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宮城県仙台市太白区茂庭中谷地山。巨大こけしの近くです。
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鳥居。
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参道石段。
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茂庭は名取川中流の北岸に位置。笹谷街道(国道286号)及び秋保温泉を経て二口峠越え奥州裏街道の要衝に当たります。
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戦国期の茂庭村は名取郡のうち。伊達治家記録の天正16年8月29日条に「茂庭主膳定直兄鷹一居持参献上す。主膳は名取郡茂庭邑に住す」、同9月15日条「名取郡茂庭より若兄鷹三連到来す」などとあり、伊達氏領国内の鷹の名産地として知られています。仙台藩の大身で松山館主茂庭氏というのは信夫(しのぶ)郡茂庭に由来する茂庭氏で名取茂庭とは無関係。
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江戸期以降の茂庭村は名取郡北方のうち。村高は元禄郷帳では茂庭村宿と記し1,084石余、天保郷帳では1,218石余。元和年間に茂庭氏より伊達家直轄となりましたが、元禄15年に再び茂庭氏が茂庭村のうちに知行を得て明治に及んでいます。「名取郡茂庭村内七十貫弐百文全て領知すべき者也」の文政11年6月の書状があります(名取郡誌)。家僕は男女82、茂庭氏家僕を除いた戸口は126。茂庭と西方の赤石(坪沼村のうち)には市店があり、駅として賑わっていたといいます。天保の頃は秋保温泉が繁昌したため、秋保温泉の湯本村と茂庭町との人足や馬方の争いがみられていました。茂庭村は和紙の生産でも知られており、鼻紙・封紙は上品とされていました。東部の人来田では簗を設け、サケ・ウグイ・アユなどを捕獲し鵜飼も行われていました。人来田の簗は宝永7年から享保5年まで藩直営で6年からは請負となります。明治元年新仙台藩、以後仙台県を経て同5年宮城県所属。同22年名取郡生出村の大字となります。昭和31年に現行の仙台市茂庭となります。生出村の役場が置かれ、小学校・郵便局などの公共施設も置かれて村の中心的町場となりました。大正3年末、長町~秋保温泉間に秋保石材軌道が開通し茂庭駅が置かれました。昭和50年に一部が現行の太白1~3丁目となっています。
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社殿はありません。
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手水石等々。
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石灯籠。
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山神。
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大正9年10月12日竹山謹書。
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古峯神社。
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小牛田山神(大正14年9月)
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子授け・安産・子育てを祈願して建立された石塔で、木花佐久夜比賣命を御祭神とする現美里町の山神社を祀ったもの。
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秋保山神碑建立紀念碑(大正9年10月12日)
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