい建て直せ" そんなお客さんの声を自問自答しながら生きて参りました。
 私どもの宿では、草一本、石ころひとつにも皆さんとの血が通っているよぅに思われてなりません。古いものや自然環境を残そうと、今日まで云うに云えない苦労も致しました。
 おかげさまで、昨今はそれだから来たんだよとおっしゃるお客さまが多くなり、古さを守るという生甲斐すら覚えるよぅになりました。有難いことだと思っています。山合いの古いボロ屋ですが、昔ながらの木の湯にひたり、"宿の夫婦が摘んだ山菜の味でよい、炉ばたでおやじ語ろうよ" と、おっしゃる皆さんのためにいつ迄も生き続けたいと念願しております。
 雪どけの道をお帰りになったあのお客さん、無事に国道まで出られたかしら……、そんなことを気にしながら今宵もまた訪ねて下さった都会の方々に山の暮しのおしゃべりを続けて参ります。』
13
温泉神社。
14
14.5
毎年9月上旬(花巻まつりの時期に合わせて開催されるのが通例)に例大祭が執り行われるそうです。
15
15.5
木彫りの猿。
16
16.5
竜神。
17
鉛温泉の由耒…『今から約五百余ねん前、当温泉主藤井家の遠祖が髙倉山麓に於て薪樵の折白猿が岩窟の中より出で桂の木の根元から湧出ずる泉で手足の傷を癒して居るを發見、これが温泉の湧出であることを知り、後嘉吉三年の頃假小屋を建てゝ一族が天然風呂として用いたと伝えられている。因に、藤井家の遠祖は稗貫城主藤原千夜叉丸の三男業忠公が円満寺膝立村を賜り膝立藏人と名乗り其の子膝立禅正輝忠公(後の花巻、安淨寺の開基)の郎黨で、輝忠公永享十二年江刺勢と私闘し利非ずして当鉛村に敗走耒り寺小屋を開塾し、またその郎黨は附近の林野を開拓し木樵・百姓等に変じて世を忍ぶ生活を營んでいたものという。其の後宝暦年間子孫の三右エ門が大衆の浴場となすべく、安淨寺住僧のはからいにて役司の許しを得当時の大飢饉・震災等の苦難を克服し天明六年子三之助の代となり初めて長屋を建て温泉旅館業を開始せりという。これが即ち薬泉霊場として世に名聲の髙い鉛温泉天然風呂「桂乃湯」別名「白猿の湯」の由耒である 天保十二年九月 客人 名須川義武之書より記す 安淨寺膝立泰全師述 昭和二十六年七月 聡揁書』
18
ちなみに私が宿泊したのは別邸の「心の刻 十三月」。
19
源泉100%かけ流しの露天風呂付きラグジュアリースイート。60㎡以上のお部屋にある豊沢川に面したデッキスペースには大きな湯船があり、清流の眺め、樹木の緑や紅葉、雪景色、せせらぎの音や鳥のさえずり…あふれる自然と名湯を心ゆくまで独占できます。
20
なお、藤三旅館とは繋がっているので、藤三旅館の4つの浴場も楽しめますよ。なお、十三月は「はじめて出会う」・「これまでにない」という意味を込めた造語とのこと。
21
21.5
ロビー・ラウンジ。ソファやテーブルはデザイナーズ家具。
22
22.2
22.4
22.8
ラウンジに併設されている足湯(源泉100%かけ流し)。晴れた夜には満天の星空をうっとり眺めながら浸かることができます。
23
23.5
「藤時fuji」・「ロビー・ラウンジ」の二つのスペースで、フリーフローサービスが提供されています。
24
お食事へ。
25
25.5
乾杯!
26
文月のお品書きです。※食材の関係で内容が変わる場合があります。
27
一、【先付】いわい鶏ホワイトシチューパイ包み焼き
28
28.5
一、【小鉢仁科】紅芋豆腐・雲丹・海老・山葵・アスパラガス・旨出汁あん、煮穴子・茄子・姫竹・煮蛸・分葱蕎麦の実和え
29
29.4
29.8
一、【椀物】ホワイトコーンすり流し・篷麩(よもぎふ)
30
一、【造里】本鮪と本日のおすすめ・宮古サーモンサラダ仕立
31
31.5
乾杯!
32
一、【強肴】国産牛ヒレ瓦焼き
33
33.5
一、【お口直し】季節のシャーベット
34
34.5
一、【焼物】冬瓜クリーム蒸し・河豚焼き・生姜あん
35
35.4
35.8
お口直しの乾杯!
36
一、【食事】花巻成田産減農薬ひとめぼれ
37
37.5
一、【ご飯の友】ぎばさしその実佃煮・芥子菜(からしな)昆布漬け・ちりめん山椒
38
一、【止め椀】味噌汁
39
一、【デザート】抹茶ティラミス・木🅂津のフルーツ
40
以下、朝食の写真。
41
鉛についてです。北上川支流の豊沢川沿いに位置。奥羽山脈中にあって周囲は山岳で囲まれています。地内の鉛温泉では、春先・秋口の2回、夜半と昼に湯が鉛色に濁る時期があり、その時には温泉の効能が普段に倍するといいます。この湯が鉛色に濁る現象に因み、鉛の地名が起こったと伝えます。江戸期以降の鉛村は稗貫郡のうち。盛岡藩領。享保20年から万丁目通に属します。村高は正保郷村帳15石余(田11石余・畑4石余)、貞享高辻帳18石余、邦内郷村志21石余、天保郷帳73石余、安政高辻帳58石余、旧高旧領55石余、明治8年62石余。なお、仮名付帳では当村の枝郷として下沢(くたしざわ)村・豊沢村が見えます。天保8年には、天保飢饉にもかかわらず藩が重税を課したため、当地方の農民達は仙台藩に訴えて解決を図ろうと数千人が鍋倉村に結集、中央道を避けて西山根通りを南進し、仙台藩の立会で訴えの一部は達せられましたが、上根子村喜四郎を含む首謀者は打首となりました。寛政9年の家数15。本枝村付並位付にりますと位付は下の中、家数17。宝暦年間、当地の村人によって発見されたという鉛温泉は、天明6年浴場として開かれ、年間を通じて浴客が集まり、当村は往来の人々で賑わったといいます。慶応2年、ここに湯治中の藩主南部利剛が付近の8景勝を侍臣に吟詠させてつくられた「鉛八景画帖」は、温泉を管理する花巻城下安浄寺へ与えられています。明治元年松本藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て、同5年岩手県所属。同9年の村の幅員は東西約25町・南北約1里6町、税地は田7町余・畑23町余など計37町余、戸数29・人口192(男102・女90)、馬46、職業別戸数は農業19・炭焼3・杣稼6、物産は稗・小豆・蕎麦・太布・木炭・真木、下沢村から豊沢村に通ずる沢内街道が地内を通ります。同10年鉛郵便局開設。同22年湯口村の大字となります。昭和29年からは花巻市の大字。戸数・人口は、明治22年19・231、大正6年67・260。世帯数・人口は、昭和25年121・538、同40年91・507。中山街道は、花巻町を起点に豊沢川沿いに志戸平・大沢・鉛の各温泉場を経て豊沢から和賀郡沢内村川舟に至る道路で、安永8年に開削された道路ですが、現在の道路は明治26~28年にかけて完成し、大正12年花巻~鉛間、昭和20年鉛~川舟間が県道に編入されました。大正4年から同街道の路面上に花巻電鉄鉛線が着工されており、大沢~西鉛間は同14年の敷設。昭和35年、字西鉛の地に新鉛温泉が掘り当てられ、温泉旅館が営業開始。同44年利用者激減のため鉛線の運行が廃止されました。
42
42.5
豊沢川についてです。北上川水系の支川。1級河川。花巻市を流れます。延長33km。水源は市の北西部、岩手郡雫石町境。上流に豊沢ダムが造られ豊沢湖(人造湖)があります。上流は山間部を流れますが、中流から下流にかけては灌漑用水の役割を果たします。市の中心街の南桜町で北上川に注ぎます。上流域には温泉が多く、新鉛・鉛・高倉山・大沢・志戸平・松倉の各温泉があります。中流の平坦地に湯口・太田・上根子などの集落が開け水田地帯が形成されています。合流点付近には市の中心街が広がり、花巻城跡、勝行院の国宝木造阿弥陀如来坐像など文化財も多いです。近年流域の丘陵地にブドウ園・リンゴ園が広がり、観光資源にもなっています。支流に大沢川・三ツ沢川・瀬ノ沢川・寒沢川があります。
43
鉛温泉についてです。花巻市鉛字中平にある温泉。藤井家の遠祖が高倉山麓で薪樵の折、白猿が岩窟から出て、カツラの木の根元から湧き出る泉で手足の傷を癒しているのを見て温泉の湧出を知り、嘉吉3年(1443)のころ仮小屋を建てて一族が天然風呂として用いたと伝えます。単純泉で、リウマチ性疾患・運動器障害などに効用があるといいます。泉温52~63℃、源泉数4、宿泊施設数1、収容定員515人、宿泊利用人員4万2,701人(昭和57年)。大沢温泉から豊沢川沿いに遡った所にあり、湯治場でしたが、現在はスキー場、豊沢ダム、豊沢川の渓流などがあり、散策の適地となっています。上流には西鉛温泉・新鉛温泉があります。国鉄東北本線花巻駅からバスで40分の距離。
44
以上、素敵な旅館でした。
45
45.5
関連記事
46
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ