宮城県仙台市太白区秋保町湯元薬師。秋保温泉共同浴場の隣。

真言宗智山派薬湯山泉明寺。御本尊薬師如来。

日本三御湯の一つ「名取の御湯」(秋保温泉)鎮護のため慈覚大師円仁により開創。古より温泉を訪れる人々から心身健康を願うお薬師様として参拝されています。例年5月の例大祭では薬師堂を舞台に「湯元の田植踊」が奉納されています。湯元の田植踊は、長袋・馬場地区とともに「秋保の田植踊」としてユネスコ無形文化遺産に登録されています。
本堂。



湯元についてです。

名取川上流域に位置し、奥羽観蹟聞老志に「名取御湯名取川上流秋保村にあり。郷人秋保温泉と曰う。相伝う古は勅封の地也。故に御湯を以て之を称す」とあるように、古来名取の御場と称されてきた秋保温泉の所在地。地名の由来は温泉の湧き出る所、湯の出口である大本に因みます。江戸期の湯元村は名取郡秋保五村のうち。秋保氏所領。寛永4年の湯守佐藤勘三郎家文書に湯村と見えます。同7年の竹伐採印判状に秋保湯ノ村とも見えます(秋保町史)。秋保五村に肝煎が村単位で置かれるようになったのは寛永以降であり、それ以前は湯本村長門が5ヶ村を管轄していました。寛永19年に惣検地。石高は不詳。明和年間の戸口32戸。安永風土記による村高は56貫余・人頭34・馬50。寛永14年、代官が肝煎に出した湯御役請取手形によりますと、年間の入浴客41人、1人につき京代25文。藩主伊達家の川猟の場でもありました。寛政年間頃から湯元村の字が使われてきます。封内風土記の戸口およそ32。天保5年の村高469石余。明治9年戸数44・人数333・牛馬35、温泉浴場4ヶ所で年間浴客約1,800人。明治元年新仙台藩、仙台県を経て、同5年宮城県所属。同22年秋保町の大字となります。同63年からは仙台市の大字となり秋保町を冠称。明治38年湯元郵便取扱所開局。大正2年秋保石材軌道株式会社が創設され、長町(仙台市)~秋保温泉間の馬車軌道による浴客・秋保石材の輸送始まりました。以来仙台との交通路が一変。

薬師堂へ。
石灯籠一対。


その他諸々。








薬師堂。
泉明寺に隣接している薬師堂は明治期の神仏分離政策によって一時薬師神社となりましたが、現在は附属の仏堂となっています。
パンフレットより…『泉明寺は古来より薬師如来の霊応の地で、日本三御湯の一つ「名取の御湯」の鎮護のため、慈覚大師(円仁)によって開創された。真言宗に属し、宗祖弘法大師(空海)の神仏習合(両部神道)の流れをくみ、主に加持祈濤を行う。ご本尊薬師三尊・日光月光菩薩・十二神将は平安時代の比叡山の高僧の作品と伝えられる。隣に薬師堂は、本来付属仏堂であったが明治初期の神仏分離政策により、神社(祭神大己貴之命)とみなされた経緯があるが、管理や運営は泉明寺がおこなっている。ホテル佐勘の前にある湯神社が秋保温泉の守護「神」とすれば、泉明寺と薬師堂は守護「仏」といわれる。泉明寺も薬師堂も近年新しく再建されたが、その歴史は古く秋保温泉を利用する人々をはじめ地域の人々に親しまれている。』

湯元薬師如来。
池がありました。



池中央の石殿。

こちらは読み取れず。

薬湯不動明王。
本堂裏手。

稲荷の石殿、山神等々。


近くにあった案内板「旧湯元村と周辺の文化財等」…『湯元村は、江戸時代から明治22年(1889)までの村名で、村名の由来については、温泉の湧き出る所、湯の出口である大本にちなむといわれる。明治22年町村制施行により、秋保村の大字となった(湯本村の表記については、近世初期には湯本村と記され、後期から湯元村が慣用化されている。)。なお、秋保温泉は有馬、道後温泉と並ぶ日本三名湯の一つで、古くは「名取御湯」と呼ばれ、藩政時代には伊達家の入湯場が置かれた。』



秋保の民話(マップ②~温泉の始まり)…『ある時、塩を積んだ牛におなごわらしが乗って、谷地を渡ろうとしたところ、牛もろとも谷地に沈んでしまい、そこから湯気が立ち登って、温泉が湧き出たそうな。それから秋保の温泉は塩分があり身体に良いと言われ、多くの人が訪れるようになった。おなごわらしは湯神様の化身だったといわれている。』













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