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秋田県北秋田市阿仁銀山下新町。
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阿仁鉱山(向山銀山)が開発されたときに建てられた神社で、北前船で瀬戸内海から御影石を運び、その石で作られた灯籠が現在も残されています。
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江戸期の阿仁銀山町は出羽国秋田郡のうち。秋田藩領。以前は銀山が盛んであったので実際は銅山ですが名前だけが残ったといいます。採鉱が本格化した慶長年間に水無村の土地を分割し、屋敷を建て山師たちをこの地に移したのが町の始まりといわれます。当町域内の鉱山は慶長7年、佐竹氏入部以来本格的に開発され、同15年には直山となりました。元和年間が金銀山の最盛期であり、寛永(一説には寛文)年間には小沢山銅鉱脈の発見以来の銅山としてその名を高めます。はじめ秋田藩は運用銀取の方策を取りますが、元禄年中には直山とします。その後、請山と直山を繰り返すことになりますが、その鉱山の盛衰はそのまま銀山町の盛衰でもありました。無役地であり、上新町・下新町・畑町に分かれ、水無村とは町並みが連続していました。寛政年間の戸数400軒・人口2,000人(享保郡邑記)。町続きの水無と同様、鉱山外の運送従事者と、その他鉱山労働者などを相手にする諸商売の者が多く、銀山町とは名ばかりで鉱山そのものに働く者は少なかったようです。明治6年、阿仁銅山は官営に移され、同13年にはドイツ人技師メッケルらが招かれています。この後、同18年に政府は銅山を古河市兵衛に払い下げ現在に至ります。鎮守は熊野・愛宕・観音・稲荷の4社。明治11年北秋田郡所属。同22年北秋田郡阿仁銅山村の一部となります。阿仁銅山村は阿仁銀山町と小様・小淵・水無・吉田の4ヶ村、小沢・萱草・三枚・二ノ又・一ノ又・真木沢の6ヶ山組合が合併して成立。明治29年に荒瀬川・櫃畑地区が小沢・萱草鉱山に含まれることから荒瀬村より編入。明治24年の戸数1,683・人口9,001。同30年町制を施行し阿仁合町となります。
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天文元年(1532)~天文23年(1554)の創立と言われ、向山銀山(河川公園の向こう岸)の開発がうまく行くよう祈願するために建てられました。銀山神明社の石灯籠は市指定文化財であり、大坂で造られて運ばれたもので、瀬戸内海原産の御影石です。
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石燈籠標柱(町指定文化財・史跡、平成4年3月31日指定、阿仁町教育委員会)
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手水石でしょうか。屋根で覆っていて判断できかねますが。一対あります。明治期のものです。
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狛犬一対(昭和14年6月髙田市太郎・髙田ヨシ)
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石灯籠一対(嘉永元年戊申3月6日かな…よく見えず)
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不明の石。
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WAROCK。北秋田市阿仁合で行われている遊びで、石に絵や字を書いたり色を塗り、公共施設になどに隠したり、それを見つけてもらったりする石探しの遊びらしいです。
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社殿。
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「太神宮(明治14年5月)
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御祭神は天照大神、少彦名大神、伊邪那美命等。
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銀山地区(上新町、下新町、畑町)の氏子区域の総鎮守。明治6年銀山村村社。
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境内社。建物両脇に星辻…相染…と彫られた石碑あり。
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石塔群。中央に石仏(青面金剛もしくは馬頭観音)、両脇は庚申塔。
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こちらは享保14年9月18日のもの。
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