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岩手県久慈市川貫第5地割。付近には愛宕神社虚空蔵菩薩、久慈市立三船十段記念館(三船久蔵十段之像)や日蓮正宗東光寺、道の駅くじ(やませ土風館)があります。
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愛宕神社境内にある文珠宮の裏手に「神社の道」という遊歩道があります。そこから歩いて行きました。なお、下の写真は文珠宮の裏です。
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周囲はちょっとした広場のようになっています。ここがさくらの広場なのかな。高舘というくらいですから、かつての城跡であると推測できます。周囲の地形を見ると城跡であることは間違いない気がします。
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4.2
4.4
4.6
4.8
その一画に高舘八幡宮(久慈岡八幡宮)が鎮座しております。
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参道。
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小さな社です。
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鳥居。
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巨木。
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社殿。
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建物自体は比較的新しい感じがしますね。案内板によりますと令和元年に再建されているようです。
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高舘八幡宮は愛宕神社の記事内で説明した十二支における戌・亥(阿弥陀如来)のようです。
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高舘八幡宮…『高舘八幡宮が立つこの地を、九戸郡誌は「高舘阯」と称している。天正年間(1573~1592)ここに高舘播磨という武将が住したと伝えられ、久慈城の出城だったと思われる。天正19年8月(1591)、高舘播磨は南部家第26代当主南部信直と奥州仕置を行う豊臣政権に対する反乱とされる「九戸一揆(九戸の乱)」の折り、久慈城主久慈備前直治・久慈中務少輔政則と共に九戸政實方に味方して、一戸・姉帯城の籠城戦に参戦し、会津の蒲生軍と戦って敗れ戦死した。(南部根元記)九戸郡誌に依れば、この神社は名称を久慈八幡宮、祭神は八幡太郎義家(源義家)とされるが、旧社殿に残っていた明治23年と大正2年の棟札には「久慈岡八幡宮」と記されている。この度の再建にあたり、古くから地域住民より「高舘の八幡様」と親しまれてきたことから、「高舘」の名に因んで「高舘八幡宮」とした。◇八幡宮の本来の祭神は、以下の三柱とされる。・誉田別尊(応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母)、比売神◇八幡宮の守り本尊は阿弥陀如来で、戌年・亥年の守り神といわれている。令和元年5月高舘八幡宮奉賛会』
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神社裏手はこのようにこんもりとしていました。由緒からするとちょっと気になりますね。
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