大噴火により噴出した温泉を鎮めるために建立された延喜式内社です。『温泉神社 (鳴子温泉)』からの続きです。
石灯籠一対。


龍神。

続日本後紀…『承和四年四月戊申。陸奧國言。玉造塞温泉石神。雷響振動。晝夜不止。温泉流河。其色如漿。加以山燒谷塞。石崩折木。更作新沼。沸聲如雷。如此奇恠不可勝計。仍仰國司。鎭謝災異。教誘夷狄。』

承和4年4月爆発熱湯噴出「続日本後紀」・同10月9日従五位下・文治5年源頼朝戦勝祈願・中古以来社殿廃滅・明治7年村社・明治19年3月大火・明治44年改築・昭和19年供進社指定・昭和20年造営。
手水舎。


石灯籠一対(昭和11年8月8日)と雪見灯籠。


深沢要こけし歌碑の案内。当社はこけしゆかりの神社として有名で、秋の祭典では全国こけし祭りが開催されます。

こけし歌碑


「みちのくは遥かなれども夢にまでこころの山山こころのこけし」要(昭和23年)
『延喜式内社温泉神社縁起【祭神】大己貴命 少彦名命 【例祭日】9月7、8、9日【縁起】温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和4年(837)4月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動すること数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となって流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年10月9日從五位下を賜る」と。里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名鳴子(なるご)の起りである。(宮城県郷土史)また朝廷では、延喜5年(905)全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒の深い神社である。明治7年村社に列せられ、昭和19年知事により、神饌幣帛料供進神社に指定された。祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常とした。この相撲は「文治5年(1189)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。昭和10年、拝殿建立に続き昭和19年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。例祭には、前記勘進相撲をはじめ、全国こけし祭りなどの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな楽しみとなっている。昭和60年9月8日 撰文宮司芦立忠 建立温泉神社総代会』

社殿。
社務所。

神社庁「温泉神社(おんせんじんじゃ(ゆのかみのやしろ))」より…『【鎮座地】宮城県大崎市鳴子温泉字湯元31の1【主祭神】大己貴命、少彦名命【例祭日】旧8月8日【由緒】承和2年4月(835)鳴子温泉鳥谷ケ森俄かに鳴動すること数日にして遂に轟然と爆発し熱湯を噴出した。この年の10月朝廷は、この地に一社を建てて、温泉神社を祀った。この湯を鳴声(なきごえ)の湯と称した。続日本後記巻六承和10年9月5日に玉造温泉神に従五位下が授けられた。明治7年8月村社に列格。昭和19年8月供進社に指定された。延喜式内社である愛媛道後温泉の湯神社、兵庫有馬温泉の湯泉神社、栃木那須温泉の湯泉神社、福島湯本温泉の温泉神社とは類社でとくに島根県の玉造湯神社とは深い縁があると思われる。』
社殿前の狛犬一対(昭和12年旧8月8日)
こけし。

拝殿向拝。

拝殿向拝神額(昭和甲戌)

拝殿内。こけしがたくさんありました。

土公神。

幣殿・本殿。
石殿数基。



稲荷社っぽいものが多い感じでした。



忠魂碑(第二師團長陸軍中将從四位勲二等功三級河内禮藏書)・裏面碑文(明治27・28年戦役戦死病没者、明治37・38年戦役戦死病没者名)

御神木。














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