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岩手県花巻市中北万丁目。北万運動広場に隣接。境内に北万丁目公民館、隣地に恩賜郷倉があります。恩賜郷倉については別記事にしております。
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北万丁目についてです。北上川の支流豊沢川下流の北に位置。江戸期は稗貫郡のうち。盛岡藩領。万丁目通に属します。村高は邦内郷村志1,375石余(うち給地149石余)、旧高旧領1,565石余。万丁目村が貞享年間頃当村と南万丁目村に分村して成立したといわれますが貞享高辻帳・元禄郷帳・天保郷帳・安政高辻帳には当村の名が見えず、南北両万丁目村を合わせた万丁目村として記されています。領内では南北2ヶ村として把握されていましたが、幕府へは万丁目村として届けられていたものと思われます。寛文9年に盛岡藩は新田開発促進令を出しますが当村でも新田が開発されました。邦内郷村志では家数30、馬48。本枝村付並位付によりますと位付は上の中、家数35、集落別内訳は半道9・柏田10・二ツ屋14・春木場2、花巻城下御同心丁の吹張町のうち北の19軒は当村地内のうちにありました。明治元年松本藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同9年の村の幅員は東西約1里5町・南北約8町、税地は田179町余・畑16町余など計208町余、戸数51・人口230(男130・女100)、馬30、職業別戸数は農業49・商業1、物産は米・馬・稗、神社としては八坂神社・鳥谷崎神社が見えます。同22年花巻町の大字となります。昭和29年4月からは花巻市の大字。昭和27年の世帯数58・人口370(男194・女176)。同29年5月上北万丁目・中北万丁目・下北万丁目・駅前大通り・坂本町・南万丁目・花城町・野田となります。
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木匠菅原彌助之碑(大正13年8月1日)
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社号標「村社八坂神社」(鳥海山・出羽三山参拝記念、昭和12年6月15日)。
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八坂神社の茅の輪「この茅の輪をくぐる事により今年の下半期の無病息災、開運が得られます。」
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手水石。
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社務所。
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六歌仙図・布袋児戯図(花巻市指定有形文化財(絵画)【指定年月日】平成8年9月26日【所在地】花巻市中北万丁目【所有者】八坂神社)…『小野寺周徳(1759~1814)は、江戸で医術を学び、谷文晁(たにぶんちょう)から絵画の教えを受けて帰郷しました。藩主に近侍(秘書役)として仕え、その画才が高く評価されたと伝えられています。「六歌仙図」は、平安時代に和歌で知られた「小野小町・在原業平・僧正遍照・大友黒主・喜撰法師・文屋康秀」を描いたもので、江戸時代後期の文化文政期に流行した画題です。「甲子夏日 豊水欽写」の落款から、文化元年(1804)の製作と見られます。「布袋児戯図」は、七福神のうち富貴繁栄の神である「布袋」と子孫繁栄を表す「唐子」を描いたものです。「六歌仙図」とほぼ同時期の作品と推定され、ともに赤や青、緑、白等鮮やかな彩色で描かれています。花巻市教育委員会』
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六歌仙図(法量 縦84.3×横174.5センチメートル)
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布袋児戯図(法量 縦84.5×横174.5センチメートル)
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両部鳥居。
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12.5
鳥居額束神額(大正6年6月15日、願主菅原喜兵衛)
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両部鳥居…『今から百年前、菅原孝二氏(現八坂神社総代長)の曽祖父菅原喜兵衛氏が鳥ヶ崎神社より大正7年に払い下げた物とされ両部鳥居としては姿の良い鳥居とされ何回となく補修され現在に至っている。平成30年11月吉日』
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奉納者名碑(平成7年6月吉日)。
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参道。
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16.5
石灯籠(寛政十一己未年七月初十日、世話人■■喜三治、高松村石工治吉)
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17.5
狛犬一対(神社総代退任記念、平成乙未年七月)
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18.5
社殿。
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幣殿・本殿覆屋。
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拝殿向拝蟇股・木鼻。
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21.4
21.8
御祭神は須佐男命。
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例祭日は旧6月15日。円万寺系小瀬川神楽が奉納されます。
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由緒…『延暦年中(782-805)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐のためにこの地方に来た時に祀られたと伝えられている。蝦夷征伐のとき坂上田村麻呂の家来が葱畠で怪我をしたが、胡瓜畠の胡瓜で直したと伝えられている。葱や臭いの強い食べ物を食べた時は神社(お天王さん)にお参りにいってはいけないと伝えられている。今もはじめに成った胡瓜は神社に奉納してより頂く習慣が、今ものこっている。明治初まで、牛頭天王社として農耕の神・疫病退散・火防の神として崇敬されている。明治初年、牛頭天王社では存続できないので八坂神社と改称、須佐男命を祭神として今にいたる。』
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石碑群。
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天照皇太神。
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八坂神社(一、山林貳畝四歩・大正9年2月5日、一、原野壱畝二十七歩・大正12年12月18日、土地寄附者:川口町相庄佐藤秀六郎、南万丁目田中酉藏、世話人:菅原春藏)
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山神(元治元甲子9月12日)
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日露戦役紀念(明治40年7月25日)
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こちらは月三山・鳥海山・金華山。紀年銘は大正14年8月。
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同じく月三山・鳥海山・金華山。紀年銘は大正2年8月29日。
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平和塔「海行かば漬く屍山行かば草むす屍大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」(大東亜戦争の犠牲となられた故人の遺徳を偲び五十周年を記念として永久の世界平和を願い此の塔を建立するものである。平成六年十月建立)・戦死者名「陸軍軍曹菅原恒治-昭和20年8月14日比島ルソン島にて戦死(26才)・陸軍軍曹菊池眞造-昭和19年9月27日ニューギニヤビヤク島にて戦死(24才)・陸軍軍曹藤本精一-昭和19年6月25日グアム島にて戦死(24才)・陸軍伍長菅原三郎-昭和21年1月7日ソ連アムール州ブラゴエチエンスクにて死亡(38才)・陸軍兵長菅原長六-昭和20年6月2日ニューギニヤビヤク島にて戦死(24才)・陸軍兵長菅原喜一-昭和20年4月1日ルソン島山岳州にて戦傷死(23才)・陸軍兵長菅原幸一-昭和19年6月28日ボーゲンビル島で戦死(28才)」
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八王子さん。
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33.4
33.8
『八王子(八将神)とは牛頭天王(お天王さん)の八人の子供達である。八王子神仰や目の神様として石のくぼみに溜った雨水で目を洗って清めた。』
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ハートっぽい道を歩いて行くと…
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35.5
金勢堂(令和元年7月吉日建立)
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金勢様。
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金勢様…『双玉の右を摩れば、家内安全、商売繁盛、金運の願い事が叶い、双玉の左を摩れば、恋愛成就、子宝安産、夫婦和合の願い事が叶う。』
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金勢様向かって左隣に和合神王(道祖神)
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39.5
和合神王(道祖神)1864年(元治元年)…『・悪霊や疫病の侵入を防ぐ神・境を守る神・通行人を守る神・旅行の神・男女和合の神・性の神・家族円満の神・安産の神・縁結びの神 「金勢様」「夫婦杉」とともに、ご利益があります様、拝礼します。』
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その隣に疫病の神様。
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41.5
疫病の神様…『江戸時代後期に腸チフス、天然痘、花柳病等のはやり病を防いだり軽くする加護に祝られていた。四日町や裏町(東町)方面から芸者さん達や多くの参拝者があった。』
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金勢様向かって右隣に稲荷神社かな。御本尊が見えてて悩めますが。
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43.5
夫婦杉。
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石碑群。
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恩賜郷倉側になります。じっくり見たわけではないので間違いもあるかも知れません。また、世話人等氏名も省略しています。
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岩手山・早池峰山(大正2年8月29日)
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月三山・鳥海山・金華山(大正7年7月28日)
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金毘羅権現(嘉永7甲寅年10月10日)
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金毘羅山(大正2年)
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当國三十三所観世音(大正11年10月)
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こちらは何大権現でしょう…湯殿山?横に鳥海山とも見えます。文化4年8月18日?あ~目が痛いっ!笑
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鳥海山。
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あ~ダメだ!目が潰れる!
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54.5
湯殿三山(明治29年8月8日)
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出羽三山。
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古峰神社。
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月三山・鳥海山・金華山(昭和24年7月30日)
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月山・鳥海山・羽黒山・湯殿山(昭和36年8月)
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月山・鳥海山・羽黒山・湯殿山(昭和48年7月20日)
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当國三十三所観世音(昭和13年7月17日)
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当國八十八所観世音(昭和48年11月17日)
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當國三十三所観世音(昭和41年9月17日、玉垣奉納観世音講中一同)
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当國三十三所観世音(昭和12年9月17日)
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当国三十三ヶ所観世音(昭和56年7月12日、石碑移転記念)
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鳥海山(明治29年8月8日、湯殿山講中)
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