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岩手県遠野市青笹町糠前。河内川沿い。六角牛神社(ロッコウシジンジャ)。近くには遠野郷土人形民芸村があります。六角牛山登山口にもなっています(上糠前口)。案内板を見ると六角牛神社から登山口の間に追分石碑・一番鳥居跡・二番鳥居跡・水飲場・三番鳥居跡があります。
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糠前は六角牛山北・西麓、早瀬川の支流河内川流域に位置。同川の堆積によって形成された平坦地をもち水田中心の集落。字四日市は駅市のあった所です。江戸期の糠前村は閉伊郡のうち。盛岡藩領。遠野通に属します。寛永4年から遠野南部氏の知行地。村高は正保郷村帳115石余(田71石余・畑43石余)、貞享高辻帳143石余、邦内郷村志426石余、天保郷帳572石余、安政高辻帳458石余、旧高旧領435石余。寛永4年の遠野南部氏の当村における知行高は173石余。邦内郷村志では家数112、馬205、当村には大平ほか21集落があります。本枝村付並位付によりますと位付は下の中、家数117、集落別内訳は大草里11・火尻田16・館石7・善応寺26・大明神21・後野6・安戸18・飛鳥田12。踊鹿野の水塘は、天保元年、遠野南部氏の家臣百専左衛門が自ら資を投じて開削を企て、付近の荒野を開墾して水田を開きました。明治元年松本藩取締、以後江刺県、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同12年西閉伊郡に属します。明治8年県条例の改訂により第16区が12大区に改められて当地は三番扱所として会所がおかれました。道路は釜石街道・遠野街道・両石街道が通じ交通の要地でもありました。明治11年の村の幅員は東西2里11町・南北25町、税地は田65町余・畑290町余・宅地8町余・荒地15町余など計380町余、戸数111・人口579(男306・女273)、馬188、職業別戸数は農業108・商業1、物産は馬・鶏・米・大豆・小豆・大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・黍・栗・胡桃・馬鈴薯・麻・麻布・縄などで、遠野三山の1つである六神石山があります。社寺は須佐男命を祀った八坂神社、晴山にある真宗大谷派で東本願寺の末寺日清山万通寺があります。万通寺は明暦2年の建立で僧順智を開基とします。明治22年青笹村の大字となります。明治22年の面積829町余、戸数119・人口689。昭和29年遠野市青笹町の字となります。
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3.5
六角牛山(Wikipediaより一部抜粋)…六角牛山(ろっこうしさん)は、岩手県遠野市と釜石市との境界にある山。遠野小富士の異名を持つ。【概要】北上山地に位置する。標高1,294.3メートル。早池峰山、石上山と共に遠野三山として岩手の名山のひとつとして親しまれている。山麓の六神石神社は坂上田村麻呂の創建と伝わり、その奥宮が山頂に鎮座する。奥宮は悪天候時の避難所としても利用されている。【語源】語源は以下のような説がある。・六人の皇族が住んだ山という説。・大きな牛の背のように見えるからという説。・アイヌ語の「山容の垂れ下がる山」という意味からきたという説。
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記念碑(昭和54年3月2日、青笹牧野農業協同組合)。読み取りにくかったので碑文省略。
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鳥居。
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鳥居神額。
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遠野遺産「複合遺産、認定番号:114号」…【遺産の概要】創建は不明だが、権現様と、明和8年(1771)と安永年間の記載のある神楽大権現の幟が奉納されている。また境内には幹周4mの銀杏の大木がある。本社ができたのは明治13年(1880)頃で、はじめ中沢の六神石神社と同様の字をあてていたが、その後混同しないよう「六角牛」という字を使うようになったという。例祭は旧暦8月15日の前夜で、六角牛神楽と青笹しし踊りが奉納される。 
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記念碑…『六角牛山は、太古より遠野郷三山の三姉妹の大姉神が鎮座せられる御山で、現在此の社にはふくよかな薬師如来立像、脇士に飛天が御祀りされてあります。昔、私達の先祖が御山に様々な祈願を致しましたが、現在も同じく、時代を越え、子子孫孫まで未来永劫、六角牛山の美しい山霊に敬神の心を捧げ、昭和62年10月吉日社殿を再建し記念として神前に此の碑を建立するものであります。昭和63年11月吉日六角牛神社建設奉賛会 役員:小水内茂男、菊池貞男、藤原定徳、小水内強一、小水内初男、菊池豊治、菊池一男、菊池千吉、菊池昌弘、小水内盛雄、松原宏、佐々木孝盛、佐々木弘光、小水内文雄、藤原啓晃、藤原哲郎、菊池由喜雄、菊池政吉、菊池章晃、藤原玉吉、小水内松雄、小水内秀一、小水内ナカ子』
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六神石大神(明治14年旧4月8日)
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六角牛山。
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社殿前。
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御祭神は遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の六角牛山(神体山・六角牛大神(六神石大神))及び薬師如来で、創建は不詳ですが9世紀初期の創建とも云われています。江戸時代には神楽大権現と称されていました。旧暦8月15日の前夜に例祭があり「六角牛神楽」と「青笹しし踊り」が奉納されています。
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手水石。
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石灯籠一対。
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15.5
六角牛山大権現。
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歌碑「敬神の心豊かな里人の幾夜つどひて新社殿」昭和63年9月
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社殿。
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拝殿向拝神額。
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拝殿内。権現様があります。
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幟がたくさんありました。
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本殿両脇にはガラスケースに納められた古いものも。「神楽大権現」と見えます。
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六角牛神社建設奉賛芳名…『旨 私達祖先が「六角牛神社」を建立し、以耒薬師如耒を祀り崇敬してきました。築後百余の歳月を経ており、昭和二十年代に修復したが、近年老朽が甚だしく斯様なことから新築を決し、六角牛神社建設奉賛会を結成した処、地元は勿論、他地区の方々の深厳な神威の昂揚と、敬神の念篤い賛同により落慶の運びとなり、ここに謹んで感謝申し上げます。昭和六十二年十月二日六角牛神社建設奉賛会』※芳名省略
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