
宮城県大崎市鳴子温泉湯元。
平安時代からその名が都にも知られていた温泉神社。この神社より温泉が湧出し始めたのが鳴子温泉の始まりと言われています。承和4年(837年)の大噴火により噴出した温泉を鎮めるために建立された延喜式内社。境内には噴火の際に飛んで流れてきた火山岩があります。
『鳴子温泉 (大崎市)』の記事。


啼子之碑。源義経が奥州へ落ちる途で北の方(正室)が出産した赤ちゃんが、この地の温泉に浸かったところ、初めて元気な泣き声をあげたので啼子と呼ばれるようになったといいます。

碑には鳴子の位置や、源義経主従が源頼朝に追われ平泉の藤原秀衡を頼って落ちのびる様子、亀割山での亀割丸の誕生、鳴子村の河原に湧き出る湯でははじめて産湯を使ったこと等や、地名由来の口碑伝説を刻んでいます。鳴子の地名由来を伝える唯一の碑です。寛政11年9月、湯守の遊佐勘左エ門定保、大沼三郎次寿、大沼善十郎良豊等により建立。

社号標「延喜式内温泉神社」

参道。
石灯籠一対(文化13年丙子8月8日)


鳥居。

温泉神社御神徳の由緒(鳴子温泉観光協会公式HPより)…『鳴子温泉に鎮座する温泉神社(大己貴命と少彦名命の二柱の神)は温泉と土地の安寧を祈る神社である。湯の神の御神徳は無病息災である。古の由来として、湯に浸かり神社に参拝すると子宝に恵まれ安産になると伝えられている。温泉神社は家内安全・身体健勝・子授け・安産・子供の成長を祈る神社として信仰をあつめている。鳴子温泉駅から坂を上って徒歩8分のところにある「温泉神社」。続日本後記に記された承和4年(837年)の大噴火により噴出した温泉を鎮めるために建立された延喜式内社です。境内には噴火の際、飛んで流れてきた火山岩があります。また、東北地方の草相撲のメッカとなった土俵があり、源頼朝が平泉征伐の戦勝祈願に相撲を奉納したと伝えられています。こちらの神社は「湯の神社(ゆのかみやしろ)」とも呼ばれる歴史ある神社で、こけしゆかりの神社としても有名です。例年秋には温泉神社の祭典が催され、神事のほか高校生による相撲の奉納や、旅館組合による献湯式が行われています。献湯式では源泉を所有するお宿の方々が、各々の源泉を神社に奉納し自然の恵みの感謝と鳴子温泉の繁栄を祈祷しています。また、同時期に全国こけし祭りが開催され、こけし工人によりこけしが奉納されたり、境内ではこけしの供養祭も行われます。こちらの神社では御朱印がもらえますので、ご希望の方は社務所までお越しください。※延喜式内社とは…延長5年(927年)にまとめられた「延喜式神名帳」に名前が記載されている2861社の神社のこと。』

石垣と手水石。

鳴子温泉小唄(白鳥省吾作詩・大村能章作曲)

『靡く湯けむり荒雄に添うてサッサラリ 鳴子八湯熱い情も夢もあるホンニ鳴子はヨ湯の鳴子ヨ 宵の湯の町滝の湯かへりサッサラリ ともる灯のいろちょいと寄り道いつ帰るホンニ鳴子はヨ湯の鳴子ヨ スキー自慢は七山越えたサッサラリ わたしや湯元と背中合わせの山が好きホンニ鳴子はヨ湯の鳴子ヨ 鳴子こけしは木人形こけしサッサラリ めごいこけしよおぼこ娘の恋ごころホンニ鳴子はヨ湯の鳴子ヨ 戊戌新春 省吾書』

参道石段。


狛犬一対(大正14年)
下部は見えないけど恐らく五重塔。

石灯籠(大正15年旧8月8日)
石灯籠一対(昭和16年8月8日)
参道。
湯神大石。
湯神大石(ゆのかみのいし)…『この大石(約十トン)は承和4年(837)潟沼湖の大噴火のさい斜面を一気に流れ下る火砕流により転石したと言い伝えられている鳴子温泉の原点を知る記念の大石である。温泉神社』

土俵。

東北地方の草相撲のメッカとなった土俵があり、秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常とした。この相撲は「文治5年(1189)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による相撲を奉納したことに始まる」とされています。鳴子相撲は九州の「明鳥」東京の「浅草」と並び、日本の三大田舎相撲の一つとして有名。

鳴子相撲記念碑(昭和62年9月8日建立)

「草相撲こそ、国技相撲道の根源である。九州の明鳥、江戸の浅草、奥州の鳴子は日本三大草相撲として古くから先人が…(状態はいいのですが、光の反射と木々が邪魔でよく見えなかったため以下省略)

鳴子相撲歴代取締役…村田川亀吉(中新田)・黒瀧治兵衛(大和)・磯乃浦久治郎(栗駒)・宮城岳正宗(仙台)・若錦喜一(仙台)・中ノ島弟児(涌谷)・栗駒山哲郎(若柳)・小柳養悦(豊里)施工鳴子町高橋石材店

塩田岩治紀功碑…『利根ボーリング社長塩田岩治氏は当時の宮城県知事千葉三郎氏の深い理解と懇望により、昭和二十二年五月、ボーリング機械及び技術研究のため鳴子町に於ける地熱開発を対象に試験作業を開始してから約七年間同社の自費自力によるさく井数は二百数十本、延長実に数万米に達し、この地域における無限の地下熱源の実態及び、これが利用につき前人未踏の調査研究が行われたのである。この間副産物たる熱源の利用については同社の好意により当町において学校、病院、役場等の蒸気暖房をはじめ旅館、一般家庭の利用に供して今日に至ったのである。今回、同社の本町における地熱開発研究作業の終了にあたり、地下熱源は依然として無償で利用しえることとなり、福祉増進に寄与するところ極めて大であって深くこれを徳とするものである。ここに同社の偉大なる業績にたいし町民を代表して感謝の意を表し、高度の利用に当町の発展を期待するものである。大要を勒して後世に伝える。昭和三十二年九月二十六日衆議院議員千葉三郎顕額、宮城県鳴子町長髙橋清治郎』

長くなりましたので『鳴子温泉神社 ~其之弐』へ続く…















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