
秋田県北秋田郡上小阿仁村大林。

コブ杉(天然秋田杉・林野庁選定「森の巨人たち100選」)を目指します。
案内板「上大内沢地区山村広場のご案内」より…『道の駅かみこあに駐車場から上大内沢地区山村広場まで車で約10分』・『コブ杉まで(最短ルート徒歩約10分(約500m))』・『※所要時間は、成人男性の歩行を想定しています。景観を眺めながらゆっくり散策した場合や、個人の体力差により実際の所要時間は変わりますので、あくまでも参考としてください。』・『上大内沢自然観察教育林の天然秋田杉のエリアは、樹齢約250年、樹高50mを超える巨木をはじめ、約700本の秋田杉が群立します。コブ杉は平成12年に林野庁の「森の巨人たち百選」に選ばれました。平成16年には東京上野の「国立科学博物館」に展示するため1本、「京都迎賓館」の建設用に2本の天然秋田杉が伐採されました。国立科学博物館に展示されている天然秋田杉の伐根(切株)は、屋根をかけて保存に努めています。』・『コブ杉までは、丘に向かって右手の遊歩道をご利用ください。小川のせせらぎを聞きながら歩くこと約10分、美しい天然秋田杉林の中、東屋の程近いところに、何とも不思議で神秘的な姿の「コブ杉」が雄大な姿を現します。』・『「やまびこポイント」丘に登ったら、振り返って駐車場の方を向き、そこから望む山に向け、思いの丈を叫びましょう。最高のやまびこが応えてくれます。大声を出せば日頃のストレスが解消できるかも?』
上大内沢地区山村広場から歩いていきます。

ちなみに案内板にある最短ルートは豪雨による影響で歩道全体が損壊しており通行止め。人工秋田杉林内の遊歩道を進みます。
っていうか…目的地への距離に対し、出没が早過ぎる休憩施設。

クマが出没しそうな雰囲気が漂っていましたので、『となりのトトロ』主題歌「さんぽ」を歌いながら向かいました。
周囲の杉はすべて巨木!っていう感じ。
このような看板が設置されています。順位付けされているのが面白いですね。

面積3.85haに、樹齢250年を超える約700本の天然秋田杉があり、日本の天然林の中でも高い蓄積を誇ります。
平均樹高は43m、樹高が50mを超えるものも50本以上あり、林内で最も高い杉は、日本一の高さを誇る「きみまち杉」の58mに匹敵する56mとのこと。
道中「コブ杉まで約〇〇m」の看板があったりしますが、個人的にそこに書かれている距離よりはかなり短く感じました。

休憩広場。

上大内沢自然観察教育林概要(旧名:上大内沢天然林収穫試験林)…『この試験地は大正13年12月に秋田営林局の要請にもとづいて、寺崎博士が、天然林収穫試験地に設定され、杉天然生林の間伐について指導し、現在まで2回の間伐が行われている。杉天然生林の林分、成長量、単木成長量について更に林分構造の変について調査してきたが、昭和61年この役目も遂げたので長年にわたり高品質の天然杉を生産してきたことを後輩に伝えるため、天然杉の美しい姿を保存し、村民の憩いの場、小・中学生等の自然科学教育及び森林の役割森林施業等について認識を高めるなど適地として、昭和63年4月12日に自然観察教育林に選定された。1.【場所】上小阿仁事業区上大内沢国有林133林班ろ1小班・2.【面積】3.85ha・3.(読み取れず)・4.【林令】(読み取れず)』

見えてきました。
樹高50mを超える天然秋田杉林の中に佇むコブ杉。
森の巨人たち100選№12「コブ杉」(林野庁/上大内沢コブ杉保存協議会)…『■樹種/スギ■推定樹齢/230年■樹高/40m■幹周/3.77m』

コブ杉のコブ。
直径:1.20m(コブ最大幅2.2m)・幹周り:3.77m(コブ最大周り6.6m)・樹高:40m・樹齢:200~300年(推定)
『「コブ杉」は、秋田県北部の上小阿仁村に位置し、樹齢250年以上の天然秋田杉が生育する上大内沢自然観察教育林の中にあります。上小阿仁村を通る国道285号の大林には「コブ杉」の案内板が設置されており、そこから旧道を通って林道を5分ほど車で進むと山村広場駐車場に到着します。駐車場から「コブ杉」までは遊歩道が整備されており、10分ほど歩くと約700本が群立する天然秋田杉の巨木の森が現われます。さらにその中を5分ほど歩くと天然秋田杉に巨大なコブを付けたひときわ神秘的な「コブ杉」が姿を見せます。コブの大きさは幅約220cm高さ約200cmもあります。この巨木は、平成12年に「森の巨人たち百選」(林野庁)に選ばれています。』
なお、なぜこのような姿になったのかについては定かでないそうです。森林関係者によりますと、真菌類によって引き起こされるこぶ病とは異なるとのこと。周囲にこうした樹木は見当たらず、「樹皮にできた傷から身を守ろうと肥大化したものかもしれない」とのこと。
コブ杉スケール。
コブ杉の近くの杉。
案内看板。

704本中、各何位にまで案内看板があるのか気になってきました。

最後に阿仁についてです。

阿仁は中世~近世の阿仁川・小阿仁川流域の総称または郷名。安仁・阿二とも書きました。大阿仁と小阿仁を区別し両者合わせて両阿仁ともいいます。天正19年正月17日、豊臣秀吉朱印安堵状写に秋田郡小阿仁村とあるのが阿仁の初見史料ですが、この村は小阿仁の一部です。慶長2年材木入用帳に「阿仁之内は禰山」、同4年加成十兵衛・三七代官所物成算用状に「阿仁庄・小阿仁」ともあります。近世作成の記録では、聞老遺事の永禄10年10月15日条に「比内・阿仁」、館越記の天正16年正月条に「安仁ノ笠張」、湊檜山両家合戦覚書の天正17年頃の記事に「大アニ・小アニ」、永慶軍記の巻14に「阿仁」と見えます。元和3年写本という梵字宇山興立記では、平安初期に阿仁に翁面山重楽寺を建立と記し、菅江真澄の房住山昔物語では、米ガ沢・釜ガ沢の両地域に平安期の高倉長者の嫡庶子が拠り、大兄・小兄を称したという古老の伝えを収録。阿仁・大阿仁・小阿仁の呼称は古いとみられます。元弘4年2月曽我光高申状案の陸奥国大阿仐(午)(おおあご)郷は、津軽平賀郡の大鰐に比定されているが、大阿仁とする説もあります。中世の阿仁地方は水系から推して陸奥国管内に属したとみられますが、比内郡管内かどうか未詳。戦国末期に比内郡を掌握し出羽国秋田郡管内に併合した秋田氏の支配下でも、「阿仁庄」と「比内庄」を区別。天正~慶長年間には、秋田氏家臣となった米内沢城主加成氏とその一族が「秋田郡阿仁庄」の大半を支配。近世秋田藩政下でも、阿仁は秋田郡管内に含められながら、秋田スギなどの森林資源と阿仁鉱山などの鉱山資源の管轄のため特別区画を形成。御材木郷として置かれた大阿仁・小阿仁が特別行政区域ともなります。享保郡邑記では両阿仁を秋田郡南比内管内に含めますが、実際は別であったとみられます。元文年間秋田六郡御高調(秋田沿革史/大館市史)中の比内当高調では、大阿仁26か村(親郷浦田村)5,796石余・小阿仁15か村(親郷沖田面村)2,999石余とあります。寛政村附帳では、秋田郡両阿仁41か村には親郷が設置されず、年行事が郷用を勤めると記載。寛政年間に権限強化された郡奉行制下では米内沢に御役屋を設置。増沢・羽根山・木戸石・李岱以東の阿仁川流域部が大阿仁、根田・芹沢以南の小阿仁川流域部が小阿仁。阿仁川河口部の麻生村は北比内に属します。御材木郷の大阿仁・小阿仁に関する史料は多くあります。大阿仁大肝煎奈良岡氏、小阿仁大肝煎杉淵氏が、能代奉行(のち能代木山方)の管掌下に御材木の管理を担当。廃藩置県後、明治11年に南比内・北比内とともに北秋田郡を編成。その後も阿仁地方は北秋田郡阿仁部の通称を持ち、一つのまとまりを保ち、現在も阿仁町・上小阿仁村などの町村名として地名を留めています。



























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