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岩手県陸前高田市高田町古川。
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震災遺構タピック45(旧道の駅高田松原)。旧道の駅高田松原(愛称:タピック45)は、1991年(平成3年)に開業した高田松原物産施設の一部。
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案内板「高田松原物産館の一部」より…『高田松原物産館は2002年(平成14年)11月にタピック45(旧道の駅高田松原)の西側にオープンした、木造平屋建て(一部鉄骨造)、延べ床面積1577.75㎡の建物でした。地元の新鮮な農産物や魚介類、特産品などが並べられた物産販売コーナーとともに、レストラン、菓子・パン工房などが入居しており、新鮮な食材を求める地域の人々にも人気でした。また、市の「産業まつり」をはじめさまざまなイベントの会場としても利用され、市民が日常的に足を運ぶ場でもありました。東日本大震災津波では津波の直撃を受け、鉄骨部分だけを残して建物は流失しました。』
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被災前の物産館。新鮮な地場産品が観光客だけではなく地域の人々にも人気で、いつもにぎわっていました。
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タピック45。
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タピック45(旧道の駅高田松原)…『【被災前のタピック45】タピック45の施設内には、道路情報や観光情報などを提供する情報コーナーをはじめ、地元陸前高田市の「気仙町けんか七夕祭り」の山車展示、七夕祭り体験コーナー、喫茶コーナーやラウンジなどがあり、地域交流の場となっていました。鉄筋コンクリート造で建物高さは約19m、津波にも耐え得る堅固な構造で設計されていました。特徴的なのはヨットの帆を模したという直角三角形の建物外観です。建物の裏面(海側)は階段と観客席とで構成されており、普段は屋外イベントなどの観覧に利用されていました。この建物形状は、津波のエネルギーを逃がすとともに、海側からの上りやすさを考慮したものでした。【タピック45の名の由来】高田松原の「Takata」、英語で松を意味する「Pine」と、インフォメーションセンター「information Center」の頭文字を組み合わせるとともに、国道45号に面していることから命名されました。【被災状況】2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災津波発災のその日、タピック45を襲った津波は、高さ14.5mにも達しました。広田湾に面した名勝高田松原の松林をなぎ倒しながら津波が迫り来る中、奇跡の一本松付近で働いていた3名の方がタピック45の裏面最上部まで上がって難を逃れることができました。堅固の構造であったため、建物本体の外観に大きな損傷は生じなかったものの、国道側の増築部分は跡形もなく流され、津波の直撃を受けた内部は破壊されました。壁や天井は崩落し、中にあったものはほとんどが流失し、流れ込んだマツが今でも残されています。【保存・活用活動】大津波の生々しい爪痕が残るタピック45は、津波の威力を伝える震災遺構として保存・活用されています。』
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被災前のタピック45。鉄骨ガラス張りだった入口増築部分は、津波により流されてしまいました。
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被災後、破壊された内部。なぎ倒され、流されたマツの木が、津波のすさまじい威力を物語っています。
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津波の高さ14.5m。
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案内板「震災遺構旧道の駅高田松原タピック45」より…『旧道の駅高田松原(愛称:タピック45)は、1991年(平成3年)に開業した施設です。建物の海側は階段状になっており、震災時には高さ14.5mの津波が迫る中、3名の避難者が階段を駆け上がって危うく難を逃れました。建物は最上部をわずかに残して水没し、津波の直撃を受けた内部は激しく破壊されており、津波の脅威を後世に伝えています。』
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太鼓館。
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太鼓館…『陸前高田市では、毎年8月7日に「気仙町けんか七夕祭り」や「高田町うごく七夕祭り」が行われ、夏には七夕本番に向けて毎晩太鼓の音が鳴りひびきます。この建物は、かつて体験学習館だった通称太鼓館で、太鼓の練習場として地域の人々に利用されていました。鉄筋コンクリート造、406.36㎡。震災津波後、頑丈な建物は残りましたが、内部は破壊され、土砂の流出のため基礎が露出し浮き上がってしまいました。』
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東日本大震災津波被災前の太鼓館。
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照明柱。
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照明柱…『祭りやイベントの前夜祭など、夜間の利用も多かった「タピック45(旧道の駅高田松原)」周辺では、「屋外ステージ」に向けて照明灯が設置されていました。強大な津波の威力は、津波高8mを超えると石造家屋を、16mを超えると鉄筋コンクリートのビルさえも全面破壊するといわれます。タピック45エリアを襲った津波は高さ14.5m。鋼鉄製の照明柱は、土台に固定されたボルトによってかろうじて流失はしなかったものの、根元からグシャリと直角に折れ曲がった姿となりました。津波の想像を絶する力がわかります。』
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被災前、タピック45横に建っていた照明柱。
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裏側の屋外ステージへ。
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屋外ステージ。
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屋外ステージ…『被災前、屋外ステージは、道の駅に付属する野外施設としてさまざまなイベントに活用されていました。屋外ステージの周辺は、毎年秋に実施されている陸前高田市の「産業まつり」の会場として使われ、また、市内および海岸線をコースとした当地域の地域活性化イベントの草分けともいえる「南三陸サイクルロード・りくぜんたかた」では前夜祭の会場ともなりました。地元「高田町うごく七夕祭り」の夜には参加したすべての山車が展示され、お盆までの期間中、市民や帰省客に太鼓を披露しあった場所でもありました。』
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被災前、屋外ステージに隣接した広場に並ぶ、地元「高田町うごく七夕祭り」の各祭組の山車。屋外ステージの屋根は津波で流されました。
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Wikipedia「道の駅高田松原」より…『道の駅高田松原(みちのえき たかたまつばら)は、岩手県陸前高田市気仙町にある国道45号の道の駅である。1991年(平成3年)7月21日に陸前高田市の観光情報発信拠点として開業した「陸前高田シーサイドターミナル」(愛称「タピック45」)が、1993年(平成5年)4月に始まった「道の駅」として指定を受けた。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波により被災し、長らく休館中であった。その後、本施設を含む一帯については、高田松原津波復興祈念公園の名称で再整備が進められ、本施設も再開が決定。2015年(平成27年)1月には、休業中にもかかわらず重点道の駅に選定された。2019年(令和元年)9月22日に国営追悼・祈念施設の一部(祈りの軸、海を望む場、献花の場、奇跡の一本松)や東日本大震災津波伝承館とともに8年半ぶりに利用開始・再開された。再開された施設に別称や愛称はない。なお、旧施設(タピック45)については、震災遺構として保存され、2021年(令和3年)4月からその内部も公開されている。』
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