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秋田県秋田市河辺岩見後又。岨谷峡の上流。岩見川沿い。殿淵園地。
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殿渕へ。
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殿渕(とのぶち)…『殿渕は両岸に岩石が重なり、つづじ、かえでなどが岩の間に繁茂し、澄んだ川面に写し出されるほか、イワナ、ヤマメなどの魚影も見ることができる。名称の由来は諸説あり、河辺町史によると、昔、殿様がこの渕を遊覧した際に、誤って落馬したことから殿渕と名づけたと伝えられている。また、秋田藩九代藩主佐竹義和(よしまさ)公の紀行文「すなどりの記」によると、昔、二代藩主義隆(よしたか)公が、この地を訪れた時、金銀の銭を渕にまいて漁師たちに拾わせたことから殿渕と呼ばれるようになったとの記述がある。「すなどりの記」…佐竹義和公が文化6年(1809)に岩見三内を訪れた時の紀行文。』
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殿渕の水神社。パンフレットには「殿渕の祠、近くの清水はイボに効くそうです」とありました。
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秋田市の鵜養地域を流れる大又川をさかのぼると、翡翠色の水を湛える渓谷、殿渕が姿を現します。
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殿渕は鵜養(鵜養地区がある盆地はかつて沼を形成していたといわれ、その沼で鵜を飼ったことから地名が生まれたとの説があります)の北東約600mにあります。
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透明感のあるエメラルドグリーン。
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清流の証であるイワナやヤマメなどの姿を見ることもできます。また、川面の両岸にはツツジやカエデが生い茂り、四季折々の姿を見せ、見る人の目を楽しませてくれます。
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猛暑だったので皆さん岩見川に入っています。
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伏伸の滝の案内板。
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岩見川沿い遊歩道を進みます。
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滝はすぐに見えます。
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遊歩道。
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このような場所もありました。
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結構濡れる笑
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伏伸の滝…秋田市鵜養地域の奥にある殿渕園地(緑地広場)から歩いて数分のところにある伏伸の滝は、ゆるやかな三段の滝です。水量が豊富で、川底が見えるほどに透き通った水の流れを間近に見ながら散策することができます。春から夏にかけて清流の両側には岩肌の間から様々な緑が顔をのぞかせ、秋にはその緑が見事な紅葉へと変わり、シーズンを問わず訪れる人の心を魅了するスポットです。真冬は、雪が積もる足元に注意が必要ですが、静寂に包まれた純白の光景の中を流れる滝は、静と動の対比を感じさせ、別世界に紛れ込んだかのような感覚にとらわれます。下流の殿渕から遊歩道が続いているので滝のすぐそばまで近づいて見ることができ、飛沫を浴びながらの迫力ある光景を楽しむことができます。昔はマスが生息し、農作業用の「もっこ」と呼ばれる道具を使ってマスを獲っていたことから、「もっこ滝」と呼ばれていました。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、日記「勝手の雄弓」に岨谷渓を描いた図絵を残しており、ここから中山峠を越えて鵜養や殿渕、伏伸の滝、舟作などの景勝地へ向かったことが知られています。
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殿渕から150~200mほど上流にあります。
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三段になった滝で、新緑や紅葉の時期は一層美しさが増します。
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ちなみに川沿いの遊歩道ではなく、車で来ることもできますが、駐車場と呼べる場所はありませんし、大した距離でもないので遊歩道で行くことをおすすめします。
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パンフレットに「水流により浸食された丸い穴があります。見つけられるかな?」とありましたが、よくわかりませんでした。
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伏伸(ふのし)の滝…『河辺町史によると、昔は滝つぼに鱒が多く集まり、農作業に使う「もっこ」を仕掛けて鱒を捕ったことから「もっこ滝」と呼ばれていた。その後、鱒があまりのぼらなくなり、古い名が忘れられ、いつからか伏伸の滝といわれるようになった。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、日記「勝手の雄弓(かってのおゆみ)」に伏伸の滝の図絵を残しており、このあたりが昔、湖であったという物語があり、鵜養(うやしない)という地名があることからも、鵜(う)の洲(す)、鵜(う)の巣(す)などが訛ったものではないかとしている。「勝手の雄弓」…菅江真澄が、文化8年(1811)に岩見三内を旅したときの日記。』
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秋田え~どご100選「伏伸の滝」
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一旦、車道へ出て舟作を目指します。伏伸の滝から650m。
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道中にある「せせらぎの里清水」
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めっちゃ冷たくて気持ちよかったです。
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案内看板にある距離よりも短く感じます。ちなみに舟作の先の車道は通行止めになっていました(2025年夏時点)。
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車道から再び岩見川沿いへ。
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秋田市鵜養地域の東、大又川上流に位置する渓谷「舟作」
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川底は赤い岩盤で、大又川の広い流れが、舟作の狭い溝穴に吸い込まれるように一気に落下して滝のようになる不思議な自然の造形美です。この狭い溝穴が舟のような形に見えることから「舟作」と名付けられたといいいます。江戸時代の紀行家、菅江真澄が訪れたことでも知られる景勝地です。舟作上流部の堰から取水された水は、鵜養集落内にひかれ、農業用水や家々の敷地へと分水され、今も地域住民の大事な水源となっています。
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舟作(ふなさく)…『河辺町史によると、舟作の名称の由来は、川の流れにより掘って削られてできた岩盤の溝が、ちょうど舟の形をしていることからこの名がついたと伝えられている。江戸時代の紀行家・菅江真澄は、日記「勝手の雄弓(かってのおゆみ)」に、舟作を描いた図絵を残しており、湖であった昔、小鮒などを漁した場所で、鮒(ふな)雑魚(ざっこ)といわれていた名が今に残ったものであろうかと記しているが、現在は、前述の由来が通説となっている。』
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