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宮城県仙台市太白区坪沼舘前東。坪沼川沿い、県道31号仙台村田線沿い、根添館・館前東遺跡の東方、沼尻遺跡の西方、中沖遺跡の北方。県道を南下して最初に鎮守の森前に見えてくる鳥居(下の写真。下記で紹介する「三角あぶらあげさとう」から見える鳥居)は古参道(中世の根添城に向かう手前、今は無き大橋の正面に当たる登り口)です。古参道から行きたい人以外はそこを通り過ぎると右手に駐車場があります。
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坪沼は名取川南岸山間部に位置。丘陵に囲まれた庭状の盆地で沼の残るところから地名が生じたといわれます。南北朝期に見える坪沼郷は名取郡のうち。相馬文書の貞治6年正月25日付の相馬胤頼宛大崎直持施行状に「陸奥国名取郡南方坪沼郷」とあるのが初見です。福島県の相馬郡小高城を本拠とした相馬氏が勲功の賞として宛行れた所領だったことがわかります。戦国期の天文段銭古帳名取分には「十三貫文つぼぬま」と見えます。
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江戸期の坪沼村は名取郡南方のうち。村高は元禄郷帳768石余、天保郷帳1,065石余。封内風土記によりますと戸口95。赤石・板橋と称する地があり赤石は町場を形成。村内には愛宕神社・浄土宗金玉山宝禅寺・浄土真宗仏光山善敬寺がありました。明治元年新仙台藩、以後仙台県を経て同5年宮城県所属。同22年名取郡生出村の大字となります。昭和31年に現行の仙台市坪沼となります。
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坪沼八幡神社公式HP「坪沼の歴史」より一部抜粋…『今はカンナの里、名物の油揚げで知られている坪沼も昔は大いに繁栄した時代がありました。坪沼が歴史に登場するのは、南北朝時代の貞治6年(1368年)大崎氏が相馬市に坪沼郷(村)を与えたという古文書の記録が最初です。しかしながら言い伝えによると、すでに平安時代、坪沼は東街道に通じ、当時陸奥(東北)地方一帯に勢力をふるっていた大豪族安倍氏の支城であった根添城を中心に前九年の役(1056)で源義家によって滅ぼされるまで大いに栄えました。今も残る大橋、柳橋、大木戸、倉元の地名、今はなくなった道岸寺、道内寺の跡、大八山の館跡、古墳と言われる入道原の伝説から想像すると、かなりの繁栄をきわめたのは間違いないようです。それ以後、坪沼はかつての賑わいを取り戻すことはできず、江戸時代に入り天明・天保の大飢饉にあい多数の飢餓者を出し、一時は全くの寒村になったということです。明治時代に入り坪沼村は茂庭村と合併して生出村となり、林業・養蚕で全国三大模範村の一つに数えられたこともありました。昭和31年に生出村は仙台市に吸収合併され今日に至ったものです。杜の都仙台にふさわしい自然に恵まれ、伝説の多い、民族資料の宝庫でもある坪沼は、小遠野と言われ静かなブームを呼んでいるように、これからも守り伝えて行きたい地域です。』
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坪沼八幡神社御神田。
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弁財天奉斎御神池(財運・技芸・学業の神)。鯉により濁っておりますが神社下からの湧き水が注がれております。
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八幡橋(昭和45年3月竣工)
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八幡橋を渡ります。
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鳥居。
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更に橋を渡ります。
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赤鳥居・古参道標柱。
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表坂。
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神社正面の急な石段で百段近くありますが、不思議なことに人によってその段数が違うとか。
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厄除け石(八十九段目をさけて厄除け)
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長床。
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春の例大祭に勇壮に練り歩く、大神輿と子供神輿が納まっています。
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御神蛇の瑪瑙(めの)ちゃん。
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アオダイショウのアルビノ種です。
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狛犬一対(針山、佐藤善雄、平成18年4月15日奉納)
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子宝石。正面参道脇にひっそりとある奇石で、撫でると子宝や安産のご利益があると云われています。
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手水舎。
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昇運石。
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厄割鈴に息を吹き入れ、願いを込めて思いっきり投げ当てて割ることにより、自分自身の身に降りかかる厄災を祓い除け、祈願成就・昇運に導きます。
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社殿。平安時代後期の前九年合戦の根添城攻防古戦場跡に鎮座。
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神社庁より…『【主祭神】応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰【例祭日】4月15日【由緒】後冷泉天皇天喜4年陸奥の豪族阿部頼時乱を起こし朝廷源頼義に命じて頼時を討しむ。頼義子義家と共に男山八幡宮に賊徒平定の祈願籠め祠官に請ふて神像を奉じて東征し各地に賊を戦減す。乱平ぐに及んで坪沼の邑中央の丘に社殿を建立し神像を鎮座し奉り一族の将を根源舘に居城せしめ地方鎮撫と共に代々神社に奉仕せしめたり。後数拾代世は戦国時代となり将兵の多くは帰農するに及んで村落の鎮守と仰ぎ天台宗赤石山圓通寺頼光院を別当とし毎年8月15日祭事の任に當らしむ。社伝云々。明治5年4月村社に列す。同44年5月幣帛供進社に指定された。』
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公式HPより一部抜粋。
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【由緒】当社の歴史は古く、封内風土記によれば創建は和銅年間で約千三百年前と記されております。伝承によると、坪沼は東街道より古い尾根伝いの峰街道が通り交通の要衝で、かつて町が形成されていたともいわれております。いにしえ人も鎮守の森を仰ぎ見、神のおわします神聖な御山として信仰していたと考えられます。およそ千年前、陸奥の豪族安倍氏が起こした前九年の役に際し、陸奥守源頼義公とその子八幡太郎といわれた義家公が東征し乱を平定した後、天喜四年に神像を祀り社を建立したと伝わります。
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【御祭神について】神社としては全国で一番多く祀られている神様で、宇佐神宮を総本社とし、坪沼八幡神社は石清水八幡宮の御分霊をお祀りしております。地域では「お八幡さま」と慕われ、御祭神は四柱を数え、応神天皇(おうじんてんのう)を主祭神とし、相殿に神功皇后(じんぐうこうごう)と武内宿禰(たけのうちのすくね)をお祀りしております。八幡大神は家内安全・商売繁盛をはじめ、勝負の神・武神として必勝祈願や心願成就の御利益があり、また厄除八幡とも称し、厄難や病などなどに打ち勝つとして厚い信仰がよせられております。また相殿の仲哀天皇と神功皇后は応神天皇の親神であり子供の守護に関わる御利益があります。農業神でもあり、神社を中心とした昔ながらの伝統や風習が数多く残り、春の例大祭では氏子総出の神輿渡御が行われるほか、夏には「蛍と平家琵琶の夕べ」で境内が賑わうなど、一年を通じて四季折々の行事があり、地域内外に広く親しまれている神社です。
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【ご利益】氏神・鎮守の神として多くの人々に親しまれている八幡大神様は霊験あらたかで、家内安全・商売繁盛、特に勝負の神・武神として知られ、必勝祈願や諸願成就にご利益があるとされております。 特に近年、人生も真剣勝負、己れに克つためにお参りに来られる方が増えています。また厄除八幡とも称して、厄・災難や身心の病い・事故などの悪しきものに打ち勝つ強い力があると、昔から御祈祷に来られる方がたえません。相殿として父母の神をまつり、子どもの守護に関わる信仰が厚いことでも有名です。
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鐘楼。
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厄落としの鐘(※数え年の数を鳴らす)
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戦時中に拠出した一代目を昭和年復元した二代目の鐘で、歳の数を鳴らすと厄除けとなります。
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神楽殿。
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春のお祭りでは、祭囃子や神楽、また各種演芸が披露されます。夏の「蛍と平家琵琶の夕べ」では平家琵琶演奏の舞台となります。
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神輿庫。
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金壹封奉納碑。
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こちらは読み取れず。
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その他諸々。
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ご縁結の縁杉。
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公式HP「夫婦杉と離縁杉」より…『樹齢300年ともいわれる太い杉にもう一本の杉が寄りそう姿から、地元では、いつしか夫婦杉と呼ばれている。(神社後方の左奥)。一方、子宝に恵まれない女が、夫に離縁して欲しいと祈願した杉が神社後方の右手にあるが、祈願する時、必ず、神社にある子宝石を撫でたという。そのご利益が3年の月日を経て、無事、子供を授かり、元気な赤ちゃんに恵まれたという。』
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別宮三座。
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公式HPより…『【延命地蔵】長寿【薬師如来】病気平癒、身体健康、耳の病気【三宝荒神】不浄・災難除け、竃神』
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『【三宝荒神】竈(火)の神、家内安全【延命地蔵】延命長寿、子供守護【薬師如来】病気平癒、耳の神』
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不動宮三座。
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公式HPより…『【不動明王】心願成就、無病息災、目の病気。矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従える【龍神・蛇神】水神、農耕神。【弘法大師】坪沼には弘法大師に縁あるものが数多く残っている。』
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『【水神・竜神】農耕神、金運守護【不動明王】厄難消除、目の神【弘法大師】病気平癒、縁結び』
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不動宮三座。
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不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子。
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古参道。
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表坂。
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社務所・お手洗方面。
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坪沼八幡神社の近くに「三角あぶらあげさとう」がありました。
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坪沼八幡神社に向かう際に、稲荷の境内社があるかも知れないので一応買っていきました(嘘です。自分で頂きました)
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