秋田県北秋田市阿仁銀山下新町。日蓮宗金銀山法華寺。

寺号標より…『日蓮大聖人立教開宗七百五十年慶讃記念奉納 加藤家先祖代々菩提之為』

山門。


(日蓮宗)金銀山法華寺…『元和元年(1615)大阿仁向山金山の山長であった生国能登の山王丸七兵衛が開基した寺である。その後、泉州堺の阿知子孫右衛門が米内沢に住んだ明暦年間(1655~57)米内沢墓地へ移動したが、元禄4年(1691)銀山の現在地にふたたび移った。以来、鉱山の盛衰とともにあったが、災害にあうこともなく当時そのままに三百数十年経た建物であったが、平成2年に本堂が新築された。〇商売繁盛、交通安全、無病息災祈願、諸事祈祷〇萱草七面山…身延山の分身である七面大明神を法華寺が祭祀。阿仁町観光協会』

江戸期の阿仁銀山町は出羽国秋田郡のうち。秋田藩領。以前は銀山が盛んであったので実際は銅山ですが名前だけが残ったといいます。採鉱が本格化した慶長年間に水無村の土地を分割し、屋敷を建て山師たちをこの地に移したのが町の始まりといわれます。当町域内の鉱山は慶長7年、佐竹氏入部以来本格的に開発され、同15年には直山となりました。元和年間が金銀山の最盛期であり、寛永(一説には寛文)年間には小沢山銅鉱脈の発見以来の銅山としてその名を高めます。はじめ秋田藩は運用銀取の方策を取りますが、元禄年中には直山とします。その後、請山と直山を繰り返すことになりますが、その鉱山の盛衰はそのまま銀山町の盛衰でもありました。無役地であり、上新町・下新町・畑町に分かれ、水無村とは町並みが連続していました。寛政年間の戸数400軒・人口2,000人(享保郡邑記)。町続きの水無と同様、鉱山外の運送従事者と、その他鉱山労働者などを相手にする諸商売の者が多く、銀山町とは名ばかりで鉱山そのものに働く者は少なかったようです。明治6年、阿仁銅山は官営に移され、同13年にはドイツ人技師メッケルらが招かれています。この後、同18年に政府は銅山を古河市兵衛に払い下げ現在に至ります。鎮守は熊野・愛宕・観音・稲荷の4社。明治11年北秋田郡所属。同22年北秋田郡阿仁銅山村の一部となります。阿仁銅山村は阿仁銀山町と小様・小淵・水無・吉田の4ヶ村、小沢・萱草・三枚・二ノ又・一ノ又・真木沢の6ヶ山組合が合併して成立。明治29年に荒瀬川・櫃畑地区が小沢・萱草鉱山に含まれることから荒瀬村より編入。明治24年の戸数1,683・人口9,001。同30年町制を施行し阿仁合町となります。
パンフレットより…『1622年に建立した日蓮宗の寺院。総本山は身延山久遠寺(山梨県)。法華寺は過去300年間、一度も火災に遭いませんでした。そのため、材料も当時の物をそのままに300年もの時が経過したのち、平成2年に改築され現在に至ります。法華寺では萱草七面山の管理もしています。交通安全の御守りの評判がとても良く、阿仁合では「交通安全の御守りは法華寺さんで買う!」という方が多いです。』・『地元で「七面山のお寺」と呼ばれています。山号は阿仁鉱山を表徴し、金銀山と号しています。【七面大明神】本堂には七面大明神のほか、鬼子母尊神・十羅刹女などの神々が祭られており、ひと声かけて頂ければ拝観可能です。』











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