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秋田県北秋田市阿仁銀山下新町。
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阿仁六ヶ山。
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『阿仁鉱山の草創は古く定かでない。寛永時代に至り、大阪商人北国屋の手代高岡八右衛門が、大沢、小沢に銅鉱を発見し、以後、阿仁六ヶ山として永く栄える。享保年間には、産銅日本一を記録するなど、本邦有数の名山として繁栄を成したが、爾来、幾多の変遷ののち、昭和6年経済恐慌によりいったん休山となる。同8年、二十四孝に金鉱を再開、戦中戦後は銅山として復興し往昔を凌ぐ活況を呈した。昭和45年7月31日、鉱源枯渇により再び休山。鉱山人は各地へ離散し、ここに六百余年におよぶ阿仁鉱山の歴史を閉じる。平成2年8月、休山二十周年に際し、望郷の念を抱いて故山に再会した輩たちは、"阿仁鉱山を偲ぶ会"を結び記念碑の建立を図る。かくして、阿仁町当局、古河機械金属株式会社(旧古河鉱業)の支援と、鉱山歴史の創造に関わった全国の建碑有志三百余名の醵金とにより、ここに、阿仁鉱山の名を永遠にとどめる石碑を建立するものである。 平成3年(1991)10月 阿仁鉱山を偲ぶ会』
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伝承館前。伝承館は阿仁鉱山の歴史を学ぶことができる施設です。当時の様子がわかる絵巻や写真、実際に鉱山で使用されていた道具等が展示されています。
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英国製の古レール。
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英国製の古レール…『鉱石運搬用として、阿仁地区小沢~水無の間で使われていました。日本の平底レールの中では最も古いものと言われています。』
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ローダーと鉄鉱車。
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『阿仁鉱山で昭和34年頃から昭和45年休山まで使用したローダーと鉄鉱車です。』
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井戸。
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井戸…『藩政時代に日本一の銅山だった阿仁鉱山は、明治に入って官営となり、国の殖産興業策により「国内の見本となる鉱山に」との方針のもと、技術革新の近代化が促進された。電話(明治30年)や電気(明治31年)の導入も早く、井戸水の動力ポンプ揚水も古くからあったと伝えられている。異人館前のこの井戸も早くから掘削使用されていたもので、その跡地周辺のこの地に再現したものである。』
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旧阿仁鉱山外国人官舎。明治15年に建てられたドイツ人技師の官舎の一棟で、国の重要文化財に指定されています。阿仁の長浜(現在の河川公園内)で焼かれたレンガが使われています。昭和58年の秋田県の能代市沖で発生した日本海中部地震(震度5)の影響で2階の一部が崩れたため修復されていて、修復場所はレンガの色が違っています。
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公式HPより…『【異人館の紹介】異人館は1879年(明治12年)に来山した鉱山技師メツゲルらの居宅として建築されました。現在、北秋田市消防署阿仁分署が建っている場所にもう一棟の外国人官舎がありましたが、すでに焼失しており現存しておりません。残った一棟(現・異人館)は1956年(昭和31年)に秋田県の重要文化財に指定され、1990年(平成2年)には国の重要文化財の指定を受けています。異人館はメツゲルの設計によるものと言われており、当時は阿仁鉱山外国人官舎及び事務所として使われていました。構造は煉瓦造りの平屋建てで、屋根は切妻造り、壁は地元の土を焼いて造られた煉瓦造りです。煉瓦は現在の下浜(阿仁河川公園付近)で作られたようです。建物は東に面して建ち、半円形窓は上げ下げ式、外側は鎧戸、周囲は木造のベランダで囲まれており、異国情緒漂う建物です。のちの洋式建物の象徴といわれる鹿鳴館やニコライ堂より先駆けて建てられており、ヨーロッパ人と洋館に初めて接する当時の日本人にカルチャーショックを与えたと言われています。メツゲルらの離任後、この異人館は鉱山局起業課、迎賓館、宿泊施設等へと用途が変わりました。1982年(昭和57年)の森吉山直下型地震や、その翌年に起きた日本海中部地震によって、煉瓦壁の一部が崩壊・ヒビ割れなどの被害があり、阿仁町の所有となった1983年(昭和58年)に破損個所の改修及び部分整備が行われました。その後「阿仁町異人館」として一般公開され、2005年(平成17年)には阿仁町の合併により北秋田市となり、「北秋田市阿仁異人館」へと名称が変更されました。』・『【伝承館の紹介】阿仁伝承館は、鉱山で繁栄した「阿仁」の歴史を後世に伝えるため、1986年(昭和61年)にオープンしました。館内には阿仁鉱山から採取された黄銅鉱をはじめ、黄鉄鉱、方鉛鉱、石英などの鉱物標本、鉱山で使用されていた道具類などのほか、江戸時代の阿仁鉱山作業絵図(絵巻)や阿仁鉱山だけで使用されていた阿仁波銭、ドイツ人技師メツゲルによる阿仁鉱山調査報告書、鉱山労働者の相互扶助制度「友子制度」に関する資料などを展示しています。また、阿仁地区の民俗資料として、阿仁鉱山で働く女性たちが歌っていた「からめ節」の衣装展示や、根子地区に伝わる「根子番楽」(国指定重要無形文化財)の民俗資料、阿仁地区出身の著名人を紹介しています。隣接する阿仁異人館とは地下通路でつながっています。』
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旧阿仁鉱山外国人官舎(国指定重要文化財(建造物)平成2年3月19日指定、所在地:北秋田市阿仁銀山字下新町41番地23号、所有者:北秋田市)…『阿仁鉱山は、明治8年(1875年)政府(工部省)の所管となり、産業振興を推し進めるため、外国人技術者を雇い入れ、近代化を図った。当建物は、派遣された「お雇い外国人」のために建設された官舎二棟のうちの一棟で、明治13年(1880年)10月に着工、同15年12月に竣工した。当時の銀山町の人々はこの建物を「夷人館(異人館)」と呼んだ。建物の構造は、煉瓦造平屋建てで、建築面積は267.2㎡である。外壁は、地元水無の下浜で焼いた赤煉瓦をイギリス積みしたもので、半円形窓、上げ下げ窓、鎧戸が配置され、周囲にベランダを巡らせたコロニアル形式となっている。屋根は切妻で、木羽葺きであったが、現在は銅板葺きとなっている。内部は東側正面中央を玄関ホールとし、その両側に一室、東南部に突出して一室を設けている。文明開化の象徴ともいえる鹿鳴館(明治16年)に先行し、秋田県最古の洋風建築であるとともに、現存する煉瓦造住宅としては、全国的に古いものの一つであり、わが国の産業近代化初期の一端を示す建造物として貴重である。北秋田市教育委員会』
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旧阿仁鉱山外国人官舎(異人館)平成2年3月19日指定(国指定重要文化財(建造物)Designated March 19th,1990.Nationally Designated Important Cultural Property(Building).Formaer Foreign Residence for the Ani Mines(Foreigner's House)…『明治15(1882)年に明治政府から阿仁鉱山に派遣された外国人技術者5名のための宿舎として建てられました。当時は、大小2棟の煉瓦造の外国人官舎が建設されましたが、2棟のうち大型の官舎は昭和30(1955)年前後の火災で焼失し、もう一方の小型の官舎が現存する異人館です。異人館の特徴である赤煉瓦は、地元の阿仁水無の下浜にあった窯で焼いた煉瓦をイギリス積みしたものです。イギリス積みは、長手の段と小口の段を交互に積み重ねていく煉瓦の積み方(図)で、一般に強度が高く、経済的であると言われています。壁の厚さは2枚積み(煉瓦2本分の長さ)となっています。煉瓦は窯に積重ねて焼成されるため、重なり具合によって焼きむらが生じますが、火は入り過ぎ黒色になった面も見えるように積み上げることで、味わいある壁面の風景を作っています。』・『This house was built in 1882 as a dormitory for five foreign engineers who had been dispatched to the Ani mines by the Meiji goverment.Two buildings were built at the time - one larger and one smaller - as official foreign residences.However the larver of the two residences burned down around 1955.The surviving,smaller residence is now the Foreigner House.The red bricks,which are a feature of the Foreigner House,were fired locally in kilns in the Shimohama aera of Ani Mizunashi,and laid in English bond.In English bond bricks are laid in alternating coureses of stretchers and headers(see figure).This method is generally said to be both strong and economical.The wall has a thickness of two brick-lengths.Because the bricks are stacked on each other within the kiln,they experience uneven firing based on how they are positioned.Some bricks even turn black due to overexposure to the heat.It is usage of such bricks in the bricklaying pattern that gives this building its distinct character.』
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イギリス積み:長手の段、小口の段を交互に積み重ねていく煉瓦の積み方(English bond:Laying of the brick in alternating courses of stretchers and headers)
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鍰。銅を製錬する際に分離した不純物(鉱滓)です。角型の鍰は、固くて丈夫であったことから家の基礎や壁などに使われました。阿仁では今も塀や土留め、基礎などに鍰石を使っている場所があります。
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鍰(からみ)…『「鍰」は、砕いた鉱石を溶鉱炉で溶かして製錬する際、銅と分離された不純物、鉱滓(こうさい)のことをいいます。鍰には、「粒状」、「なべ型」、「角型」、古いものに「間吹き鍰」の4種類があります。「粒状」の鍰は、この地区一帯に集め廃棄され、「鍰山」が随所に見られました。この鍰の上に建っている家屋もあります。「角型」は家屋の土台や石垣等に利用されるようになり、現在も地区のいたる所で見ることができます。「間吹き鍰」は製錬技術が進んでいなかった時代のもので、未分離の金、銀、銅の成分が含まれています。北秋田市教育委員会』
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金毘羅大権現。
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金毘羅大権現…『海上安全の神として船乗りなどの信仰を集め、本尊は香川県琴平町の象頭山(ぞうずさん)の金刀比羅宮(ことひらぐう)にまつられている神です。古くから二ノ又鉱山が信仰していたもので、鉱石の輸送に舟運が唯一の手段だったことから、その安全を祈ったものといわれています。ここから東方約8キロメートルの二ノ又鉱山地内に立っていましたが、大正5年の森吉山麓の集中豪雨で上流の通称「三ノ又の沼」の決壊により、土砂に埋没していたものを1986年(昭和61年)、古河林業株式会社のご好意により移設したものです。北秋田市教育委員会』
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坑夫の試験石。坑夫の試験に使われた石で、タガネ(金属や岩石を加工する工具)を使って穴を掘った跡が残っています。試験は「決まった時間で石をどれだけ深く掘れるか」を競い、その結果に応じて賃金が変わったと言われています。
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坑夫の試験石…『鉱山の坑内で岩石(鉱石)を破砕(爆破)作業の工程で、岩石に爆薬を詰め込むための細い穴を掘る作業があります。この穴掘りの腕前によって坑夫の等級と賃金の格差がつけられたといわれ、タガネを用いて一定の時間内で競い合って穴を掘ったものがこの試験石です。ここから東方約7キロメートルの一ノ又鉱山地内の女郎沢付近に、人知れず苔むしていたものを1986年(昭和61年)、古河林業株式会社のご好意により移設したものです。北秋田市教育委員会』
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庚申様と石燈籠。
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庚申様…『庚申信仰は仏教崇拝から来た、中国渡来の宗教民間信仰の一位をしめて来ている。ここの庚申様又は石燈籠は、一の又鉱山、二の又鉱山より移転されたものである。庚申様は鉱山に限らず集落神社や村端に祀られ、無病息災・五穀豊穣・大直利(だいなおり)の神様として広く信仰されてきた。七庚申の年は、これを記念して庚申塔を建立したといわれている。ここに天下士公の文字塔がありますが、これは猿田彦を祀る庚申塔であるといわれている。様々な姿の庚申様があり、鉱山の仕事を求めていろいろな地域から人々が集まって来た時代が偲ばれ、その時代の賑わいが想像される。』
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