岩手県陸前高田市高田町下宿。
小泉川橋。
下宿定住促進住宅は高田松原津波復興祈念公園が面している国道45号線沿いの東側にある5階建ての市営住宅。
案内板「下宿定住促進住宅」より…『国道45号の海沿いに建つ下宿定住促進住宅は鉄筋コンクリート5階建ての市営住宅でした。東日本大震災津波で完全に水没した4階までのベランダや窓はすべて波に打ち抜かれ、床上まで浸水した5階はベランダの化粧パネルが辛うじて残っています。一見してどこまで津波が到達したのかがわかるこの建物は、想定をはるかに上回る津波の破壊力を如実に物語る震災遺構として、当時の姿のまま保存されています。』
案内板「震災遺構下宿定住促進住宅」より…『【震災前の下宿定住促進住宅】下宿定住促進住宅は、1981年(昭和56年)に完成した鉄筋コンクリート5階建て、高さ約14.8mの建物です。財団法人雇用促進事業団の管理だった雇用促進住宅を、2009年(平成21年)に陸前高田市へと移管した集合住宅でした。国道45号沿いに位置し、名勝高田松原や古川沼などにも近く、商業施設にも近接した環境でした。東日本大震災津波発災時には2棟が建っており、1棟あたりに3DKの住宅が40戸、両棟合わせて80戸のうち45戸が利用されていました。そこでは、発災直前まで、人々がいつもの暮らしを営んでいました。現在は、海側にあった1棟だけが震災遺構として保存されています。【被災状況】2011年(平成23年)3月11日、大地震に続いて発生した津波は、最上階・5階の床上まで達しました。残された建物は、海側のベランダや窓が4階まですべて波によって破壊され、5階のベランダにだけ、かろうじて化粧パネルが残っています。一目見ただけで、津波による浸水の高さがわかるこの建物は、東日本大震災津波の想像を絶する脅威を物語る震災遺構として、当時の姿のまま保存されています。東日本大震災津波発災当時、下宿定住促進住宅は海側と山側の2棟ありました。被災後の姿を見ると、ベランダの損壊の様子から、震災遺構として保存されている海側の建物(1号棟)が、山側の建物(2号棟)に比べて圧倒的に被害が大きかったことがわかります。』

震災前の下宿定住促進住宅。
津波に襲われる陸前高田市。
津波によって破壊された下宿定住促進住宅。
建物の高さが14.8mで津波の高さが14.5m。
4階までは完全に水没し、5階の床面まで押し寄せました。
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