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秋田県秋田市柳田佐渡端。火産霊神社(火結神社)。
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鳥居・社殿以上に御神木の存在感が際立っています。
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柳田はかつては楊田とも書きました。太平地区の出口に当たる秋田市街の東方地区。太平川右岸に位置。館跡があり、鎌田・嵯峨などを名乗る人々が元館主の関係者と伝えます。
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鎌倉期の楊田は出羽国秋田郡のうち。嘉禎4年12月4日橘公員宛将軍家政所下文に「出羽国秋田郡内楊田」とあります。文治5年の奥入り合戦に恩賞として橘公業が受けた秋田・男鹿地方の所領の一つ。この年10月の譲状で11子公員が他の6ヶ所とともに父から譲り受けました。室町後期から安東秋田氏の勢力下に属したと認められます。秋田氏所領中に見える馬場村はこの地域に当たります。
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江戸期の柳田村は秋田郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高314石余と推定。正保国絵図では本田当高275石。元禄7郡絵図では274石余。享保黒印高帳では村高576石余・当高564石余(うち本田324・本田並173・新田67)。享保郡邑記では61軒。寛政村附帳では親郷目長崎村の寄郷として当高574石余(うち蔵分387・給分187)。秋田風土記では511石余・61軒、用水は太平川。神明社・不動堂・羽黒社が祀られていました。天保郷帳では564石余。この頃の人口363・馬47・牛10。明治の郡区町村制下、広面・蛇野・手形の諸村と連合。戸長役場は南隣の広面村谷内佐渡に置かれました。明治22年南秋田郡広山田村の大字となります。昭和16年からは秋田市の大字。
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標柱・案内板。
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標柱「火結神社」(建立柳田町会)
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標柱「火産靈神社と柳田のけやき」(秋田市制百周年記念)
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標柱「秋田市指定文化財(天然記念物)柳田のけやき」…『古くから柳田の鎮守である火産霊神社の神木として崇拝されている。昭和48年3月14日指定。根元周囲8.6メートル、目通周囲7.2メートル、樹高26メートル、樹齢推定800年』
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案内板…『火の神、火産靈神をまつる。かって不動院であった。宝永6年(1709)の久保田名所記に「柳田石神に不動明王あり」と又、菅江真澄の遊覧記に「柳田村に不動の社あり、としたかき槻のある旧りたる宮」とある。樹令八百年以上と推定される欅がこの「としたかき槻(き)」であり、秋田市の天然記念物に指定されてる。』
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狛犬一対(嘉永5年壬子8月28日、郷中安全)
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12.5
庚申塔(天下太平)
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鳥居。
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武甕槌大神。
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不明の石。
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三吉大神(明治34年辛丑旧9月14日、講中安全)
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南無阿弥陀佛。
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境内神社。
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唐松大神。
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こちらは…
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観世音菩薩堂。
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手水舎。
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手水石(文政12己丑年3月28日)
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社殿。
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御祭神は火産霊神、天照皇大神、宇気持神。例祭4月28日。
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26.5
由緒…『祭神は不動明王と蔵王権現であり明治時代より火産霊神社として祀られる。創立は詳かでないが伝説として慈覚大師の草創で御神体は同大師の御作とし(1尺5寸)平安末期より祀られてきたものとしている。当神社は柳田郷の産土であり、この歴史と切り離せない。日本正史750年の古い昔に明記され、源頼朝の奥羽平定した時その功臣橘公業という人に揚田を賜ったことである。公業はこの外に近くの豊岩、新屋、湊などの地を併せ賜っている。当時の揚田は今の太平、下北手、などを総称したものと思われ、この頃既に不動明王が祀られ、この信仰を中心としてまとまっていたと考えられる。即ち真言宗の思想である山嶽崇拝が盛んとなり、太平山に不動明王、蔵王権現が祀られたのもこの頃であり山麓の里宮として祀られ今日に至る。また現に伝説を脱して当神社の境内の神木は科学的にお宮の歴史を語る。植物専門学者の研究報告には槻の孤立木の樹齢は凡そ千年とある。これによっても平安時代の末の創立を揺るがないものにしている。これは前記の不動明王が修験によって信仰されてきた思想上の時代ともよくあうのである。』
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拝殿向拝神額「火産靈神社」(明治36年舊3月28日奉納、當村願主:鎌田精一郎、佐々木善藏、佐藤喜八郎、鎌田銀一郎、佐々木周吉、鎌田鐵太郎)
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拝殿内。
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柳田のけやき。
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30.5
遠くから見た社殿と柳田のけやき。
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