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秋田県北秋田市七日市伊勢堂岱。小猿部川の北、七日市の長岐邸の東方。七日市神明社。通称おせどう様。
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七日市(なぬかいち)は「なのかいち」ともいい、小猿部川中流部の左岸台地上に中心集落が発達。以南の小猿部川上流部全体の広大な山林地帯を含みます。地名は中世の三斎市によるといいます。中心集落周囲の畑地上に縄文前期~晩期の遺物包含地4ヶ所、小猿部川上流部の黒森若木岱付近にも遺跡1ヶ所を確認。戦国期の七日市村ははじめ陸奥国比内郡のうちで浅利氏領。後に秋田氏領となり出羽国秋田郡所属。初見史料は天正19年正月17日豊臣秀吉朱印状写。秋田実季の当知行地秋田郡内の村として「松根村・七日市村」311石余と記載。文禄3年浅利・秋田両家勢力の衝突で被害を被り、慶長2年浅利頼平が豊臣方に注進した被害届には「七日」13軒は3軒に減じ、田地は少々で畑がちの村と記載。慶長6年秋田家分限帳では、七日市村136石余は秋田家蔵入地に指定のうえ代官所支配の村と記します。中心集落を望む南東方の台地上に妹尾館・山田城の字地をとどめる中世の城館址があります。妹尾館の城館主は平家被官妹尾太郎以来の子孫といい、天正期にも浅利則頼の家臣瀬尾嘉左衛門の名が伝えられますが、秋田氏の後押しを得て阿仁・小猿部地方の制覇を狙う米内沢城主嘉成右馬頭重盛の攻撃を受けて滅亡したといいます。また、小猿部川上流山間部の赤利又(明利又)にも城館址があり、戦国期に比内独鈷城に移り比内郡一円を制覇した浅利氏がそれまで拠点としていた城館と伝えられており、付近には寺址や古碑があり、うち1基は嘉吉の紀年銘を読みとれたといいます。
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江戸期の七日市村は出羽国秋田郡北比内のうち。秋田藩領。広大な山林が小猿部沢・小猿部山・坊川沢の名称下に藩の直山・留山に指定。山林の管理伐採とともに麓村としての当村が整備。浅利旧臣の品類城主品類氏(もと益子氏、のち長岐氏)の子孫が当村肝煎に抜擢。その指導下に山林維持と新田開発が推進されたといいます。正保国絵図・元禄7郡絵図ともに242石余の村と図示。しかし、享保黒印高帳では村高723石余・当高503石余(うち本田192・本田並71・新田240)と認定。慶長7年検地野帳が存在したといいますが現存せず。上記の台帳から推すと、その帳尻村高は217石余とみられますので、享保年間までに3倍増を達成したことになります。享保郡邑記では、枝郷に根木屋敷・妹尾館・山田城・本屋敷・大畑・葛黒・門ケ沢・臼沢・与助台・三渡・黒森・松沢・赤利又・水無の14ヶ村と享保7年開業の矢杉沢・段々沢の両鉱山を記し戸数134軒(うち枝郷分109)。本郷の七日市は小猿部地方の寄郷6ヶ村を差配する親郷でもあります。寛政村附帳では当高532石余(うち蔵分401・給分131)。給分では大館給人鈴木・小林・山口氏らが元和5年に当村内に給付を受けてから、寛政期の江幡氏15石まで、大館給人延21人が当村内に権利を有したことが知られますが、他に檜山給人や久保田給人も当村に関わっていたとみられます。寛延2年、村に強制的に割り付けられる杣出しに対して、肝煎平八は長百姓林四郎らと米代納との引き換えでその廃止方を提訴。乱伐にかかわる小猿部川の洪水も被害甚大で、用水路普請の村負担軽減のため、御中橋梁材用に留山の一部を郷山に切り換え、その代償として杉3万本の植林を約束したりしています。いずれ村民の重荷は変わらず、宝暦5年の飢饉では餓死者多数で当村の3分の1が潰れたといいます。それさえ藩方では「同村の農民は平常銅山の炭を焚き、日に幾何の金銭得ることを喜び、農事を忽緒に付せしに因る」と噂しました。文化年間の肝煎七左衛門の小猿部川治水工事は有名。この時期の戸数160軒・830人・馬220頭。村鎮守神明社の他に、稲荷社・水神社・相染堂・薬師堂を祀り、曹洞宗高晶山竜泉寺(大館町宗福寺末寺)及び修験自学院があります。明治9年に近隣の旧寄郷横淵・岩脇・品類の3ヶ村を合併、明治11年北秋田郡所属、中屋敷・脇神・小森3ヶ村の首部役場を当村に設定。同22年市制町村制施行に当たっても同9年以降の村勢で単独村となります。同22年の田畑660町歩余・山林原野1万7,902町歩余・戸数316・人口2,195。藩政期の山林はほとんど国有林化し、その管轄は内務省地理局から明治23年七日市小林区署に移り、署庁舎が字七日市に設置されました。これは大正13年鷹巣町に移転。鷹巣営林署と改称。明治42年に字中の岱に設立された郡立農林学校(乙種)も大正2年廃止。昭和25年の世帯586・人口3,951。山林の3分の2は国有林。昭和29年の世帯数565・人口3,829。昭和31年鷹巣町に合併しその大字となります。昭和31年より鷹巣町の大字名。
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社号標「神明社」(大東亞戦争一周年記念、昭和17年12月8日)
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明治14年創始50年太平山講記念碑(昭和5年12月17日建之)
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明治百年記念(昭和42年9月8日石段並鳥居竣功、秋田県知事小畑勇二郎書。裏面:七日市神明社宮司畠山忠光ほか責任役員名)
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宗家長岐貞治大人頌徳之碑。
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忠魂碑(正二位勲一等伯爵東久世通禧書)
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石殿一基。何かはわからず。
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石段。
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石段上鳥居。
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12.5
狛犬一対(大正5年9月18日、七日市親友會、會長佐藤勘助、副會長長岐順之助、會員長岐兼吉・長岐健太郎・長岐彦太郎・長岐佐助・長岐國郎・佐藤敬吉・長岐冨松・千葉多七・長岐源一郎ほか…)
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13.5
手水舎。
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石殿一基。
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石仏。馬頭観音かな。
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庚申塔二基。
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あちらの建物は雑草で近寄れず。
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こちらは不明。ちなみに境内社としては八坂神社があるようです。
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御祭神は天照皇大神、大名持命、少彦名命、神功皇后、田心姫神、応神天皇、大山祇神、水波女神。例祭9月8日。特殊神事:火伏行事(旧暦4月14日夜)。
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20.5
石灯籠二対(昭和18年11月15日佐藤勘助・昭和18年7月吉日佐藤茂市寄贈)
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21.2
21.4
21.8
社殿。
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22.1
22.2
22.3
由緒…『創立不詳なれども、小猿部郷の雄社として、氏子区域外からも、広く崇敬されている。明治6年8月村社に列し、同43年8月、七日市神社外26社を合併す。』
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23.5
拝殿内。
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24.4
24.8
拝殿内正面神額「天照皇大神」(昭和37年9月8日、哈爾峰、長岐久蔵謹書)
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