1
岩手県盛岡市三本柳18地割。北上川の西、近くに都南幼稚園があります。
2
三本柳の産土神。三本柳さんさ踊発祥の地であり、例大祭(前夜祭)では、伝統芸能である三本柳さんさ踊りが奉納されます。
3
社号標「平野神社」(今上陛下御即位記念、平成元年9月4日奉納藤澤善右エ門)
4
境内案内板「平野神社」(昭和50年9月4日氏子総代)より…『【祭神】大雀命、宇迦御魂命【祭日】9月4日【氏子】三本柳地域一円【由緒】三本柳の宗家藤沢某は斯波御所の臣で、手代森館にいたが天正16年(西暦1588)斯波氏が没落、藤沢某は北上川を渡りこの地に亡命し帰農した。この時氏神を奉遷したのが平野神社の創建と伝えられている。明治4年以来終戦まで村社であった。昭和26年火災の為焼失、同28年に再建。』
5
鳥居。
6
6.5
神楽殿…もしくは仮設ステージ。
7
三本柳についてです。北上川右岸の平坦地に位置。江戸期の三本柳村は紫波郡のうち。盛岡藩領。見前通に属します。村高は延宝5年検地名寄帳では517石余(田354石余・畑163石余)で他に高橋四郎左衛門新田1石余、邦内郷村志669石余(うち給地40石余)、旧高旧領807石余。新田1石余は鹿妻穴堰用水路の拡大延長によって成立した野芋新田とみられます。仮名付帳では見前村の枝村として見えます。邦内郷村志では家数60で、集落別内訳は明戸20・羽場11・野中8。本枝村付並位付によりますと位付は上の上、家数64、集落別内訳は百目木9・権現堂7・幅村14・三本柳11・野中2・明戸14・笹森6・仏田1。天明8年の幕府巡見使の通行に際して作成された返答書留帳では東部に大沼が見え、藩主への献上鳥を捕獲するための鳥溜の沼と記され、旧北上川の河床にできた淀が沼に変わったものであるといいます。嘉永6年の当地の農家の万覚書帳によりますと、盛岡城下の武士・商人55人から1ヶ年6駄の下肥を汲み餅米を支払っています。この下肥を野菜畑にも利用して芋の子・金瓜・唐芋・百合根・胡瓜・ササゲ・ズイキ等の野菜を売って収益を得ており、盛岡城下近郊農村としての特色がみられます。文政4年の御領分産物書上帳によりますと、百合根が江戸へ移されたとあります。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て、同5年岩手県所属。同10年の村の幅員は東西12町・南北13町、税地は田82町余・畑80町余・宅地31町余など計205町余、戸数122・人口783(男406・女377)、馬114、人力車1、社1(平野神社)。職業別戸数は農業118・工業2・雑業1・神官1、物産は馬・鶏・鶏卵・米・大豆・小豆・粟・稗・黍・蕎麦・大角豆・蘿菔・胡瓜・甜瓜・南瓜・茄子・蕃椒・百合根・胡蘿菔・午房・薯蕷・蒜、地味は赤・黒色土で均質ではありませんが北西部は肥壌にして上位に属し、北上川沿岸は時々水害に遭ったといいます。林は21か所、原野は34か所。字竹原にある下川原野は東西3町・南北1町で秣草場に供しています。野中渡しと称される私設の渡船場が字野中にあり、渡船大小2艘で手代森村に通じます。明治22年見前村の大字。昭和30年都南村、平成4年から盛岡市の大字。明治22年の戸数121・人口804。当地の大沼・畑沼は第二次大戦前まで残っており、魚釣り・子供の水泳場などで親しまれていたそうです。また養魚場としても利用され、漁舟などの設備もあって生産をあげていましたが、戦時中2つの沼はともに食糧増産のために埋め立てられてしまい現在は跡形もありません。明治27年の引続官地拝借願によりますと、以前から大沼を水魚作として使用していたことや、官地沼反別9反9畝15歩とかなり広い面積であったことがうかがわれます。同43年大豪雨のため北上川の堤防が破れ、東見前・三本柳の被害が甚大で床上浸水139戸を舟12艘で救助に当たりました。大正4年養蚕が盛んとなり、大沼に稚蚕共同飼育場が作られました。大正5年、字大沼に見前郵便局開設。昭和22年カスリーン台風で北上川が増水し笹森地区が孤立。同37年徳田橋開通により渡船場は廃止されましたが三本柳船場は同48年頃まで続きました。伝統芸能として伝わる三本柳さんさ踊りは、南部藩主36代利敬の奨励もあって踊りの基本が形作られ、三本柳踊連中によって近郷に広められたといわれます。近年急激に宅地化が進みました。
8
8.5
石塔群。
9
馬頭観世音。
10
出羽三山。
11
金毘羅大権現(萬延2辛酉年)
12
庚申塔(寛政9丁巳天8月24日當村講中)
13
馬頭観世音。紀年銘は頑張れば読み取れます。
14
こちらの建物は不明。造的にはこちらが神楽殿のように見えます。
15
社殿正面。
16
手水石。
17
17.4
17.8
石灯籠一対(昭和6年9月4日)
18
18.5
狛犬一対(阿形:昭和39年9月吉日、吽形:昭和43年9月4日氏子一同)
19
19.5
社殿。
20
20.4
20.8
神社庁より一部抜粋…『【御祭神】大雀命、宇迦之御魂命【例祭日】9月4日【連絡先】宮司本務社盛岡八幡宮【由緒】当地方の開拓者藤沢一族の守護神であった。創祀年代は詳らかではないが、徳川期以前に遡るものと思われる。社地は北上川辺りであり、藤沢家は代々別当職を継ぎ、現在も神に殊縁ある家として特殊の地位を得ている。当地の産土神として崇敬篤く、明治に至り村社に列格。』
21
拝殿向拝神額。
22
拝殿内。
23
社殿向かって右隣に明戸公民館。
24
左隣に三本柳稲荷神社。
25
鳥居神額(盛岡八幡宮宮司藤原隆麿)
26
社殿。
27
27.5
三本柳さんさ踊發祥の地(昭和51年8月15日、三本柳さんさ踊都南太鼓保存会)
28
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ