秋田県仙北市西木町桧木内中里。塞ノ神堂 (塞神の桂・中里のカンデッコあげ)からも近い場所です。

檜木内についてです。檜木内川の上流域に位置する山間村地帯。郡境の地。北方の分水嶺(大覚野峠)越えに比内・阿仁へ通じ、また玉川を経て鹿角へ通ずる道は、古代以来利用されたと伝えられます。東方に田沢湖があります。檜木内川は近世まで鰍瀬川と称しており、地名は川名に先行しアイヌ語に由来とも。川に沿って縄文中期~晩期の遺物出土地点7ヵ所があります。戦国期の郷村名である檜木内は出羽国山本郡のうち。近世秋田藩政下の村切り策により、上檜木内村と下檜木内村に分村された地域であり、また天正18年12月19日豊臣秀吉が角館城主戸沢光盛に当地行を安堵した朱印状写では、川沿いに点在する40数ヵ村が村数筆頭の比内沢村の下に866石余と統計石高を表示された地域。太閤検地の際破却を命ぜられた戸沢氏支城の檜木内城は、檜木内川最上流部の戸沢にあり、角館城主戸沢氏が仙北郡入部の当初に拠った居館と伝えられます。大覚野峠越えの道は秋田家・津軽家側の記録にも書きとどめられた要衝であり、大仏岳東麓の上檜木内金山も採鉱されていました。戸沢領の北方の拠点として檜木内郷と称されていたとみられます。近世に上檜木内村と下檜木内村に分割。檜木内村は江戸期に分村した上檜木内村と下檜木内村が再度合併して成立。大字は旧村名を継承、二大字を編成。役場は下檜木内松葉に設置。ほとんどが山林原野。成立時の戸数342・人口1,727。地租対象地は田365町・畑91町・山林2,866町歩余。江戸期以来の薪炭・製材・養蚕・馬産がいっそう奨励され、明治30年頃ボイラー設備の製糸工場も創設。明治34年赤痢が流行し、栗掛・中野に避病棟を設置。大正2年の冷害による大凶作など天災が相次いだ反面、昭和12年相内に高柴金山が近代式設備により開発。同45年には国鉄角館線が松葉駅まで開通。同18年には同区間を羽後交通バスが運行。昭和31年西明寺村と合併し西木村成立。二大字は西木村の大字に継承。

日露戦争に関わる碑。

裏面・側面。



こちらは読み取れず。



社殿。
拝殿内。
正面に「凱旋」(明治28年12月吉日日清戦争凱旋奉納、布谷熊太郎・平成28年1月吉日複製者門脇民夫、揮毫伊東和子)とあります。由緒等はわかりませんでしたが、石碑といい、中里部落出身の軍人の凱旋、戦勝等に関連する神社のようですね。

本殿。

惟神。

「祝御嶽神社祭典」(平成6年8月18日)





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