『道川神社 (秋田市上新城道川)』からの続きです。

参道石段。
石灯籠が見えてきました。

まだ到着ではないようです。
石灯籠一対。


石殿一基。

境内社の白山神社へ。
境内社前の小祠。稲荷神社。稲荷大神鎮護霛符という木札には「昭和56年3月1日」と見えました。奉再建稲荷神社神殿一棟という棟札には「明治29年1月6日」と見えます。

こちらも境内社前の小祠。

こちらは特に何も祀られておらず不明。

白山神社(嘉永3歳庚戌、村中安全子孫長久)。昭和26年3月屋根修繕(上棟祭執行宮司:伊藤徳憲・氏子総代:齋藤新市郎、大渕周次郎、古木三左エ門、相澤傳藏、佐藤東一・棟梁:熊谷勝太郎(湯ノ里)・世話係:大渕仁三郎、斉藤萬藏、古木吉藏、佐藤孫左エ門)。


白山大権現
足手荒神もあります。

正面参道に戻ります。
石灯籠二対。内一対は読み取れず。


もう一対は文久2年壬戌2月吉日、當村仁左エ門寄進。


境内社の辨財天(市杵嶋神社)へ。


昭和26年3月吉日屋根修繕(上棟祭執行宮司:伊藤徳憲・氏子総代:齋藤新市郎、大渕周次郎、古木三左エ門、相澤傳藏、佐藤東一・棟梁:熊谷勝太郎(湯ノ里)・世話係:大渕仁三郎、斉藤萬藏、古木吉藏、佐藤孫左エ門)。
頭部がありませんでした。
巨木に囲まれた参道。
参道石段下の狛犬一対。
大正8年正月吉日、當村古木三九郎。
参道石段。
社殿。

あきた元気ムラHPより一部抜粋…『「道川神社」は、秋田市上新城道川字相染の山地内にあります。江戸時代には真言宗「愛染院」があり、「愛染堂」と「不動堂」をお守りしていました。道川神社の呼称ならびに祭神などは明治4(1871)年の神仏分離令により変化していきます。現在の神社は、明治時代前には「愛染神社」と呼ばれ、淳和天皇(786~840年)の天長年間(824~834年)に慈覚大師円仁(えんにん)が創建したと言われています。後に天徳4(960)年になって秋田市添川字添川の曹洞宗湯沢山乗福寺(秋田市三内の曹洞宗の大寺、補陀寺の末寺)の七世如月和尚によって諸尊が再興されました。別当「愛染院」の「愛染堂」が造営されたのは、寛永5(1628)年と伝えられ、神社は享保4(1719)年に鳥居が建立され、同9年には本社が再築され、さらに延享4(1747)年にも再再築されました。「愛染明王坐像」は江戸時代には愛染堂の主尊として、藩主や藩士の尊崇の念も深かったと伝えられています。』


拝殿向拝。

拝殿向拝神額「愛染明王」
色々貼ってありましたが読み取れず。

拝殿内。四体の尊像(愛染明王坐像・金剛夜叉明王坐像・不動明王立像・毘沙門天立像)が所蔵されており、いずれも秋田県指定有形文化財。
御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、保食大神、天照大御神、少彦名命。例祭5月5日。


由緒…『明治以前は、愛染神社と称し、愛染院縁記によれば、本尊、愛染明王・金剛夜叉明王、前立、毘沙門天王・不動明王にて、慈覚大師の草創にかかわり、第53代淳和天皇の御宇天長年中の事であると伝えられている。正徳4年午年、湯沢山乗福寺7世心如月和尚、尊像再興、寛永5戌子年5月28日別当愛染院、愛染堂造営。享保4年乙亥7月吉日、鳥居1宇新造。享保9年甲辰5月25日小社新造本社再築。延享4年丁卯8月吉祥日においても再築。明治42年5月19日道川地区の諸社を神明社に合併して愛染に移転し、大正4年8月28日神殿増築して指定村社道川神社と改称した。本社は前述の如く平安時代に開基し、その後旧藩時代は佐竹家一統の信仰浅からず、愛染明王を縁結びの神として崇敬したものであるが、昭和28年、文部技官松原正業氏来遊に当たり、当社の懇望を入れてこの勝地に至り、本尊二尊を鎌倉、前立二尊を鎌倉を遡る作と鑑定し、ここに秋田県においても、文化財として保存するに至った。』

喫煙具を描いた絵馬・拝み絵馬・神社参詣を描いた絵馬等、江戸時代の延享から大正までの44面の絵馬があります。ネット上で「秋田市道川神社(旧愛染堂)の絵馬」嶋田忠一(秋田県立博物館研究報告第24号)という資料(写真付)を見ることができます(秋田県立博物館HP)。由緒等も含め、非常に詳しく載っていますので興味のある方はそちらを参照ください。



拝殿横の参集殿的な建物。


こちらは神社境内ではなく、神社のすぐ近くにあった頌徳大渕周吉翁碑(秋田県知事小畑勇二郎書)。裏面碑文も読み取れる状態ですが省略。昭和41年11月30日道川部落民一同建立。

そして頌徳大渕周吉翁碑のすぐ近くにあった地蔵堂。


地蔵堂内。


























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