岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里第22地割字赤浜。赤浜地区の高台に鎮座。

赤浜八幡宮前の赤浜八幡公園内にある昭和8年3月3日大海嘯記念碑…『一、地震があったら津浪の用心せよ 一、津浪が來たら髙い所へ逃げよ 一、危険地帯に住居をするな 地震ノ時:午前二時三十分 津浪襲來:午前三時 津浪ノ髙:十五尺 【被害状況】流失倒潰戸数:大槌町六百二十二戸 溺死者数:同上六十一名 耕地浸水:六十七町歩余 其他漁船漁具農具家具多数流失』

吉里吉里(きりきり)は吉里々々とも書き、船越湾の南に面する吉里吉里半島の基部に位置、西側に鯨山・小鯨山があります。吉里吉里半島の崎山弁天遺跡は海岸の水際で、北向きの台地にあり、縄文前・中・後・晩期の土器片・土偶・石槍・石斧・石鏃など打製・磨製の石器が出土。吉里吉里海岸は白砂青松に富み、踏む砂のキリキリと鳴り響く音が地名の起こりともいわれています。また、地形からみて北東部に突出して海に面しているため、限々(ぎりぎり)とか切々(きりきり)とかいわれたことに因むともいわれています。
江戸期の吉里吉里村は閉伊郡のうち。盛岡藩領。寛永9年から大槌通に属します。村高は正保郷村帳117石余(田63石余・畑54石余)、貞享高辻帳147石余、邦内郷村志・天保郷帳ともに259石余、天保8年は259石余、うち蔵入高234石余・給所高24石余、安政高辻帳208石余、旧高旧領258石余。仮名付帳によりますと当村の枝村に赤浜村・浪板村が見えます。邦内郷村志では家数162、馬108。本枝村付並位付によりますと位付は下の上、家数176、集落別内訳は本村91・波板36・赤浜49。享和3年の南部太膳大夫領内陸奥国閉伊郡東海岸村々里数併人数家数漁船覚では家数91・人数497、船(500~600石積)は3~4艘、漁船は与板船8・小天当船10・五大力船2、枝村は赤浜村(家数49・人数265)・波板村(家数36・人数194)。村の主産物は海産物であり元禄年間から俵物として重視され海上積出しが行われました。廻船問屋前川善兵衛が代々藩の御用商人として活躍。前川家は寛保元年には代々帯刀を許可され、宝暦3年幕府より藩が下命された日光山の修理費用のうち5,000両と米3万俵を負担。また釜石十分一取立方(他領に積出しの際の納税取立役)に下命されて、藩へ2,000両を上納しています。更に宝暦5年の大飢饉の際には、村中83軒の304人に対し、1人につき稗1升ずつを与えたり、朝夕の2度にわたり2ヶ月間粥をふるまいました。前川家は元禄3年以来、江戸や常陸那珂湊で交易を行っており、その主なものは鰯油・干鯣・干・干鱈・鮭塩引・干蛸・鰹節・塩鰹・串貝・布海苔などで、他に木材(檜・杉)も運送。漁業関係では田鎖家もこの地方で活躍した家で、田鎖丹蔵は文化3年、釜石平田において鮪建網の装置を試用して漁獲高をあげ、以後天保10年までに下閉伊郡宮古浦・三戸郡八戸鮫浦・北郡田名部に漁場を開きました。丹蔵はその功により、藩主から苗字帯刀を許可され、更に扶助米3駄(1駄は8斗)を与えられました。神社としては天照御祖神社と倉本稲荷があり、倉本稲荷は倉本沢に社地をもち、甲州から移住した倉本家の氏神ですが、天保14年の倉本稲荷棟札に大同2年建立と記されています。寺院としては曹洞宗虎竜山吉祥寺があり、享保元年に豪商前川氏3代目にあたる善兵衛助友が独力で現在地に移転。明治元年松本藩取締、以後江刺県、盛岡県を経て、同5年岩手県所属。同12年南閉伊郡に所属。同年の村の幅員は東西25町・南北1里6町、税地は田22町余・畑132町余・宅地9町余・荒地6町余など計169町余、戸数231・人口1,244(男619・女625)、職業別戸数は農業173・雑業50、物産は牛・馬・鮭・鯣・サガ・米・大豆・楢子・蘿蔔・濁酒など。明治8年私塾廃止の通達により有志が学校設立運動を展開し、同10年請願書を県令島惟精に提出。同12年枝村の赤浜の八幡神社にあった小学校を本村の吉里吉里に移し、村社天照御祖神社内に設置。同20年吉里吉里簡易小学校と改称。同22年大槌町の大字となります。
明治29年の津波後、大槌町会は吉里吉里海岸の潮除堤防復旧費を可決し工事に着手。昭和8年3月の津波では流失105戸・倒壊23戸・死者15名。同10年吉里吉里巡査駐在所設置、管轄区域は吉里吉里と浪板の2地区。同13年国鉄山田線吉里吉里駅を設置。同31年吉里吉里小学校浪板分校開校。同35年のチリ地震津波後、第2種漁港昇格運動が起こり、同38年昇格が決定し、国庫補助による港湾修築が進められました。また、第三次漁港整備計画以後、埋立て・護岸・防波堤の整備がなされました。昭和36年国鉄山田線浪板駅開業。地内の一部が同39年吉里吉里1~4丁目、同40年赤浜1~2丁目となります。同41年吉里吉里公民館設立。同44年国道45号の吉里吉里~大槌間が開通。同46年吉里吉里半島の先端部に筋山経由で赤浜に至る観光道路リアスシーニックラインが開通し、太平洋と内陸の北上山地を眺望できます。同52年漁業構造改善関連整備事業の一環として漁村環境改善総合センター完成。同56年、井上ひさし著「吉里吉里人」がベストセラーとなり、当地でも「吉里吉里国独立宣言」を行い、観光に一役果たしています。昭和55年の世帯数763・人口3,166。

指定緊急避難場所(八幡神社境内)ここの地盤は海抜20.1m。

赤浜八幡宮。御祭神は八幡大神。例祭日旧9月15日。
石灯籠三対・手水石一対。
狛犬一対(昭和55年6月吉日)
拝殿。
本坪鈴ではなく鰐口。

拝殿向拝神額。


由緒…『享保18年(1733)9月15日、南部信視公時代に堂一宇建立とあれば、創立はこの頃になる。古来より武運長久を祈る者多く、また海上安全を祈願する者多い。』

境内からはひょっこりひょうたんじ島のモデルとなった蓬莱島が一望できます。例祭日には地元の陸中弁天虎舞のほか、安渡虎舞、大槌城山虎舞、向川原虎舞、上亰鹿子踊、安渡大神楽などの郷土芸能団体が神輿をはさみ、虎舞の掛け声に乗って地区をまわり、ひょうたん島が近くに見える広場より海へと入ります。二基ある御輿のうちの一基は山梨県富士川町の寺より寄贈されたもので、もう一基の地元の陸中弁天虎舞の山車は被災したものの、遠野市の宮大工により再建されています。

石碑群。

天照皇大神・紫波稲荷・石國三十三観音・金毘羅等。


以下は神社のすぐ近くにあった東日本大震災大津波記念碑です。

平成30年3月、赤浜地区の高台に「東日本大震災大津波記念碑」が建立されました。「ひょっこりひょうたん島」の歌詞の一節に希望を重ねた蓬莱島は大槌町のシンボル的存在。

「急告!地震が発生したら高台に避難せよ」

「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め!ひょっこりひょうたん島」作詞井上ひさし・山元護久

東日本大震災大津波記念碑(碑文)…『東日本大震災大津波・地震の震源及び規模等(気象庁データ)。【地震発生時刻】(西暦2011年)平成23年3月11日金曜日14時46分【発生場所】北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km【規模】9.0モーメントマグニチュード【最大震度】7【赤浜地区の出来事】・大槌での震度6弱。・14時49分…大津波警報発表。ほどなく停電、防災無線も停止。公民館長がハンドマイクで避難の呼びかけ、地区内を車で巡回。・15時06分…余震、岩手県沖、М6.5、震度5弱、赤浜地区は震度4。海面が上昇、蓬莱島周辺も水位が上がっていくのを確認。海面上昇にともない、海水面の色が変化していくことを確認。・15時08分…余震、岩手県沖、М4.6、震度5弱。・15時20分…大津波襲来、防潮堤を越流。漁船や建物が津波で流される。津波で地区内の電柱がなぎ倒される。蓬莱島が水没、弁財天のお堂も見えなくなり、樹木の上部のみ確認。大きな引き波により、流されていた漁船や建物が激しくぶつかる。引き波で、蓬莱島付近の海底が目視される。押し波、引き波が繰り返し襲来。地区内各所で火災発生。・16時28分…余震、岩手県沖、М6.6、震度5強。・17時35分…日没。地区内各所での避難所運営開始。・20時36分…余震、岩手県沖、М6.7、震度5強。・3月12日、20時20分…津波警報に切り替え。・3月13日、07時30分…津波注意報に切り替え。・同日、17時58分…津波注意報解除。赤浜地区における津波到達の高さ…12.9メートル(国土地理院公表)。赤浜地区民の犠牲者数…93名。同関連死者数…5名。計98名。』
ぼくらはくじけない、そして、あの日を忘れない…『赤浜地区は、古くから漁業で栄えてきた。縄文時代の集落跡も点在し、住みよい場所であったことを示している。かつては砂浜が広がり、集落からはどこからでも「蓬莱島」を望むことができた。赤浜の呼称は、花崗岩が風化してできた砂浜が対岸からは赤く見えたことからともされる。そしてこれまでにも、幾度となく津波災害に見舞われたが、住民は協働し乗り越えてきた。東京オリンピックが開催された昭和39年、人形劇「ひょっこりひょうたん島」の放送が始まった。原作は、井上ひさしと山元譲久。「ひょっこりひょうたん島」では、大統領ドン・ガバチョや海賊トラヒゲ、博士や子供達が、共に知恵を出し合い協力し合って問題を解決した。あの島で繰り広げられる協働こそが、「まちづくり」に不可欠のものであると信じる。あの忌まわしい東日本大震災津波は、赤浜地区の、多くの住民の生命財産を奪い去った。けれど、非日常にあっても、あの「ひょっこりひょうたん島」で繰り広げられた「協働」を、避難所において、或いはコミュニティ再生に向け、確実に実践してきた。皇后陛下美智子様が喜寿を迎えられた際、第十七回全国豊かな海づくり大会(平成9年10月5日、大槌漁港にて)のあと御所に送られた「ハマギク」を背景に、両陛下のお写真が公表された。この「ハマギク」の花言葉は、「逆境に立ち向かう」。住民と協働し、まさに「逆境に立ち向かう」日々である。このハマギクは、秋になると、あの津波で水没した蓬莱島にも咲く。ここに、往事の蓬莱島と大槌港灯台の姿を、そして東日本大震災津波の記録と記憶をとどめる。平成30年3月11日建立』











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