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岩手県久慈市中町第1地割。道の駅くじ(やませ土風館)の近くです。
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中町は昭和47年~現在の久慈市の町名。第1・2地割があります。元は久慈市裏町で、地内の整備が進み一新し、当地が市街地の中央部に当たることから中町と改称。県立病院があることから病院通りとも称しました。裏町は昭和29年~47年の久慈市の町名。元は久慈町下大川目の一部で、当町は古くは谷地とも称しており、通称三角山の北麓のため湿地が多く、第二次大戦前は溜池がありましたが、昭和20年の大火復興にあたり埋められています。この谷地の地名は元禄年間の史料に見えており、江戸期の久慈八日町の一部で、代官所・長福寺が地続きで、明治初期には郡役所・町役場が設けられ行政の中心地になっています。更に大正期には学校、昭和初期には武徳殿が建設されて地内が一新。昭和47年に中町と改称しています。
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津嶋神社です。
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こちらの建物は不明。
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社殿。
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拝殿向拝神額(奉納昭和54年6月、岩城清雲・晴山桂月・神田武男)
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由緒等についてはわかりませんでした。本殿の左右には稲荷社と、おしら様のようなものが見えました。
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「道の駅くじ」へ
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ここは「あまちゃん」のロケ地(ミス北鉄コンテストの場面で登場)。
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あっ、これはあまちゃんだったのですね。
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あまちゃん…見てないんですよね…じぇじぇじぇ!
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風の館の秋まつり山車展示ホール。
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実物です。見応えあります。
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久慈秋まつりは1360年代から続くと言われるまつりで、12mまで競りあがる山車は、毎年各山車組でテーマを決め、何か月もかけ手作りしています。目抜き通りを練り歩く山車は絢爛豪華で、前夜祭には光り輝く幻想的な山車を見ることができます。
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久慈秋まつり…『久慈秋まつりは600年以上の歴史を誇り、大神宮・秋葉神社・巽山稲荷神社の三社大祭として始まった、五穀豊穣・除災招福を祈願、感謝して催される岩手県北部最大規模のおまつりです。久慈秋まつりは応安2年(1368年)に秋葉神社(現在は大神宮に合祀)の例祭日を定めたことが起源と言われています。久慈秋まつりについて記述した最も古い文書は、高山彦九郎の北行日記(寛政2年/1790年)で、その頃はまだ現在のような山車はありませんでした。山車の原型となるものが登場したのは明治に入ってからと言われており、現在のような形になったのは大正13年頃で、昭和に入りさらに飾りや仕掛けが凝ったものへ進化しました。しかし、昭和41年の大水害により山車制作は一旦途切れ、青森県八戸市の三社大祭の山車を借りる形で祭りが続けられました。平成元年に自作山車が復活し、現在は8組全てが毎年自作山車を披露しています。NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」に山車などおまつりの様子が登場し、ミスコンテストのシーンがこの道の駅くじで撮影されました。毎年テーマを変えて制作し、全部で8台運行されます。【日程】毎年9月第3金曜日16時~「お通り~山車パレード~」、第3土曜日14時~「中日~郷土芸能パレード~」(山車運行はお休み)、第3日曜日14時~「お還り~山車パレード~」※「お通り」前日の木曜日に前夜祭を開催【前夜祭】山車8基、神輿5基が1か所に集結し、セレモニーが催されます。各組自慢の手づくり山車が音頭とともに披露され、神輿組との競演を見ることができます。【一日目:お通り】「お通り」と呼ばれるおまつりの一日目は、大神宮からお迎えした神様を先頭に、国道281号線荒町交差点から久慈駅前を通り、長内橋たもとまで山車が運行されます。【二日目:中日】「中日」は山車運行がお休みとなり、郷土芸能団体による流し踊りなどのパレードが催されます。最古の盆踊りと言われる「ナニャドヤラ」や「久慈湾小唄」などが披露されます。【三日目:お還り】おまつりの最終日は、神様を大神宮へお還しするため、国道281号線の長内橋たもとから銀座商店街を通り、荒町交差点へ向かって山車が運行されます。』
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残念ながら琥珀を買うほどのお金はなかったので…
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海女の塩どらと、やまぶどうソフトクリームのミックスを買いました。
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