
宮城県仙台市太白区秋保町湯元。

磊々峡は覗橋を中心に上下2kmにわたる峡谷。秋保温泉郷の入口にかかる覗橋の上流・下流約1kmにわたって続く、巨岩・奇岩の渓谷美を遊歩道から楽しむことができます。

秋保グランドホテルが天守閣のようでした。紅葉城というようです。

秋保についてです。名取川(秋保川)上流域の山岳地帯に位置し、名取川の河岸段丘が僅かな平地をつくっています。「和名抄」の名取郡八郷の1つ、磐城郷の地と推定。自然の要害に囲まれており、外敵に対し障壁をなし、仙台藩伊達氏の旗下に入る以前、既に豪族秋保氏の支配地でした。地名の由来は、平安期にこの地を領有していた藤原秋保なる者がいたのに因むという考えのほか、はじめ秋生で秋の景色の優れているところからきたものなどの説があります。秋保温泉は「名取の湯」として古くから知られていました。国指定名勝磐司岩・秋保大滝などの景勝地が多いところです。

戦国期の秋保邑は名取郡のうち。伊達正統世次考の天文12年7月12日の条には、伊達稙宗が秋保伊勢守則盛に書を与えて、柴田・刈田経略を一任しています。その考按に「秋保平氏。世々名取郡秋保邑に住す。因りて氏とす」とあります。伊達治家記録の天正15年2月16日条には、伊達政宗が秋保弾正直盛に書を与えたとあり、その考按には同じように「奥州名取郡秋保邑に来り住す。子孫因りて氏とす」としています。更に同じく伊達治家記録の慶長4年8月19日条には、秋保摂津守定重宛伊達政宗黒印状が載せられており「秋保の内、右の衆知行の百姓、何も秋保摂津守下知次第に馬場の城に心付を致すべく候」とあります。この記録文は「名取郡秋保郷の内に采地ある輩の百姓等」となっているので「秋保」は「秋保郷」の意味。この点から秋保氏の存在のはっきりする天文以前から秋保郷ないし秋保邑の存在も確認できます。秋保氏は伊達氏に帰属した後もしばらくは独立領主権を行使していたと見られ「晴宗公采地下賜録」にこの名は見えません。

江戸期の秋保郷は名取郡のうち。正保の頃、所属する郡が不明で論争となり、時の藩主忠宗に上訴、その結果名取郡に属しました。名取の湯のある湯本村、それに境野村・長袋村・馬場村、後に隣接する宮城村へ分村した新川村の5ヶ村が、秋保五村と称されていました。領主秋保氏は、桓武平氏平重盛の次男新中将小松資盛の後と伝え、第7代重盛が秋保村長袋に移住、秋保氏を称したといいます。戦国期、9代則盛の代に伊達稙宗に属しました。江戸期は仙台藩の一家に列せられました。伊達世臣家譜の知行高1,000石。寛永12年の秋保五村の村高は1,840石。慶長8年に完全に仙台藩の領地となり、それぞれの村に肝煎、宿駅検断が置かれました。明治22年秋保郷と総称された5ヶ村(湯本・境野・長袋・馬場・新川)が合併して秋保村となります。昭和30年、かつての5ヶ村の1つ新川村が北部に隣接する宮城村(現仙台市)へ分村。大正9年の第1回国勢調査による人口4,275人・世帯数597。昭和42年町制施行、秋保町となります。昭和45年国勢調査による人口4,627。翌46年の住民登録人口4,644・世帯数909。昭和63年仙台市と合併。
奇岩等の案内板がありましたが、正直よくわかりませんでした笑
磊々峡(Wikipediaより一部抜粋)…『磊々峡(らいらいきょう)は、宮城県仙台市太白区を流れる名取川が秋保石の大地を侵食して作った奇岩が並ぶ峡谷のこと。秋保温泉地区にある。両岸の秋保石を浸食しながら流れる水が、急流となったり深い淵となったり、変化に富んだ峡谷の風景を楽しめる。磊々峡の名は、1931年(昭和6年)夏目漱石の門人でドイツ文学者の小宮豊隆が名付けた。覗橋の上下約1km。秋保温泉入り口の交差点(覗橋)から下流に650mの散歩道が整備されている。散歩道を歩くと奇面巌(きめんいわ)、八間巌(はちけんいわ)、時雨滝(しぐれたき)、天斧岩(てんおのいわ)など、見れば思わず納得してしまう名前が付けられた岩場や滝があり、それらを探して歩くのも楽しみの一つ。散歩道の中ほどにはベンチや東屋もある。雨上がりなどには足元が滑りやすくなり危険ではあるが、水量が増して流れが激しい、雄々しい磊々峡を楽しむこともできる。遊歩道に入るには、秋保・里センターに車をとめ、川沿いの散歩道から秋保温泉入り口の交差点にかかる「のぞき橋」脇から入るのが便利。』
覗橋。
覗橋上へ。覗橋の下を流れる名取川の水のあまりの美しさに、通る者は必ず下方を見ることから名付けられた橋。

秋保温泉街の入口にある「覗橋」が磊々峡のほぼ真ん中に位置し、この橋を挟んで上下約1kmの長さにわたり、深さが20mにも達する渓谷美が続いています。覗橋の両側には、岩を削る急流と迫力ある岩々が眼下に広がっています。また、下流側に向かって渓谷沿いに約700mの遊歩道が続き、「八間巌」「鳴合底」「鬼面巌」などの奇勝や「時雨滝」「三筋滝」などの滝が織りなす美しさを堪能することができます。
覗橋…『この橋は名取川流域最狭小、磊々峡西端部に位置し、江戸時代初期に木造橋をもってはじまる。奇岩絶壁上の名物架橋である。その名も時の推移により臨潭橋、直下橋、覗橋と愛称されてきた。この橋に立って眼下をみるとその流れはきわめて安らいで藍色に染まり、岩肌をなでながら悠然とくだる。橋上に在る人しばし歩みを止め、この景観を眺望することにより「のぞき橋」の名称が付されたものである。詩人土井晩翠翁の吟詠 見下せば藍をたゝうる深き淵鎮魂台を風掠め行く 真二つに天斧巌をつんざきぬ三万年前のあけぼの』

恋人の聖地。
「覗橋(のぞきばし)💛ハート」…『「恋人の聖地」として「覗橋💛ハート」がNPO法人地域活性化支援センターにより2014年1月に選定されました。磊々峡(らいらいきょう)に架かる覗橋の上から覗くとかわいい「ハート」を見ることができます。』

ハート型の岩の窪み。

















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