
宮城県仙台市太白区秋保町長袋清水久保北。秋保神社のある野中は、東西秋保郷の中心部。神社を中心に家々が立ち並んだ寺社集落的要素を持ち、二口街道と作並街道とをつなぐ旧白沢街道との交通の要所でもあったことから、最初の村役場は野中界隈に置かれました。明治から昭和初期にかけて秋保の行政的な中心機能をもっていた歴史があります。二口山塊を生活の場としていた古代秋保郷の伝説の人物である磐司磐三郎が、磐司岩の頂から長袋並木で悪行を為す鬼を退治するため弓を放った際、その矢が着地、刺さった場所で、そこから笹が生えたという伝説の竹林が逆さ竹です。かつて秋保神社例大祭で流鏑馬が奉納されていた時代も、この竹から矢を作るのが習わしとされます。神聖な竹として秋保神社とのかかわりが深く、無闇に採ると災いが降りかかるとも云われています。南側に走る市道は旧二口街道で、かつて秋保神社例大祭で行われていた流鏑馬は、この南の市道の直線路が会場で、街道脇に多くの見物人を集めていたと伝わります。

石碑群。

諏訪前の木花開耶姫(パンフレットより)…『秋保神社前に天明二年(1782年)の170cm程の山神・年代不明の六道能化地蔵、文化八年(1811年)の湯殿山と馬頭観世音、天保十二年(1841年)の蔵王大権現と小牛田山神、そして文政五年(1822年)建立の木花開耶姫の浮彫の石塔があり、何れも野中組中の建立です。木花開耶姫像の下部には建立者の名前が多数ひらがなで刻まれています。』






秋保神社の発祥は、平安期坂上田村麻呂がこの地に熊野神社を祀ったことに始まると伝わります。その後中世に入って諏訪神社が勧請されるに至り、藩政時代にこれと合祀、以後諏訪神社として人々の崇敬を集め、武家の守護神として藩主の参詣も寄せられるようになりました。明治になり秋保郷の総社として位置づけられ、社号も秋保神社に改めて今に至っています。
社号標。

正参道の大鳥居。
神額。

石灯籠一対。


のぼりに囲まれた参道。
有名な方々ばかり。





天照皇大神碑。

「東宮殿下御成婚記念鳥居」と刻む碑(大正12年9月)

長床。
公式HPより…『【御祭神】健御名方命 (たけみなかたのみこと)・天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)・豊受皇大神(とようけのおおかみ)・軻遇突智命 (かぐつちのみこと)・大巳貴之命 (おおなむちのみこと)・少名彦之命 (すくなひこのみこと)・日本武尊 (やまとたけるのみこと)・應神天皇 (おうじんてんのう)・月讀之命 (つきよみのみこと)【御由緒~"勝負の神"のいわれ】当社の御創建は秋保の最も古い歴史として記されていますが、今から凡そ1200年程前、平安初期の大同3年(808年)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷平定の折、この地に熊野神社を 祀ったのが初めと伝えられています。時代は下り、室町時代には秋保村領主秋保氏の祖先 平盛房が信州は諏訪大神に本土恢復を祈願したところ戦勝の御神徳を得た事から、諏訪神社の御神霊をこの地に勧請して祈願所とし「戦の神」として崇拝されるようになりました。慶長5年には武家の守護神として仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護され大社が建立されると共に、正保3年には二代藩主忠宗公より伊達家の永久祈祷が仰せ付けられました。明治42年には明治天皇の御勅令により秋保五カ村の御神霊を合祀し、主祭神「健御名方命タケミナカタノカミ」をはじめ、「天照皇大神他七柱」が祀られ、諏訪神社の社号が秋保神社と改められました。拝殿に数多く掲げられる奉納絵馬は、戦時中の武運長久祈願の様子を偲ばせますが、現在は人生を勝負事と考え、商売繁盛や合格祈願、又運動競技やレース等の必勝祈願に遠方からの参詣者が絶えません。その中で、発足30年以上にもなるレーシングチーム「RSオガワ」はレース前、当神社に参拝したところ、ホームコースでありながら暫く勝てずにいた菅生で久々の優勝を飾り、御礼参りを兼ね再度参拝して必勝祈願をしたところ、富士・岡山と勝ち星をあげ、更にその後シリーズチャンピオンに輝く快挙を達成しました。「勝負の神」に感謝し、小川様に心よりお祝いをすると共に、更なる飛躍をお祈り申し上げます。』
御神輿。
神代木「おもかるの木」

【由緒】神代木(じんだいぼく)とは樹木の幹が、地殻変動や火山活動、水中の堆積作用などによって地中に埋もれ、長い年月をかけて圧力や熱を受けたために変成し、炭化したもので、「埋もれ木」とも呼称されております。仙台はかつてこの埋もれ木の産地でもあり、当埋もれ木は境内で発見されたもので、悠久の時の流れを偲び「神代木」に指定され、見た目には想像できない重さから「おもかるの木」として信仰されております。【作法】一、神代木の前に立ち、ご自身の願い事を思い浮かべます。 一、神代木をお持ちください。重く感じたら…更なる努力が必要、軽く感じたら道のりは明るい 一、元の場所にお戻しください。

奉祝令和十年秋保神社御鎮座1220年記念事業~悠久の歴史を未来へつなぐ~(御奉賛のお願い)より一部抜粋…『秋保神社は令和九年に御鎮座1220年を数え、翌年には天皇陛下御即位十年の節目の年を迎えます。そこで、皇室の弥栄と我が国の益々の発展、秋保大神様の御神徳の更なる宣揚を祈念し、本記念事業を計画致しました。当社は大同三年(808)に御創建され、現在の御社殿は慶安五年(1652)に建立されてより現在に至るまで大神様のお鎮まりになるお社として大切にして参りましたが、長年の風雪にさらされ腐食等の老朽化が著しい状況となっており、悠久の歴史を歩んで参りました当社を未来へ継承していくべく、御社殿改築修繕工事を執り行いたく存じます。また併せて、手水舎と参拝者トイレの新築工事を行い、氏子崇敬者の皆様をはじめ参拝の方々が気持ち清らかにお参り頂ける神社を目指して執り進めて参ります。つきましては、一人でも多くの皆様にこの記念事業の趣旨にご賛同頂き、格別のご支援を賜りたく心よりお願い申し上げます。秋保神社宮司菅原望・総代会』

和楽殿。


絵馬掛け。
秋保神社のしだれざくら。推定樹齢300年(認定期日:平成22年11月)。

御神木「開運桜」付近にある農家産直販売所。

守札授与所。
社務所。

wikipedia「秋保神社」より一部抜粋…『【主祭神】健御名方命、天照皇大神、豊受皇大神、日本武尊、應神天皇、月読命、大巳貴命、少彦名命、軻遇突智命【社格等】旧村社【創建】大同3年(808年)【本殿の様式】権現造【例祭】9月15日【由緒】社伝によれば、秋保神社の創建は平安時代初期の大同3年(808年)、坂上田村麻呂がこの地に熊野神社を祀ったのが初めと伝わる。室町時代には、秋保村領主の先祖であり最上に流浪していた平盛房が、信州の諏訪大社に本土恢復と居城奪回を祈願し叶えられたことにより、諏訪大神の御神霊を勧請して諏訪神社として祀って以来、「戦の神」として崇敬されるようになった。慶長5年(1601年)には仙台藩の尊崇も寄せられるようになり、伊達家に庇護されて大社が建立される。正保3年(1646年)、第2代仙台藩主伊達忠宗の参詣があり、伊達家の永久祈祷が仰せ付けられた。明治42年(1909年)、明治天皇の勅命により秋保5ヶ村より馬場の愛宕神社、長袋の神明社、新川の新川神社と白山神社、湯元の湯神社、境野の八幡神社と羽山神社の各神社を合祀したことにより、秋保総社として社号を諏訪神社から秋保神社に改めた。』

秋保神社由緒(昭和11年9月15日)
長くなりましたので『秋保神社 (仙台市) ~其之弐』へ続く…














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