
宮城県仙台市太白区秋保町湯元薬師。
伝承千年の宿佐勘の入口付近。保温泉湯守の佐藤家との繋がりが強いことから、現在も後裔にあたる佐勘の敷地の隣接地に境内があります。

手水石(明治40年、佐藤信之助・山尾長三郎)

灯籠一対(平成14年11月吉日、秋保温泉旅館組合)


温泉の守護神であり、名取御湯碑は秋保温泉の由来を記したもので、元治元年(1864)仙台の国学者保田光則の撰文によるもの。


パンフレットより…『代々秋保温泉の湯守を世襲してきたホテル佐勘の古文書によれば、湯神社は秋保温泉の繁栄とお湯の安定湧出を祀る守護「神」にあたる由緒ある神社といわれている。安政2年(1855年)大地震によって、秋保温泉のお湯の湧出が止まってしまったとき、湯守寿右エ門は、湧出を祈願して現在の鞘堂の中にある「堂宇」を建立し、湯殿山に参詣するなど願をかけた。すると不思議なことに、突如として湯が湧きはじめたといわれ、今でも秋保温泉守り神として大切に祀られている。』

創建不詳なれど、古文書に慶安4年の棟札の記述があり、それ以前から鎮座していたと考えられます。明治42年に長袋の諏訪神社(秋保神社)に合祀。
名取御湯碑。
碑文までは読み取れず。元治元年11月15日。

案内板「湯神社・名取御湯碑」より…『人皇二十九代欽明天皇(在位531~570)はあるとき小瘡(一種の皮膚病)を患われたので、医禱百計を尽くし諸所方々の温泉で治療を試みられたが効験が現れなかった。ところがこの温泉に入浴あらせられたところたちまち全快あそばされ、たいへんおよろこびになり、「御湯」の称号と次の御製を賜ったと伝えられている。この名取御湯碑は秋保温泉の由来を記したもので、仙台の国文学者安田光則氏の撰文によるものである。御製「覚束な雲の上まで見てしかな 鳥のみゆけば跡はかもなし」仙台市教育委員会』




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