岩手県大船渡市猪川町前田。

参道は奇麗に整備された階段。

猪川は五葉山南麓に源を発し南流して大船渡湾に注ぐ盛川の河口近くに位置。川はその他に滝の入山から発して南西に流れ盛川に合流する立根川と、今出山から発して西流し盛川に合流する今出川があります。集落はこれらの川が形成した河岸段丘上に点在。地内には縄文前期から中期の中井遺跡、縄文後期から弥生時代の長谷堂貝塚、古墳時代の善蔵敷遺跡などがあります。地内の竜福山長谷寺(岩手三十三観音十番札所・気仙三十三観音二十二番札所(十一面観世音菩薩))は天慶9年淳祐法印の開山と伝えます。同寺境内の観音堂は坂上田村麻呂が竜福という鬼を誅伐、その首を埋めた地に建てたものと伝え、宝永元年再建のため壊した際に鬼面を呈した頭蓋骨と短刀が出土したとも伝えます(気仙風土草)。また、元亀3年再興の際の上梁文には「佐狩郷竜福山長国寺、江瀬兵庫頭平朝臣重矩者、元亀三年二月十一日再興之」とあります。地内前田にある天照皇太神が祀られる山一帯は猪川城跡で本丸は山頂の平場。その東面の杉林には明瞭な土壇が見られます。東西100m・南北200m・比高80m。釜石街道と遠野街道を扼す要害。城主は新沼長門・同左京といいます。猪川小学校の裏山から猪川幼稚園にかけての一帯は迎館(向ヒ館)跡。東西300m・南北200m・比高30mの山城。西側国道45号に面した高い丘の頂上平場が本丸。その東、幼稚園の庭から小学校裏に続く地が二の丸。二の丸の東・南は崖となり北は窪地に続きます。城主は及川土佐と伝えます。なお、当地の長谷寺と山口熊野堂には建治3年・文保元年・同2年など鎌倉期の紀年を有するものをはじめとして多くの中世板碑があります。

江戸期以降の猪川村は気仙郡のうち。仙台藩領。村高は寛永検地45貫余(田28貫余・畑17貫余)、元禄郷帳406石余、天保郷帳・旧高旧領517石余。封内風土記によりますと明和9年の家数112、神社は鎮守の神明社の他に八幡社・荒神社・熊野社、寺院は真言宗竜福山長谷寺、他に2つの観音堂と地蔵堂が見えます。稲子沢観音は正徳元年鈴木与次右衛門・同七兵衛が創建したと伝えます。また、地蔵堂の本尊は運慶の作と伝えます。今出山金窟といわれる金山は、古くは多量の黄金が出たと伝えます。明治元年松本藩取締、以後江刺県、一関県を経て、同4年水沢県所属。同8年盛村の一部となります。明治22年の猪川村は気仙郡の自治体名。元は盛村の一部で江戸期の猪川村。明治22年の面積2,255町余、戸数144・人口1,061。大正5年の戸数198・人口1,356(男667・女689)、田48町余・畑109町余・宅地9町余・山林1,778町余・原野344町余、小学校数1、生徒数223(男109・女114)、寺1、職業別戸数は農業142・工業12・商業13・その他31、家畜頭数馬130・牛7・豚10。人口は昭和10年1,600、同25年2,131。第二次大戦後の農地改革による開放予定面積は22町2反で、昭和27年売渡済面積22町4反となっています。同27年大船渡市猪川町となります。昭和27年の人口2,157。

参道途中にあった境内社。何かはわからず。境内案内板通りなら秋葉神社。

鳥居。
鳥居の先の階段。


参道を振り返るの図。

天照御祖神社(あまてらすみおやじんじゃ)…『【御祭神】天照大御神【例祭日】7月16日(法印神楽奉納)【境内社】境内鎮座:秋葉神社(火産霊神)、大野鎮座:大山祇神社(大山祇命)、久名畑鎮座:稲荷神社(倉稲魂命)、中井鎮座:八幡神社(誉田別命)、富岡鎮座:山神社(大山祇命)【由緒】本神社の勧請の由来は詳らかではないが、永正元年(1,504年)猪川築館の城主葛西家の臣、新沼長門、藤原定家が城主に願い出て奉祀したといわれる。祭務は、猪川村居住修験権大僧都万徳院徳清が任ぜられ代々司っていた。永正6年(1,578年)築館城が落城してからは、猪川村一村の総鎮守となり、毎年旧6月16日を例祭日と定め、氏子の祭費を以て祭典を行ない、氏子の奉仕により社殿の修築等を行なってきた。明治5年(1,872年)江刺県治中郷村社の配置制が施行された際、本社は、無格社であったが、のち大正13年村社に列格される。昭和20年、国家管理を離れ、翌21年神社本庁に所属し現在に及んでいる。昭和58年4月岩手県神社庁より二級社に認定される。社殿は以前は、古名三橋山に鎮座されていたが、天保6年10月(1,835年)旧城の跡地に遷座される。以来、大正4年、社殿が改築され現在の社殿の威容が整えられ、昭和58年には、屋根替えが施されている。本殿、拝殿共「神明造り」で、屋根には千木が聳え、鰹木を配し亜鉛葺きとなっております。』

境内。
石塔2基。ちょっと読み辛かったのできちんと見ていません。1基は文政7年かな。




石殿1基。稲荷様かな。

手水舎。


手水石。

紀年銘は…う~ん…悩める…

社殿前石段。
狛犬一対(昭和17年1月吉日)
御神庫っぽい建物。

御祭神は天照大神、例祭旧6月16日、旧村社。
御神木。

忠魂碑(大正4年11月建之、陸軍大将伯爵寺内正毅書)・平和塔(昭和35年8月15日、猪川町民一同建之)

社殿前石灯籠一対(昭和18年7月吉日、帝國在郷軍人會猪川村支部)


社殿。
神社庁より…『御祭神…天照大御神。例祭日…7月16日。由緒…本神社は、猪川町の城主葛西家の臣・新沼長門の奉祀せられたる神社にて、創建は永正元年(1504)、猪川村居住修験権大僧都万徳院徳清祭主に任ぜられ、以来同院子孫代々祭務を司る。然るに天正年間(1573-1592)の戦乱に、同6年(1578)7月27日の夜築館落城するや、後猪川村一村総鎮守の神社と奉斎崇敬す。村民一同氏子となり、引続き前祭主の子孫を以て祭務に当て、毎年6月16日を例祭日と定め、氏子の祭費を以て祭典を執行する。築館城落城以前は、旧社地域の丑寅の方位古名三橋山と称す所に鎮座せしを、天保6年(1835)10月旧城の跡地に奉移、以後現在に至り古例の通り崇祭す。(五年毎に式年大祭を斎行す)』
拝殿向拝。

拝殿向拝神額。

拝殿内。

拝殿前から見た境内。



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