秋田県秋田市河辺岩見上田面。
一之鳥居。
杉並木の参道。
参道脇の建物。石がありますが何かはわからず。

こちらは地蔵堂(大正5年7月建替)


こちらは…

太平山神社(明治37年)

保呂羽山・御嶽山・高岳山。




石碑三基。

内二基は読み取り辛かったです。


若木山大権現(疱瘡安全)

こちらは不明。


公道を挟んで参道が続きます。


岩見についてです。岩見川の上流一帯の山間部に位置。地名の由来は岩見某なる者が居住したことに因む説と、付近一帯に岩が多く見られることに因む説があります。最奥地の鵜養は岨谷の渓谷から離れた盆地にあり、かつては小さな湖であったものが、大洪水か大地震により岨谷が深くえぐり取られて破れ、下流に岩が流されたことによるものかと推定。鵜養の岱・新川・小平岱・萱森野の台地から縄文時代の石器や土器が出土。縄文後期の土器片・石鏃・石匙等を出土する祇園台遺跡があります。「和名抄」の出羽国秋田郡成相郷の一部助川村とも推定されるも明らかではありません。字台に岩見館があります。「ここに安倍道寛、同武文、同武芳等住し、又岩見某も住せりという」(秋田名蹟考)。岩見某は豊島氏の家臣であったといわれます。
戦国期の岩見村は出羽国豊島郡のうち。文禄元年8月22日の秋田家分限帳写に、館岡半兵衛代官所支配として「岩見村」147石余とあるのが初見。中世後期を通じ豊島氏領でしたが天正期に入り安東氏に包摂されました。天正末年以降実季は知行制のもとに領内を固めましたが、慶長6年の秋田家分限帳では199石余が鎌田旦右衛門御代官所支配となっているほか、鵜瀞長右衛門預りの鉄砲衆高橋三吉以下6名、工藤小兵衛預りの弓衆高橋甚之丞以下2名、鎌田勝右衛門預りの槍衆兵三郎以下11名にそれぞれ17石ずつを知行地として分給。村域は岩見川上流域一帯。近世の杉沢・新川・鵜養をも含む地域。八幡・天満宮は中世前期以来の由緒を持つと伝えるも縁起は不明。鍛冶屋敷から中世後期の一石一字経塚が出土。
江戸期以降の岩見村は出羽国河辺郡(寛文4年まで豊島郡)のうち。秋田藩領。式田宮崎村の寄郷。正保国絵図に本田当高400石余とあります。享保黒印高帳では村高188石余・当高722石余(うち本田422・本田並103・新田197)。寛政村附帳では当高621石余(うち蔵分386・給分235)。天保郷帳では722石余。農業用水は沢川に頼ります。戸数35軒(枝村萱森16・杉沢16・野村6・小出9・東60・杉台6・新川14・穴淵3・鵜養35)。村鎮守は萱森の菅原社で、安永7年8月25日の棟札には「天満大自在天神、願主落合八右衛門導師上椋善蔵院云々」とあります。他に岩見社・稲荷社・八幡社・伊勢社・天神社・薬師堂・不動堂があります。字鍛冶屋敷に曹洞宗道元派両沢山千手院があり、歓喜寺(秋田市)の末寺で報庵良恩和尚が開山、亀田巡礼札所第19番。秋田郡(六郡)三十三番観音巡礼記に御本尊阿弥陀如来・千手観音、大仏師安阿弥の作、地蔵2体、慈覚大師の御作とあります。戸数は多いのですが田地不足のため、張木を伐り炭を焼いて秋田にひさぐことを業とする者が多かったといいます。マス漁も盛んとあります(羽陰温故誌)。秋田藩主9代義和が文政6年に岩見に遊覧。小平岱はもと森林でしたが、明治の初めに秋田藩士白土礼助父子が開墾に従事、瀬川安五郎の資金援助などにより、明治15年、多くの士族が入植(戸数30数軒・水田40町歩余)。明治22年戸数212・人口1,168、田地168町歩余・畑地48町歩余。同22年河辺郡岩見三内村の大字となります。昭和30年からは河辺町の大字。明治11年8月字東に新設した岩見小学校を明治25年9月に字新川に新築移転。
社殿が見えてきました。

パンフレットより…『岩見神社は、雲霞にひそむ悪鬼に手こずった坂上田村麻呂が、山上で薬師如来を拝んだところ、たちまち雲霞が晴れ、悪鬼を捕えることができたので、山上に社を建立して、薬師如来をお祀りしたのが始まりといわれています。通称薬師さんと呼ばれています。明治12年に現在地に遷りました。社殿の屋根下各4隅に1体ずつ力士像が配置され、肩や背、腕などで屋根を支えています。それぞれの表情にも注目!』
へそ神社(辺阻神社)
秋田県のヘソ…『昭和61年、秋田県内の青年グループなどが「秋田県のへそはどこ?」と調べた結果、河辺町であることが確認されました。秋田県の東西南北端を結ぶ対角線の交点、さらには秋田県を長方形とした場合の栗駒山-須郷崎・鳥海山-御鼻部山を結ぶ各線の交点が町内にあるからです。その交差点に中心標を設置し、へそのシンボルとするとともに、周辺に桜などを植樹するなど「へそ公園」が整備されており、家族連れで楽しめる公園として住民に親しまれています。毎年6月第1日曜日にはへそ公園を会場として「へそまつり」が開催され、「へそ踊りコンテスト」などで盛り上がります。また、地元町内会で委員会を結成し、「へそ神社」を創建、「絆堂」には親子の絆である「臍の緒」を収め保存しているほか、「へそ丸くん」という愛らしい キャラクターを作り、「へそ丸くんカード」での商業振興など、「秋田県のへそ」を最大限にアピールし、町のエネルギーとなっています。』

絆堂・おヘソ神社。

臍の緒が奉納されているって凄いですね。見たいような見たくないような…

神社庁の説明によりますと境内神社として辺阻神社と山神神社があるので、山神神社かな。

神社庁より…『【御祭神】大名持神・少名彦神【例祭】4月8日【境内神社】山神神社・辺阻神社【特殊神事】湯立神事(4月8日)【由緒】大同2年坂上田村麻呂が悪鬼討伐に来村、悪鬼が山の谷合にひそみ雲霞のためどうにもならず、山上にて薬師如来を遥拝せしに、忽ち雲霞が晴れ悪鬼を捕えることが出来たので、山上に社を建立、薬師如来をお祀りしたのが創立の始まりである。前宮司の先祖喜道が子供に恵まれず、山上の薬師如来に祈願したところ、翌年4月8日に子供が生れ大願成就したので別当となり、4月8日に祭典を行うようになった。現在地の上方に遷したのが承応3年。その後明治12年6月火災になり、現地点に遷座現在に至っている。喜道の申し上げた神社の名称「大権現龍登山守国寺薬師瑠璃光如来」』

参道。
石灯籠一対…いや、二対かな。


文化元年・大正4年。


社殿。
伝承によりますと、大同2年、坂上田村麻呂が東夷東征の際、当時の三大妖怪と恐れられた大獄丸の討伐の際に村を訪れ、戦勝祈願のために、山の上で薬師如来を参拝し、その後、見事に大獄丸を倒すことに成功しました。田村麻呂が参拝したとされる山に社を建て薬師如来を祀ったのが始まりとされています。千手院などと共に山岳信仰の一角をなし、本尊を薬師瑠璃光如来とし薬師堂と呼ばれていました。
拝殿蟇股・木鼻。



毎年4月に行われる祭典(湯立神事)は、伝統を強く受け継いでおり、お祭り当日の朝に会館では薪を使い大釜に湯が沸かされ、藁束を使って神職がかき回します。沸騰したお湯の形が湯花と呼ばれる形となり、藁に導かれて中央に立ち上ってきます。それを藁でいただき、神前に供えたり、藁に移した湯花そのものに感謝します。人が生きていくために必要な火と水に行事を通して感謝する神事。

拝殿向拝神額「岩見神社」(昭和57年9月8日奉納、願主:佐藤信一・佐藤亮一)

拝殿の四隅には表情豊かで個性的な建築力士像。
拝殿内。
絵馬等。

























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