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岩手県花巻市一本杉。入口右手に神楽殿。例祭日に小瀬川神楽が奉納されます。
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一之鳥居(平成14年11月吉日建立)
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一本杉はもとは花巻市花巻の一部で、町名は昔この地に一本の杉の大樹があったことによるといいます。「管轄地誌」によりますと明治9年に花巻村字一本杉とあり、字地であったことがわかります。
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二之鳥居。
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社号標(昭和31年7月建立、猫塚市造・高橋正一・猫塚福治)
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灯籠一対(平成25年11月吉日建立、猫塚忠造傘寿・猫塚ミネ卒寿)
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7.5
社殿。
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御祭神は軻遇突知命。
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例祭日7月24日。
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拝殿向拝蟇股・木鼻等。
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蟇股裏面…『昭和30年旧12月24日平賀豊一奉納・花巻市矢沢髙木、彫刻小原雲開作』
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拝殿向拝神額(昭和30年12月24日高橋慶藏)
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由緒…『天正19年(1591)南部信直は北秀愛に和賀・稗貫八千石を与えて花巻郡代に任命した。秀愛は盛岡に通ずる街道筋として文禄年中(1593頃)四日町に町づくりの重点をおいた。秀愛の死後、二代目の花巻郡代となった父の信愛(松斉)は南部利直(信直の子)の命をうけて慶長16年(1611)、当時鍋倉にあった万福寺を花巻に移し、八幡寺と改め、稗貫・和賀両郡十ヵ寺の本寺とし、その鎮守として軍神である愛宕の神を勧請したのが愛宕神社である。花巻が南方の伊達氏と境を接する軍事的な要所としての配慮と伝わっている。昭和30年(1955)12月、火事で焼けた。新田地区の人たちが、且て鍋倉にあったことを考え翌31年(1956)現地に遷宮し、今日に至っている。』
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石碑。
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月三山(出羽三山)・鳥海山・金華山(大正14乙丑年7月15日)
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早池峰山(明治36年旧7月15日)
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当國三十三処観世音
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月三山・鳥海山・金華山(大正2年10月8日)
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古峰神社(大正14乙丑年3月15日)
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当國三十三所観世音(昭和24年9月17日)
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鳥海山。
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巖手山(明治36年旧7月15日)
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月三山・鳥海山・金華山(明治42年8月15日)
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※下部参拝者の参拝日は昭和7年度・昭和8年7月26日
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石碑群。
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湯殿山・山神・七庚申(明治31年10月)・南無阿弥陀佛・足尾山(大正2年10月10日、施主猫塚市造建)
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27.1
27.2
27.3
27.4
農魂豊穣(県営ほ場整備事業新田地区、岩手県知事増田寛也)
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沿革(※ちょっと見辛かったので間違いがあるかも)…『本地区は、花巻市の中心市街地より北西約2.5kmに位置し、一級市道四日町山居線を挟んで南北に1.0km、東西に1.0kmの範囲にあり、昭和48年から58年に県営大規模ほ場整備事業豊沢川地区新田工区として30a区画に整備され、早くから農業近代化に取り組んできた地域である。 しかしながら大型機械化が進む近年では、農道幅員及びほ場整備の形状が狭小であり、用水路はベンチフリュームで整備されているが損壊並びに沈下等によるロスが大きく、水管理が煩雑で、排水路は土水路が大半であり一部組立柵渠フリューム等で整備がなされているものの、法面崩壊及び土砂堆積などによる断面不足や勾配不足を来しており、汎用耕地化に支障を来している状況であった。 このため、本地区の受益者一同は、地域農業の将来の姿に想いをいたし、営農の大型機械化、耕地の汎用化、農地の利用集積、担い手農家の育成、生活環境の向上など高生産性農業の確立を目指し平成十一年度から県営ほ場整備事業の着手に至った。 工事計画の樹立にあたって、ほ場は1ヘクタールの大規模区画を中心とし、用水路はパイプラインによるかんがい方式とし新型のロマグ式高性能濾過スクリーン除塵施設の採用、配水槽の統合並びに、既存の市道、農道を極力利用した区画形状にするなど低コスト生産及び事業費の縮減を目指した基盤整備を進めた。mた、防火水槽の設置など農村環境の整備にも取り組み、この地域の将来に至る整備となるよう関係農家が一丸となって事業を推進してきたものである。 また、地区外の市街化下流流域での河川等の水環境にも配慮し、年間を通じた維持用水及び水質浄化機能の強化する通水が可能となる取水施設を新たに設置して地区内外の環境を考慮して事業推進してきたものである。 ここに、今日の完工まで多くのご指導、ご努力をいただいた関係機関に感謝を申し上げるとともに、地域農業・農村の限りない発展を祈念し、事業完了を契機に記念碑を建立する。』
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