
『横山八幡宮 (宮古市)』からの続きです。


女坂。

写真の順番が滅茶苦茶ですが私は男坂から来ました。

狛犬一対(平成8年6月吉日)


横山八幡宮は旧郷社。御祭神は品牟陀和気命。創建年代は不詳ですが社伝では寛弘年間の創立といい、また一説では和銅年間猿丸大夫が当地に遠流となり、里人は大夫に宮守を頼んだともいいます。寛弘3年四国の鳴門海峡の逆巻くうず潮を当社の神官が和泉式部と歌競べをして鎮めたという伝説があります。火災に遭って古記録を焼失しており確実なことはわからないため、江戸中期に鍬ケ崎の米問屋近藤茂左衛門が宮古の儒学者高橋子績に依頼して「宮古八幡宮回縁起」を著してもらっています。古くから宮古の総鎮守であり南部氏の崇敬が篤く、毎年大祭には代官を遣わして代拝させるのを例としたといいます。
御神木。




神社庁より…『【御祭神】品牟陀和気命、天照皇大神、豊受姫命【例祭日】9月15日【由緒】古代によれば、天武天皇の白鳳9年(673)8月であると言い伝えられており、元明帝の和銅年間(708~715)に猿丸太夫が勅勘を蒙りてこの地に流されたことがあり、里人は太夫を宮守りに頼んだという。従って和銅年間には確実に存在したといえる。「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」の歌は、その時太夫が横山の里で詠んだ歌であるといわれている。又、66代一条帝の寛弘年間(1004~1012)に阿波の鳴門が大鳴動を起こした時、神社の禰宜は神歌を夢に見、これを以て鳴門の鳴動を止めんと態々阿波国に赴き神歌を詠んで祈願した処、鳴動は止んだという。その詠んだ歌とは「山畠につくりしあらしのゑのこ草阿波の鳴門はたれかいうらん」であり、朝廷に召されて社詞の光景を問われた禰宜は「我が国は年経し宮の古くして御幣の串の立つところなし」と和歌をもって答えた処、帝之を称讃して宮古の二字を賜わり、以後地名を宮古というようになった。明治以降、市内神明社と稲荷神社を合祀。』
拝殿向拝。


拝殿向拝神額(米内光政敬書)

幣殿・本殿覆屋。

公式HPより一部抜粋…『【御創建】社伝によれば御創建は、白鳳9年(680年)と伝えられ、この横山は閉伊川の上流から洪水で流されて来た山と言われる。【小沢獅子踊りの由来】和銅年間(708年~715年)、猿丸太夫は勅勘を蒙むりこの地に遠流され、宮守となった。「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」という和歌をこの地で詠み、許されて京に帰ることができた。その住まいは「猿丸屋敷」といい、太夫の徳をたたえて獅子踊りがつくられたという。【宮古地名の由来】寛弘3年(1006年)、阿波の鳴門が、突然鳴動し怒涛逆巻く天変地異が起こり、帝は諸国にお布令を出しこれを鎮めようとした。当宮の禰宜も、これを鎮めようと日夜祈祷をしたところ、一首の和歌を得ることができた。禰宜は、早速この和歌を御神歌と感じ、阿波の鳴門に赴いた。「山畠に 作りあらしの えのこ草 阿波の鳴門は 誰かいふらむ」と詠じると、たちまち怒涛はやみ、元の静かな海にもどった。帝は、これを大いに喜び、禰宜を召して八幡宮の様子をお尋ねになった。 禰宜は、これに和歌をもってこたえ、「我が国に 年経し宮の 古ければ 御幣の串の 立つところなし」と神古びた様子を申し上げたところ、帝はその歌に御感あって、「宮の古ければ」の一節をとり、「都(華洛)」と異字同訓の「宮古」という地名を禰宜に賜った。以来、この閉伊の湊町 を「宮古」と言うようになった。【さかさ銀杏】また、この阿波の鳴門からの帰途、手にしていた杖を境内に刺したところ、活生して「さかさ銀杏」の大木となり、御神木となった。境内に金刀比羅社が祀られ、阿波四国の船舶が入港すると、必ず参拝する慣わしであった。【源義経公北行】文治4年(1199年)、源九郎判官義経公、平泉を逃れ当宮に参籠。大般若心経百巻を奉納した。家臣の鈴木三郎重家は、老齢のためこの地に残り「近内」に住み、当宮の宮守となった。この縁により現在でも、例大祭にはこの地区より神幸祭行列の供奉が慣例になっている。【藩主の崇敬】江戸時代には、代々藩主の崇敬を受け、例大祭には代官をして代拝せしめ、当宮の祭儀終了を見とどけてから使者を立てて盛岡城下の祭儀を執行する慣わしであった。【謡曲八幡山】この横山は、中世の城舘であり、閉伊川をはさんだ南北の要害の地であり、また、和歌を詠む絶景の場所でもあった。「宮古八景」の一つと数えられ、短歌や漢詩など文学作品が多く残されている。盛岡の寺子屋では、「八幡山」という謡曲も謡われ、学問技芸の神様として遠く世に知られ、広く信仰を集めている。御神徳は、阿波鳴門の縁記により(交通安全、旅行安全、厄祓、航海安全、大漁満足、無病息災)などに特に霊験あらたかで、近郷近在はもとより全国各地から篤い信仰を受けている。【御祭神】品牟陀和気命(ほんだわけのみこと 人皇十五代 応神天皇)、豊受姫命(とようけひめのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)』


社殿正面の石段。

石灯籠二対。




郷社再建碑…『郷社横山八幡宮祠堂既古齋殿亦罹災延及神輿一郷憂之有志醵資咸改造之維持明治二十五年八月十五日』

石灯籠一対、手水石、石殿一基、「早池峯山塚 卯子酉大明神 金湯山不動明王」


石碑「横山八幡宮」

社殿正面ですが女坂方面です。前回の記事で「逆の方が参拝しやすそう」と言った理由は、ブログ的に紹介しやすい順路だったからです。


女坂へ下りながら逆走している感じで位置関係がわかりにくいかも知れませんが我慢してください。立派な神社なので是非現地にてご確認ください。


狛犬一対。


神輿堂。

古峯神社。


古峯神社の碑の手前に山神・池神の碑。

小祠と石碑。


石碑には前回の記事で紹介した神歌が彫られていました。



境内社の金刀比羅神社へ。


手水石。

稲荷社。

社号標「金毘羅大権現」(天保15年甲辰10月10日、願主堀田屋熊吉)


御神木に縛られている碇。

小祠。稲荷社かな。狛犬と石灯籠(安永9子年11月吉日)もあります。




正一位稲荷神社。



象頭山・金華山塔(弘化2年乙巳正月10日)

石灯籠一対(昭和57年4月吉日、崎田正治・崎田ヤエ納之)


金刀比羅神社社殿。御祭神は大物主命。例祭日3月10日・6月10日・10月10日。享保2年四国金刀比羅宮より勧請、文化7年に新町中島万左衛門先祖が現在地に遷座、明治11年罹災により再建、大正2年修理、昭和54年新築再建。

拝殿向拝。

拝殿向拝神額。

拝殿内。

女坂で戻ります。以上、横山八幡宮でした。




コメント