
宮城県仙台市太白区秋保町湯元枇杷原。二口街道沿い。磊々峡付近。

ここが秋保温泉駅跡なんですね。
北側に旧秋保電鉄駅舎跡。
旧仙台市電モ100形電車119号。
Wikipedia「仙台市交通局モハ100形電車」より一部抜粋…『第二次世界大戦終戦後の仙台市は戦災復興や外地からの引上げ者などによる人口増加が生じ、仙台市電も利用客が急速に増加した結果、その時点で所有していた二軸単車だけでは対応しきれない状態になっていた。そこで輸送力増強のため新潟鐵工所に発注が行われたのがモハ80形電車である。前面3枚窓、張り上げ屋根の半鋼製車体を有し、車体の前後に片側2枚の扉がある仙台市電初のボギー車であったが、1948年に製造された最初の5両(80-84)は資材不足の状況の中で製造されたために天井はベニヤ張り、車内のロングシート座席も粗末な状態での登場となった。1948年以降に製造された車両については内装の改善が実施され、1950年までに24両(80-103)が作られた。その後1954年に改番が行われモハ100形(101-124)として運用される事となった。初期車である101-105の5両については原型のまま1974年に廃車された一方、残りの車両については1969年以降ワンマン運転に対応した改造工事が行われた。その際に扉配置が変更された(両端設置から、進行方向左側基準で後部の扉を閉鎖して中央部に移設)他、前面窓も向かって右側の窓が大きい左右非対称の2枚窓となり、それまでと車体が大きく変わった。以降は1976年の仙台市電廃止まで運行された。廃止後は117-119、121、124の5両が長崎電気軌道に譲渡され、長崎での運用に適した改造が行われた他、形式名も仙台から昭和51年に譲渡されたことにちなみ1050形に変更された。しかし冷房化が行われなかったことによる稼働率の低下で1051(仙台市電時代は117)以外の4両は2000年までに廃車され、うち121号がオーストラリアのシドニー路面電車博物館に再譲渡、もう1両が仙台に戻り、旧秋保電鉄の秋保温泉駅跡に保存された。2019年まで1両(117号→1051号)が動態保存されイベント時などに臨時運行されていたが、動態保存の維持管理が困難になったとして、2019年3月31日をもって引退。2021年5月現在、西武園ゆうえんちにて展示されている。※119(長崎電気軌道1053)-仙台市の秋保温泉駅跡に保存。車番は仙台市電時代のものに復している。』
長崎電気軌道1053号車について…『この電車は昭和27年新潟鉄工所で製作され、原町線開業に併せて導入された仙台市電のボギー車100型(119号車)です。昭和51年3月、市電が廃止されるまで、多くの市民の脚として活躍しました。廃止後100型5輌が長崎電気軌道(株)に譲渡され、長崎市内では(1053号車)として平成12年12月廃車されるまで、長崎市民に愛され走り続けました。長崎電気軌道から当研究会に「余生を故郷仙台で送らせては?」との連絡があり無償で譲り受け、平成13年8月無事長崎から故郷仙台に戻りました。保管場所を探しておりました処、この度地元の鉄道ファンである早坂さんのご好意で、ご自宅の敷地に保存展示して頂ける事が出来ました。此処は元秋保電鉄の終点駅(実存する最後の駅舎)であり、これも何か電車の縁だと痛感して居ります。平成14年11月20日鉄道パークシティ研究会会長藤崎三郎助』

覗橋のやまざくら。

ヤマザクラ(バラ科)、推定樹齢150年。










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