
宮城県仙台市青葉区作並字棒目木。

どうだんの里という蕎麦屋付近です。

鳳鳴四十八滝周辺観光案内図。

広域マップ。
仙台の清澄な水と豊かな森に囲まれた名瀑布…『仙台市内から山形県に抜ける国道48号沿いにある広瀬川には、大小様々な滝が折り重なるように連なり「鳳鳴四十八滝」と呼ばれています。鳳鳴四十八滝は、滝から響く美しい水音が伝説の鳥「鳳凰」の鳴き声に似ていることから名付けられたと言われています。高台から広瀬川の上流を眺めると、鬱蒼とした樹林の間を階段状のいくつもの滝が白い泡をたてて流れ、その背後にはお釜を逆さまにしたような形の「鎌倉山」がそびえています。緑あふれる森の中にあり、清冽な水が流れる鳳鳴四十八滝は、仙台の知られざる滝の一つです。』

鳳鳴四十八滝周辺観光案内…『古くから仙台の奥座敷として知られる作並温泉は、仙台市と山形市を結ぶ国道48号(開山街道)に位置し、その由来は歴代仙台藩主のかくし湯と伝えられています。寛政8年(1796年)の開湯以来、正岡子規、土井晩翠、白州次郎など、さまざまな文化人を始め多くの人が訪れています。肌にやさしい泉質と豊富なお湯から「美女づくりの湯」とも言われており、露天風呂、岩風呂、立ち湯など各旅館の多彩な湯めぐりが楽しめます。鳳鳴四十八滝周辺では、「ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所」、鉄道の発展に大きく貢献した交流電化発祥の地である「作並駅」、源泉かけ流しの足湯がある「湯のまち作並観光交流館ラサンタ」などがあります。』

作並は奥羽山脈の分水嶺関山峠に接し、広瀬川源流の作並川流域北岸の集落。中世以来の邑名で温泉郷として知られます。羽州街道の要路にあり宿駅として集落を形成していました。戦国期の作並は名取郡のうち。伊達治家記録の天正16年5月6日条に「御東(政宗母)へ御出、御廐口に於て名取郡作並(所の名最上境に近し)野伏新左衛門三級献上す。御腰物を賜う」と見えます。当時は名取郡のうちに数えられていました。江戸期以降の作並村については封内風土記に「宮城郡国分荘作並邑。戸口凡二十六、市居在りて駅也。山上奥羽の界有り、封人之を守る」と見えます。村高は231石余から293石余。安永風土記によりますと村高は田代10貫余・畑代17貫余で計27貫余。人頭22、家数は町住居15・村住居19の計34、人口男197・女151で計348、馬45。神社3・仏閣2・寺1。本木に眼病・湿瘡に効く作並温泉があります。伝馬役が課せられています。端郷に坂ノ下があります。宿とも呼ばれた町場には境目番所が置かれていました。明治元年新仙台藩、同4年仙台県、同5年宮城県所属。同8年の戸数42、人口は男160・女150で計310。同22年宮城郡広瀬村の大字となります。昭和30年に宮城村、同38年宮城町、昭和62年からは仙台市の大字。昭和12年仙山線全通、昭和38年仙台~山形間の関山街道が1級国道48号に指定、昭和43年関山トンネルの開通とともに48号が完全整備されたため、温泉郷としての作並はより発展しました。昭和52年世帯数348・人口1,296。

石灯籠一対(明治27年8月28日、作並村中奉献)


Wikipedia「作並」より一部抜粋…『作並(さくなみ)は、宮城県仙台市青葉区の大字。郵便番号は989-3431。住民基本台帳に基づく人口は704人、世帯数は404世帯(2025年4月1日現在)。宮城郡作並村、宮城郡広瀬村大字作並、宮城郡宮城村大字作並、宮城郡宮城町大字作並、仙台市大字作並を経て現在の住所となった。ここでは町村制施行以前に存在した作並村についても併せて記述する。山形県との県境、奥羽山脈の中にある山村で、江戸時代から作並温泉が位置する。【地理】宮城県中部、宮城郡の西端にあり、北西から南東に長い。現在の仙台市青葉区の大字作並とニッカの2地区にあたる。面積の大部分は奥羽山脈の山地で、北西の関山峠で山形県に通じた。峠付近から広瀬川が流れて東に向かう。広瀬川は江戸時代には作並川といい、作並では作並川、熊ケ根で熊ヶ根川と地名に従って次々名を変えた。作並の東端近くに鳳鳴四十八滝がある。川沿いに国道48号(関山街道、作並街道)が通る。中央部から南東部にかけて細長い河岸段丘があり、集落が点々と連なる。中央部から上流で広瀬川は深い谷を刻み、そこで国道は山の急斜面につけられ、関山トンネルで県境をくぐって山形県に抜ける。地図上では地区の中央部、集落の連なりからすると北の外れ近くに、作並温泉がある。少し南には江戸時代に宿場町がおかれた壇ノ原という小字があり、宿と通称される。1931年、そこから南東にある相ノ沢という字に作並駅ができると、その周辺に町並みが形成され、作並地区の中心は宿から駅周辺に移った。南境は新川川で、新川に接する。川の北岸は地理的には新川に近いが、作並の一部である。宮城町の時代にニッカウヰスキーの工場が建てられた新川川と広瀬川の合流点も作並であったが、工場の敷地だけニッカ地区として分離され、現在は「仙台市青葉区ニッカ1番地」である。作並でもっとも目立つ山は、国道に面する南側に断崖をさらす標高520メートルの鎌倉山である。人里離れた山中に大沼がある。かつて大沼には浮島という島があり、漂って位置を変えることで知られていた。1906年頃に浮島は北岸に付いて動かなくなったという。【歴史】縄文時代の遺跡に、相ノ沢遺跡、鎌倉山遺跡、日向遺跡、川崎遺跡がある。それ以降の遺跡は発見されておらず、平賀館跡まで下る。戦国時代には名取郡に属して伊達氏の勢力圏内にあり、天正16年(1588年)に作並の野伏新左衛門が首3級を伊達政宗に献じて褒美をもらった。この頃宮城郡・名取郡では最上義光領から侵入する小部隊との小競り合いが繰り返されており、これもその一つであったのだろう。平賀館は江戸時代のはじめに作並宿の北の小さな高地に仙台藩士の平賀源蔵が住んだと伝えられる居館である。源蔵は館のそばに興源寺を作った。江戸時代の作並村は、一貫して仙台藩伊達氏の支配下にあった。伊達家は宮城郡を三分し、作並村をそのうちの国分荘(国分郷)の管轄に配した。仙台から関山峠に向かう街道に作並宿があり、作並御番所が置かれた。加えて峠の手前に坂下御番所が置かれ、この2箇所が藩境の関所であった。作並宿は1774年(安永3年)には家が15軒まとまって建つ小さな町場をなした。耕地は畑の比率が高かったが水田もあった。しかし農業だけでは生活が成り立たず、村人は農業のかたわら馬を連れ、あるいは自ら荷をかついで、運送で稼ぎを得た。1882年に関山トンネルが作られ、街道が車馬通行可能に整備された。1887年に仙台に鉄道が通ると、従来の運送では日本海経由で関西方面と強くつながっていた山形は、仙台経由で東京につながるようになり、途中にある作並が賑わった。1889年に作並村は街道沿いの4つの村と合併し、広瀬村の一部になった。旧作並村は作並区となり、区長が置かれた。作並区は後に作並一区と作並二区に分けられた。1901年に奥羽南線(後の奥羽本線)が福島と山形を結ぶと、運送はこちらに切り替えられ、関山街道の往来は急速に落ち込んだ。交通の要所としての作並の活況もなくなり、薪や木炭を仙台と山形に送りだす山村になった。1931年に仙山線作並駅が開業すると、薪炭輸送も作並温泉への人の入りも便利になった。駅周辺に家が増え、こちらが宿にかわって作並の中心になった。山深い地だが、その割りに人口減少が進んでいない。自動車の普及、国道48号の整備、仙台市の人口膨張といった条件が重なって東部に住宅が建っている。【寺院】江戸時代の作並村には寺院として興源寺があり、仏堂として薬師堂があった。いずれも2006年現在まで残り、他に烏不動と2つの寺がある。桧倉山興源寺は、曹洞宗明峰派に属し観世音菩薩を本尊とする。寺の伝えでは伊達家の家臣平賀源蔵が建て、仙台の竜泉院十八世武山正芸を開基とする。壇ノ原(宿)に所在したが、1959年(昭和34年)8月に北子原に引っ越した。薬師堂は穴薬師とも呼ばれ、新川川下流北岸の岩谷堂という地区にある。地名は岩をうがってつくった薬師堂から生まれたものであろう。広瀬川と新川川にはさまれた東西に長い地区は、その中央に東西に走る稜線によって分けられる。その山の南面の岩壁に方形に穿ち、十二体の木の仏像を置いたのが、穴薬師である。1959年(昭和34年)に関山峠の登り口に鶴林山関山院が開かれたが、1984年(昭和59年)に火災に遭ってなくなった。岩谷山崇高院は比較的新しい寺院で、岩谷堂地区にある。場所は薬師前から西に入った奥である。作並温泉から上流に入った広瀬川左岸(東岸)、新作並橋をわたったところに、慈光院がある。(寺院らしいが詳細は不明)【神社】1772年頃の作並村には山神社、稲荷社、日月社、葉山権現社があり[10]、明治時代には八幡神社、大伊勢沢神社、山神社、稲荷神社、葉山神社があった。20世紀以降、八幡神社と日月神社は一緒に祀られており、おそらくは江戸時代も同様であろう。これらのうち八幡神社が1875年(明治8年)3月15日に村社になった。作並村が広瀬村の一部になってから、1919年(明治22年)5月17日に広瀬村の神社はみな村内の上愛子にある諏訪神社に合祀された。内務省の神社合祀政策によるもので、公的にはこのとき作並の神社は全廃された。しかし地元の人は日月・八幡神社の祭祀を絶やさず、2006年現在に至る。後に作並温泉に湯神神社が作られた。また、同じく作並温泉の一の坊ホテルが門の前の植え込みの中に温泉神社という小さな社を作って祀り、2006年現在の作並には3つの神社がある。』

大聖不動明王(元治2歳8月)

古峯神社(明治27年旧正月13日)

金華山。

棒目木不動明王の覆屋。


棒目木不動明王。
今井山不動尊(大正12年2月28日 為受験合格記念之 今井靜)

不動尊を模ったかっこいい碑です。
今井山不動尊(昭和9年4月 東北帝國大學醫學部入學祈願願達成記念 隆 今井永吉建之)

こちらも似たような碑ですね。
祈武運長久(昭和13年10月26日、漢口陷落記念、今井永吉建之)

こちらも今井山不動尊。



昭和15年9月28日・舊8月28日建之。
裏面には「聖今井山鳳鳴大聖不動明王縁起」
読み取れなくはないのですが、何となく大変そうだったのでスルー。興味のある方は現地でご覧ください。
鳳鳴四十八滝。
大小さまざまな滝が織りなす神秘的な水音が、伝説の鳥「鳳凰」の鳴き声のように聞こえたことがその名の由来。新緑、紅葉の時季がおすすめです。
案内看板のようにきれいに鎌倉山が見えませんね。撮影角度が悪いのか、周囲の木々が伸びたのか。
滝の向こうに見える鎌倉山は、仙山線作並駅に近い国道48号沿いに聳える切り立った山。鋭いことを示す「鎌」、岩壁を意味する「倉」から名付けられたと言われています。通称の「ゴリラ山」は、南からみた鎌倉山がゴリラの横顔のように見えることからそう呼ばれるようになりました。標高は520mで、コースを選べば登りやすく、木々の間を歩いて森林浴を楽しむことができるそうです。ニリンソウなど早春の花が咲く頃や紅葉の時期に登るのもおすすめです。また、周りにさえぎるものがないので、山頂付近からの眺めは抜群らしいです。下から眺めても登っても楽しめる山とのこと。

Wikipedia「鳳鳴四十八滝」より一部抜粋…『鳳鳴四十八滝(ほうめいしじゅうはちたき)は宮城県仙台市青葉区にある滝である。広瀬川の上流、国道48号沿いにある。落差が25メートル、幅が10メートルあり、青葉区作並と新川の間、両側から山が迫る渓流部で、大小の滝が連なって滝音を周りに響かせる。数は四十八に達しない。四十八滝は江戸時代からある呼び名で、支流まで含めた上流の滝を全部あわせると四十八あるのだとも説かれるが、当時からどこの滝が何番めというようには定まってはいない。かつて棒目木の滝(ぼうめきのたき)とも呼ばれた。また、「ぼうめきの滝」は数ある滝の中でもっとも大きいものを指したともいう。鳳鳴の名は近代以降に生まれたものらしいが、語源は不明である。大小いくつもの滝があり、それらの滝が奏でる音を鳳凰の鳴き声にみたてたとする説がある。また別に、かつて天女が舞い降りて舞いをしたという伝説がある。』
仙台市HP「鳳鳴四十八滝」より一部抜粋…『仙台市内から山形県に抜ける国道48号沿いのセイコウ大橋付近では、広瀬川が大小様々な滝となり、折り重なるようにして流れる姿を見ることができます。「鳳鳴四十八滝」と呼ばれるこの景観は、滝から響く美しい水音が伝説の鳥「鳳凰」の鳴き声に似ていることから名付けられたとも言われています。遊歩道の先にある展望所から見ると、鬱蒼とした木々の間をいくつもの滝が白い泡をたてて流れ、その奥には鎌倉山が顔を覗かせています。新緑の時期や紅葉の時期など、季節ごとの緑の景観を味わいに繰り返し訪れたくなるところです。』


「鳳鳴四十八滝」の由来が由来だけに、写真ではあまり良さが伝わらないかもー。
















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