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秋保神社 (仙台市)』からの続きです。
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手水舎。
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手水舎にあった秋保神社御由緒より…【御祭神】健御名方命、他八柱【祭礼日】例大祭:9月15日、奉祝祭・神輿渡御・神楽・湯立神事:9月中旬の土・日【御由緒】当社の御創建は、秋保の最も古い歴史として記されていますが、今から凡そ千二百年程前、平安初期の大同三年(808)、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社をお祀りしたのが初めと伝えられ、現在では境内に摂社として御社殿の南側に鎮座しております。時は下り、室町時代に深谷大曲城主の永井掃部晴信に攻められ、最上山形に流浪していた秋保村領主秋保氏の祖先平盛房が、信州諏訪大社に本土恢復・居城奪回を祈願したところ、戦勝の御神徳を賜り、秋保郷の民をしいたげ非道であった永井氏の居城戸崎を攻め滅ぼしたことから、諏訪大神の御神霊をこの地に勧請し、諏訪神社としてお祀りし、『戦の神』と崇敬されるようになりました。慶長五年(1601)には、武家の守護神として仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護され大社が建立されると共に、正保三年(1646)には二代藩主忠宗公の参詣があり、伊達家の永久祈祷を仰せ付けられました。明治四十二年(1909)には、明治天皇の御勅令により秋保五ケ村の馬場の愛宕神社をはじめ、長袋の神明社、新川の新川神社、白山神社、湯元の湯神社、境野の八幡神社、羽山神社の御神霊を合祀し、社号を『秋保神社』と改め、秋保総社となり、秋保の象徴として氏子奉賛により護持されております。御祭神は、健御名方命をはじめ天照皇大神他七柱を祀り、生活安全、五穀豊穣、火防、開発開拓、特に勝負の神、大願成就、開運の神様として名高く、御利益は多方面に亘りあらたかであります。【神楽(仙台市登録無形民俗文化財)】当社の神楽は、四百年以上の歴史があると伝えられ、奉納演舞は一月十四日のどんと祭と九月の例大祭初日に行われます。演目は法印神楽の舞を主としており、一部に熊野堂系の舞曲を含め、舞型には修験の呪を多く用いております。【湯立神事※例大祭奉納神事】神楽に続き、釜で湯を沸かし、湯の力でお祓いをします。お湯は秋保温泉の源泉が使われています。使われた竹笹は、無病息災の縁起物として参拝者が持ち帰ることができます。
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内容はかなり被ると思いますが、せっかくパンフレットがたくさんあるので活用します。
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秋保神社…『秋保総鎮守の秋保神社。古くは坂上田村麻呂ゆかりの熊野神社である。中世秋保氏15代盛房が、名取大曲城主の長井晴信に攻められて本拠地の秋保を追われ最上に逃れた際、悲願の領地奪還という捲土重来の物語を伝える諏訪神社を、藩政時代に大原の桜森から移している。明治期に至り各集落にあった鎮守を合祀し秋保神社となった。』・『もとは坂上田村麻呂創建の熊野神社と伝えられていますが、室町時代永正10(1513)年、信州から勧請された諏訪神社と合祀され、それ以降「お諏訪さま」と呼ばれ旧秋保5ヶ村の信仰の中心的存在となりました。明治42(1909)年無各社合祀の勅命により、秋保村内の鎮守を合祀して秋保神社と改称されました。近年「勝負の神様」としても知られ、有名なスポーツ選手も多く参拝されています。「新勝守」は羽生結弦選手のオリンピックの金メダルと国旗をイメージして作られたそうです。また境内にタラヨウの御神木があることから縁結びのご利益もあるとか(昔タラヨウの葉は恋文に用いられたとか)。』・秋保神社…『古くから「お諏訪さま」と呼ばれ、秋保5ヶ村の信仰の中心的存在だった。もとは坂上田村麻呂が創建した熊野神社が鎮座していたといわれるが、秋保氏15代盛房が名取の長井氏との合戦に戦勝を祈願して長野より諏訪神社を勧請することにともない、ほどなくこれを合祀、秋保郷に諏訪神社が誕生する。明治42年無格合祀の勅命により、秋保各地区の神社等を総括合祀して秋保神社と改称した。秋保各地区の神社及び氏子の催事には当社の宮司が出向くといわれ、秋保郷の総社としての格付けであり、今もなお広く地域住民に慕われている。』
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神社庁より…『【主祭神】建御名方命【例祭日】9月15、16日【由緒】元、秋保村領主秋保氏の勧請するところにして秋保氏の祖先平重盛の孫資元は平氏で西海に没落の折り肥前長崎に居住す。其後、平基盛に至り永仁3年8月鎌倉将軍維康親王に仕え奥洲名取郡を賜り秋保郷に住し、徳治2年左近衛将監に任じた。数代を経、平盛房に至り明暦9年深谷大曲城主永井掃部晴信の攻むるところとなり再び没落して最上山形に流浪、天童に留まること12年余、厭世の極西海巡礼を思い立ち途中信州諏訪に鎮座の諏訪神に本土恢復のことを祈願し数年後天童に帰る。時に永井氏意驕り民を虐げること甚しく非道であったから民の疾苦亦甚しく居民は盛房を慕いこれを天童より迎いその居城戸崎を攻めてこれを亡くしたる後、盛房信州諏訪の神霊を奉じ来り霊地を卜し安置し奉り祈願所としたと伝えられ、時に室町時代の永正10年(1513)であった。明治5年村社に列せられ、同40年3月供進社に指定された。同42年3月大字馬場の愛宕神社をはじめ、長袋の神明社、新川の新川、湯元の湯、境野の八幡・羽山、新川の白山の各神社を合祀、諏訪神社の社号を秋保神社と改め今日に至った。今9月15日に例祭が行われているが、各部落の神社合併以前は2月、7月27日両度に行われ、特に2月の祭典には村内五ヶ部落氏子総出動して鹿狩を行ない、之れを神に献ずる例であった。』
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石灯籠一対。
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狛犬一対。
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安永二年かな。
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勝石。「魔が去る」ように願い込め、厄割玉の穴にご自身の抱える悩みや災難などの悪い気を吹き込み、霊石「勝石」に力一杯投げつけて割り、厄を祓う風習。悪いものを断ち切るという遺志を持って厄割玉を割ることで、新たな「勝運」を授けてくれます。
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境内社の奏神社(御祭神:道祖神、御利益:子孫繁栄・良縁成就・疫病退散・交通安全)
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社殿。
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13.5
拝殿向拝。
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神額。
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本殿。
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社殿をぐるり。
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大正元年11月の奉納石鳥居有志者氏名。
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18.5
写真でご覧ください。
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子宝和合の神(縁結び)
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『御創建1200年の年、境内で見つけられた柿の奇木で、そのお姿はまさに「山の神」。 中心の丸い部分をなでるとご利益があるといわれます。※女性は生命を生むことから、恵みを生む山の神にちなみ昔から崇められそう言われておりました。(その反対に時折おそろしい存在になることも所以といわれております。)◆「奏社(上記)」は男神をお祀りしていますので、こちらもお参りください。』
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21.5
和合の神。
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本殿横にある縁結びの願掛け「たらよう」…『昔人が恋文にも使ったといわれる御神木「たらよう」の葉っぱ。葉の表に二人の名前を書くと、やがて裏に字が浮き出て、消えることはありません。縁結びの御守と一緒にお持ち帰りください。◆ただし強風の後に数枚落ちている程度で、必ず手に入るわけではありません。また登って取らないようお願いします。』
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推定樹齢70年(認定期日:平成22年11月)
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本殿横にいた馬一対。
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25.5
石灯籠。
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境内社の熊野神社。
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『御祭神:須佐之男命、御利益:除災招福・良縁成就』
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稲荷神社。
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『御祭神:倉稲魂命、御利益:五穀豊穣・商売繁盛』
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雷神社。
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『御祭神:別雷命、御利益:厄除・雷除・雨乞』
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天神社。
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『御祭神:菅原道真命、御利益:学業成就・技芸上達』
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イチョウ。
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推定樹齢約350年(認定期日:平成22年11月)
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子育て若乳銀杏という案内板がありました。
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子育て若乳銀杏…『当社の銀杏は古くから御神木として親しまれ秋になると沢山の実を付けその姿はまるで子供を抱えているかの様子で子宝・子育ての信仰が厚く多くの母が我子の成長を祈った よく見ると枝の付け根に乳房の小さいものがついており「若乳銀杏」と呼ばれているが、災難除けなどのご利益もあると伝えられている』
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七福神。
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壽老人。
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福禄壽。
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布袋。
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毘沙門天。
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弁財天。
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大黒天。
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恵比須。
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忠魂碑(第二師団長陸軍中將中島正武書、大正9年10月)
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戦没者慰霊碑碑「花ざくら」
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花ざくら…『秀嶺東岳の麓、清洌名取の發するところ、邑拓かれし、秋保、敬神崇祖、愛郷の人心みな清らに、重盛の才、館山の城、その昔の士魂を今に伝へて、節を重んじ、義に發するや壮なりき、藩政去って明治維新の業成り、国啓け民俗の伸展を慶ふ さる程に、四海風雲急を告げ、或は日清日露の役に、或は満洲の事変将又今次大東亜戦争に、国難に趨く者多く、吾が郷土の勇士、その勲功亦抜群なりき、然るに、噫呼しかるに戦場の厳しき運命、ものゝふの常の習、勇士は遂に帰らざりき、花ざくら夜半の嵐に散りしことの如く遂に吾等が勇士は、あゝ、遂に還らざりき、今茲に勇士等の想出多き産土の社諏訪の聖域に碑を建て、芳ぐはしき名を刻み、永遠に護国平和の神々と、その崇髙なる死を髙からしめ、世に幾多変転ありと虽その遺烈を後世久しく敬仰せんとす 題字碑文 宮城県護国神社宮司田中 昭和三十三年九月十五日建之(碑文原文)』
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ペット愛護守。
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四百年以上守り伝えてきた秋保神社神楽(法印神楽十二座)。
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以下、パンフレット「秋保神社神楽」より。
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地域に伝わる伝統文化…『秋保神社の神楽は、昔から自然との共存や地域の発展を願って舞われ続けてきました。それぞれの舞の役柄やストーリーは、文献が残っておらず詳細は分かっていませんが、古くから伝わってきた舞を知る大先輩から学び、笛や太鼓の拍子や舞の所作の細かいところまで、昔のままに伝えています。伝統芸能の担い手不足が深刻化している中にはありますが、ベテランと若手の世代がうまく融合し、地域の宝として大切に守り続けたいと思います。これからも、時代に合わせてますます発展していくことでしょう。秋保神社の神楽を通して、地域の歴史を感じていただけたら幸いです。』・秋保神社神楽…『この神楽は、慶長年間の発祥と云われ、四百年以上にわたり神社がある野中集落に伝わってきました。秋保神社はもとは諏訪神社と呼ばれ、秋保郷の領主だった秋保氏の十五代盛房のときに本城の楯山城奪回を祈願して信州諏訪大社から勧請されたものですが、このとき随行してきた修験者らによってもたらされたと伝えられています。その演目は、法印神楽の特徴の備え、神座を設けて場を清め、そこに神々を招き、その前で鈴や幣、剣や弓を持ち、足踏みを主として鎮魂、祓い、清め、復活などを祈念する修験の呪法の名残が随所に見られます。九月の例大祭では、仙台市内で唯一となる「湯立て」神事が催行され、大釜で沸かしたお湯を参観者に振りかけ一年の無病息災を祈念します。霊験豊かなこの演目は、古より二口街道を行き来する人々にも知られた名場面とも伝わります。古式に習い一人で舞うことを基本にしている神楽は、代々の舞い手の所作が独特の趣を醸し出すとも云われます。長い歴史と山間の豊かな自然との暮らしの中で培われてきた人々の祈りや願いが、神楽師の舞いの中に感じることができれば幸いです。』
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大釜で沸かされる湯立て神事。使われる「湯」は、秋保温泉の源泉、「御湯」を用いることが古からの慣わしとされる。霊験豊かなその呪法は、人々の邪気や災いを祓い清め、生命の活力とみち開きを祈念する。
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秋保神社神楽十二座(「宮清」と「三足舞」については、詳しい所作が分かっていません)…【湯検座】老翁の相を現す尉面に鳥兜をかぶり、千早(神事に用いられる舞衣)と袴姿の神楽師が、白の幣束と鈴を持って舞う。湯立てに関連する祈祷の舞いと解され、神座としての場と参観者を祓い清め神事の「聖域」であることを位置づけ、神々の降臨を仰ぐ所作と思われます。【祝詞】神楽師と宮司が連携して、舞いと呪法を進める演目で、湯立て神事前座の所作を主としています。舞の後、宮司が祝詞(祭典の神様に奏上する言葉)を上げ、その言葉には霊力が宿るとされ、荘厳な言い回しにより奏上されたあと、湯立て神事に移行します。【四本幣】腰に五色五本の幣束を付け、足踏みの呪法と幣束によって心身についた災厄などを除去・清める儀礼と解され、四本の幣束は舞いとともに四隅に放たれる場面がありその所作と思われます。熊野堂系の流れをくむと考えられ、幣束と霊験の呪法を主体とした舞いです。【四面切】熊髪をかぶり、タスキと指貫姿に太刀を持ち、後半は激しく振り回し、四方のしめ縄を斬る所作があります。邪悪を踏み鎮め、天地運行の乱れを正し、万物の悪魔を退散させる法印神楽独特の呪法と思われます。【御幣招】紫色の衣装の神楽師が山神様、赤い衣装の神楽師が水神様で、御幣束と鈴を振って舞います。農民の暮らし、田畑に因んだ神々の所作が盛り込まれており、作物の五穀豊穣や病気除、諸難除を祈念した舞いと云われる舞いです。【魔王】熊髪に神楽面をつけ、後半は太刀と鈴を大きく振るいながら躍動的に舞います。悪魔のために苦しむ人々を救い、災いをかすものを追っ払って安住の地を築くという舞と考えられ、大崎八幡の能神楽では「摩応」と称し、同系の流れとも解されています。【神拝】猿田彦の面をかぶって大口袴をはいた舞い手が、鉾で泥海をかき混ぜるようなしぐさがあります。猿田彦は導きやみち開き、稲作の神とも云われ、交通安全の守護神としても奉られています。人々のみちをひらき、再生を祈祷する演目と思われます。【簫足】熊髪に神楽面をつけた神楽師が剣を持って舞う。後半は、二本の剣を両腕で大きく回す荒舞と呼ばれる場面で、除魔の呪法が込められていると云う力強い舞です。忠実で勇猛であった大和武尊に因んでいると解する人もおり、どんな劣勢でも機転を利かせて切り抜ける所作と云われています。【小弓遊】紫色の衣装の山神様と赤い衣装の水神様の神楽師が、弓を持って舞います。諸方の山々と田畑を荒らす悪者や鳥獣、害虫などを退治し世の太平を祈る舞いです。後半、天地に向けそれぞれが弓を放ちますが、弓矢の威力で悪魔を調伏する所作で、この矢を授かると開運の御神矢としての信仰があると伝わります。【三本剣】三人の神楽師が足捌きで邪を踏み破り、剣を持って、四方八方の邪神をなぎ払う演目です。法印神楽の最たる特徴を表わす剣を使った所作、複数人で祈祷する勇壮な舞です。
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