
方角は異なりますが、大体この高低差を上るような坂になります。
源内坂。



パンフレットより…『その名のとおり、江戸時代の天才と称される平賀源内(1728年~1780年)が歩いたと伝えられる坂です。阿仁鉱山は産銅日本一となったものの、その後に生産量が低下し経営が悪化したため、経営していた秋田藩は平賀源内を招聘して技術指導にあたらせました。当時の阿仁鉱山における銅の精錬法は、銅の中に銀が残ったままになってしまう方法でした。これを知った源内は、阿仁に滞在して精錬法を改良し、阿仁の産銅から銀を絞り出す技術(銀絞り法)を伝えました。その後、秋田藩は幕府の許可を得て能代市(旧二ツ井町)の加護山に精錬所を設け、阿仁の産銅から銀の抽出を開始しました。』




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