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岩手県釜石市箱崎町第7地割。箱崎漁港に鎮座。
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入口が2ヶ所ありました。
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石段下側の正面参道にもかつては鳥居があったものと思われます。
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箱崎は大槌湾・両石湾に挟まれて位置。縄文遺跡は地内前畑から前期、白浜から後期、大沢から中期の土器が出土。江戸期の箱崎村は閉伊郡のうち。箱ケ崎村とも書きました。盛岡藩領。大槌通に属します。慶長年間に大槌氏が滅亡した際、大槌氏の一子三徳丸と母がともに箱崎修験金剛院に一時逃亡しています。慶長19年大土御蔵納米を見ますと、当村は74駄片馬2斗6合、桑浜村は6駄7升を納入。村高は正保郷村帳73石余(田14石余・畑59石余)、貞享高辻帳91石余、邦内郷村志102石余、天保郷帳100石余、安政高辻帳91石余、旧高旧領100石余。仮名付帳によりますと当村の枝村として白浜村・桑野浜村・苅宿村が見えます。当村は津波被害の多い漁村でした。元禄12年の藩の絵図には箱ケ崎遠見番所が見えます。元文3年藩主巡行の際に当村一帯で狩猟を行っています。寛保3年与力一見帳によりますと御蔵高2石余、箱崎此右衛門知行高98石余。邦内郷村志によりますと家数101(うち村内集落として白浜28・桑野18・苅宿9を含む)、馬数39、雑船15、塩釜4、御箱崎大明神があります。本枝村付並位付によりますと位付は下の中、家数87、集落別内訳は本村40・桑ノ浜17・苅宿9・白浜21。天保8年の御蔵給所惣高書上帳では御蔵高2石余・給所高98石余。安政7年宗門改帳によりますと家数74・人数344。慶応3年大槌録によりますと当村内の知行高は箱崎助右衛門98石余、また、当村の牛数75・馬数17、小煎釜2・塩釜3・船小宿1・沖漁船5・雑船5、鮭鯖漁場3ヶ所、小白浜御台場に唐鉄筒1(譲邪)・鉏鋳玉314、また唐鉄筒1(翻海)・鉏鋳玉10貫目があり、刈宿御台場には2貫目木砲1がありました。三閉伊通では弘化4年・嘉永6年に藩政改革を要求する百姓一揆が起きています。慶長及び元和の紀年銘のあるオシラカミが残っています。明治元年松本藩取締、以後江刺県、盛岡県を経て、同5年岩手県所属。同12年南閉伊郡に属します。明治9年箱崎小学校創立。同11年の村の幅員は東西1里29町・南北18町、税地は田3町余・畑49町余・宅地3町余・切替地3町余など計61町余、戸数100・人口537(男266・女271)、牛35、馬35、漁船28、神社4、職業別戸数は農業87・雑業9、物産は牛・馬・鶏・鮭・鮪・鯣・鰹・赤魚・鱈・目抜・米・大豆・小豆・麦・蕎麦・濁酒・若布・布海苔・塩・麻など。同16年の戸数110・人口606。同19年、白浜にコレラが発生し箱崎小学校は4週間休校となっています。同22年鵜住居村の大字となります。昭和30年釜石市の町名となります。
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鳥居(奉納:箱﨑神社氏子、本体工事:佐々木鐵工佐々木洋一郎、施工基礎工事:有限会社荒屋組代表取締役荒屋齊。平成7年3月吉日)
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頌徳小林三十郎翁之碑(皇紀2600年記念、英青書)。小林三十郎は漁業の発展に寄与した人物のようです。
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正面石段ではなく鳥居のある参道から登ってみました。
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目の前は海。
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やはり石段の方が正面参道のようです。
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10.5
石段を見下ろす。
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石灯籠一対・狛犬一対。
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12.5
社殿。
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御祭神は品牟陀和気命、大綿津見神。例祭日旧3月15日。延宝5年(1677)5月勧請。
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拝殿向拝蟇股・木鼻等
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拝殿向拝神額(植田建設奉納)
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拝殿内。
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本殿。
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箱崎神社境内林は市指定文化財(平成23年2月24日指定)。樹齢400年と推定されるアカマツを筆頭とし、同等の樹齢と考えられるスギ、クロベ等を主とする社叢樹林。箱崎神社の社殿を中心としてぐるりと境内林が廻っており、アカマツ、スギ、カツラ、ケヤキ、クロベ等で目通り周3.5m以上の樹木が17本確認できるそうです。神聖な神社林であるためか、ほぼ手付かずのまま現存しており、いずれも枝張りがよく隆盛。
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石殿。
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これは不動明王かな。
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その他稲荷大明神等諸々。
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