1
岩手県釜石市鵜住居町第13地割。
2
鵜住神社のすぐ隣にあります。
3
鵜住居観音堂から見下ろした鵜住神社の参道鳥居。
4
鵜住居観音堂…『鵜住居観音堂は「小峯山観世音」と号し、本尊は岩手県指定文化財となった木造十一面観音立像 附胎内仏・木造僧形立像(以下、十一面観音と記述)で、別当である小山家は江戸期には「慈眼院」の院号を持つ本山派修験でした。鵜住居観音堂の縁起書等の文書は、過去に三度あったという火災によって全て焼失したとされています。別当の小山家では、先祖は源氏の一族で、九州菊池家家臣小山源氏と伝わっています。十一面観音は慈覚大師作と云われ、33年毎の御開帳が厳しく守られてきました。この由来は、慈覚大師が奥州の地に参られたとき、33体の観音仏像をお造りになり、毎年一体ずつ御開帳がなされ、一巡するに33年かかるところから、33年に一度の御開帳になったとされています。観音堂の建立については、十一面観音の像背に永正7年(1510年)の年号があることから、同時期頃と考えられます。また、祭日は旧暦の8月17日で33年毎に御開帳が行われ、近郷近在からの参拝者も多く、大変賑わったとされています。現在の観音堂は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災の津波によって被災した観音堂を、所有者をはじめ地域や有志の皆さんのご協力のもと、現在の地に再興したものです。令和5年9月釜石市』
5
十一面観音立像は永正7(1510)年の像背銘を持ち、釜石・上閉伊管内では最古の室町時代後期の仏像で、中世時代の精神社会を表現した貴重な尊像とされています。十一面観音立像は現在の鵜住神社境内にありましたが、明治の神仏分離によって神社下に居を構える別当小山家が同像を引き取り安置。昭和60年に屋敷を改築し新たな観音堂を設けました。東日本大震災では土砂にまみれながらも、ブロック造りの宝物庫に保管されていた十一面観音立像(県指定有形文化財・2012年11月13日)は奇跡的に救出され、京都科学(本社・京都市)の専門技師の手で修復されました。堂内には御本尊と御本尊を模刻した身代わり観音像(2014年作)、江戸時代の作と言われ、同じく救出された不動三尊立像と千手観音坐像が安置されています。
6
木造十一面観音立像 附 胎内仏・木造僧形立像…『室町時代後期の永正7年(1510)の像背銘を持ち、釜石・上閉伊地区における最古の年号を持つ中世仏像。おおらかさと同時に簡素にして森厳な雰囲気とを表現しており、カミとしての仏を祀るみちのく中世の精神世界を表現した優れた尊像として貴重である。本来この観音像は、明治以前は一段上の鵜住神社の地に祀られていたもので、津波で壊滅した鵜住居市街地とそのすぐ上に無傷で鎮座する鵜住神社(もと観音堂)との対照的な光景が意味するものは大きい。観音堂はもともと安全な位置に建てられ、参道は避難路に、祭礼は自然に避難訓練になっていたものであり、社堂とその広場は避難所ともなる。事実多くの市民が鵜住神社に上がり難を逃れた。災害から地域を守る古来の知恵を、記憶継承する文化財としての意義は大きい。』
7
被災前の観音堂。
8
被災前の観音堂(内陣)。
9
平成23年4月14日観音堂付近。
10
平成23年7月16日観音堂付近。
11
被災前の十一面観音。
12
被災前の十一面観音(像背)。
13
被災後の十一面観音。
14
観音堂の横。
15
石殿や石碑。
16
八幡大菩薩、稲荷大明神等々。
17
「御開帳記念 小峰山慈眼院 観世音」(昭和60年旧8月17日)
18
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ