
秋田県秋田市添川。石段のある参道入口がわからず、駐車場も無いとのことで、ここ(上の写真:サッカーグラウンド)から参詣しました。
添川は旭川の中流域。古代添川郷の遺名を伝えます。上流は山内、下流は濁川に接します。添河と書いたものもあります(勝地臨毫)。杉生(すぎのふ)明神を式内社副川(そえかわ)神社に当てる俚伝もあります。耳岡相模守居城という館跡があります。戦国期の添川村は出羽国秋田郡のうち。天平19年正月17日の豊臣秀吉朱印蔵入帳写に「添川村」761石余と見えます。この蔵入地の物成は慶長2年130石、同3年100石。
江戸期以降の添川村は秋田郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高354石余と推定。元和8年には添川山の用木利用の愁訴を起こして許されています。正保国絵図では359石。元禄7郡絵図では358石余。享保黒印高帳では村高505石余・当高514石余(うち本田384・本田並64・新田66)で開発が早く充実していた状況を示します。享保郡邑記では70軒(うち湯沢・三本松・湯沢台3ヶ村分計27)。湯沢台は寛永12年の開村。寛政村附帳では親郷泉村の寄郷で当高475石余(うち蔵分380・給分95)。秋田風土記では600石・67戸、用水は仁別川(旭川)。枝郷3のうち湯沢はもと温泉があって繁昌したといいますが当時はありませんでした。古社杉野明神社鎮座。寺院は曹洞宗湯沢山乗福寺(松原補陀寺末)、開山の雪峯慶秀は元文4年示寂といいます。一方、寺伝ではもと湯沢にあった天台宗寺院。永正17年曹洞宗として再興されたとします。天保郷帳では514石余。この頃の人口335・馬60・牛40。明治の郡区町村制下、泉村に戸長役場を置き、泉・保戸野・新藤田・濁川・山内・仁別の6ヶ村と連合。明治22年南秋田郡上旭川村の大字となります。明治25年からは旭川村、昭和8年からは秋田市の大字。

境内案内板「添川神明社(古城廻五一)」…『【祭神】天照大御神【例祭】6月11日【由緒】創始は不詳。この社に昭和3年6月11日濁川八幡神社と三本松羽黒神社を合祀した。又、古川巳一郎氏の屋敷神であったという。杉生大明神は現在この境内に建てられている。この社の宝物として「まんだら弓」がある。延宝5年(1677)添川村に於て、藩主佐竹義處の前で火矢をば一町五反も射て、前矢後矢とも当たり褒章にあづかったと記している。古城廻りには、那智滝神社があったが、これも後に合祀された。』
参道両脇の巨木。
添川館跡でもあり、古城廻という住所が遺されています。
石灯籠一対(安政三三丙辰年六月吉日、當村女講中、司三本松)


狛犬一対(文久2年)
参道を振り返るの図。
社殿。
拝殿蟇股・木鼻・海老虹梁・手鋏等。
本殿。


神社庁より…『【鎮座地】秋田市添川字古城廻り51【宮司】山本富雄【御祭神】天照皇大神、豊受姫大神、鹿嶋大神、杉皇大神、熊野大神、那智滝大神【例祭】6月11日【境内神社】唐松神社【由緒】添川神明社は、昭和3年御大典記念に同地に鎮座の杉生(すぎう)大神(明神社と呼ばれていた)に、神明社、熊野神社、那智瀧神社、鹿嶋神社を合祀して、村社となる。以来、添川、濁川、湯沢等の地域の産土神として崇敬され現在に至る。』

拝殿向拝神額(畑千代記)


拝殿内。

神明社屋根葺替並に参道改修工事寄附御芳名(宮司山本富雄ほか省略、平成4年6月吉日、工事設計施行:丸勝建設)

その他諸々。本殿新築・修復、大拍子太鼓貼替等に関するもの。



境内神社の唐松神社。

拝殿内。

唐松大神等。


境内神社の杉生神社。

手水石。

拝殿内。

杉生神社(明治45年2月吉辰)

三松山。
奉鎮祭杉生大明神新築社殿(「不思議な能力で人間に禍福を降す恐れ畏る所…」昭和58年7月1日、大工棟梁佐藤建二、建主古川巳一郎)・奉鎮祭杉生神社新築社殿、手置帆負神・屋船久久知能神・屋船豊受姫神・彦狭知々神(昭和3年戊辰6月13日上棟祭執行、建主古川、石郷岡宗一、棟梁立花吉雄、大工仝芳雄、仝石郷■友■、仝斉藤善治)・明治33子年旧6月新築、大工祭棟古川辰之助)等の棟札があります。
絵馬(天保13壬寅6月朔日)
不動明王。
狛犬!?
石塔群。

青麻大権現(安政5戊午6月吉日)

大聖不動明王(嘉永7年寅8月吉日)

青面金剛(寛政12庚申天)※下部に三猿。

こちらは倒れていて不明。

おまけ。

「自然食そゑ川」(秋田市添川添川沢)

猛暑だったのでウナギを食べに。



蕎麦とのミニうな丼のセット。

初めて頂きましたが、ここのウナギめちゃ好み!うまっ

























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